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ビルマの竪琴

竹山道雄 1948

うたう部隊
・・・・・ほんとうにわれわれはよく歌をうたいました。
嬉しいときでも、つらいときでも、歌をうたいました。
いつ戦闘がはじまるかもしれない、そして死ぬかも分からない、
せめて生きているうちにこれだけは立派にしあげて、
胸一杯にうたっておきたい・・・・・。

太平洋戦争敗戦間際のビルマ(現・ミャンマー)に音楽学校出身の隊長が率いる日本軍部隊がいました。その隊では、水島上等兵の竪琴を伴奏にして、隊長の指揮で「埴生の宿」などの合宿を楽しんでいました。敗色濃くなり、ある村で部隊は敵軍に囲まれてしまいます。全滅を覚悟したとき、敵陣から「埴生の宿」の合唱が聞こえ、日本兵もそれに和して合唱。そこで敗戦を知ります。しかし、まだ終戦を知らない部隊が三角山で戦闘を続けており、捕虜となった合唱部隊の中で、水島が立て篭もる兵隊を説得する為に一人で出掛けます。
ですが、三角山の部隊は自滅の道を選び、水島は行方知れずになるのでした。

その後、水島を案じる隊員たちの前に青いオウムを肩に乗せた、水島とよく似たビルマ僧が現れます。僧は逃げるように去っていきました。
彼は水島なのでしょうか?
水島ならば、あれからどう過ごしていて、
なぜ、今、去っていったのでしょうか。
こちらに気づいた筈なのに。

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