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ムーミン谷の彗星

ムーミン谷の彗星 1946
トーべ・ヤンソン TOVE JANSSON

戦争を連想させる大災害がモチーフになっています。トーべはこの物語を継続戦争の頃に描き始めましたが、実際に挿絵を入れて最後まで書き上げたのは平和が訪れてからになります。ムーミン達はこれまでのストーリーに引き続き、自然の大きな力を相手に冒険をするのですが、この「ムーミン谷の彗星」は内容が過激になります。物語の序盤、青いムーミン屋敷の中で平和な情景が繰り広げられるが、次第に恐怖のシナリオへと続いていく。ムーミン谷に向かってくる彗星が、皆を脅かすからです。彗星が近づくにつれて気温が上がり、自然界にも変化が見られるようになっていく。海面が下がり、やがて海が干上がる。イナゴの大群が押し寄せ、嵐が荒れ狂い、巨大タコや鷲、食虫植物などが現れる。火山は火と灰を吹き出す。彗星が遂に地球に到達した時、ムーミン一家は、熱されて赤く輝く世界から洞窟に逃げ込み、世界で何が起こっているか全くわからない状況に陥ってしまう。
「・・・時間がおそろしく長く感じられました。だれもが心細くてしかたがありません・・・。」

トーべは戦時中、空襲の時も防空壕に入らずに、あえてアトリエに残っていました。人いきれで咽せそうな、濃縮された恐怖の象徴である防空壕が大嫌いだったからです。1945年、広島と長崎に原爆が投下され、世界を燃やし尽くすような完全な破壊が現実に起こるのだという事が明らかになります。フィンランドで戦時中に起きた事よりも、更にもっと悪い事が起きたのだと。世界中の誰もが、その事実に驚きを隠せませんでした。
「ムーミン谷の彗星」にはこの原爆の影響と恐怖を窺い知ることが出来ます。広島と長崎に原爆が投下された時、トーべは丁度この作品を執筆していました。彗星の影響で周囲の環境が変化していく様子の描写は、原爆投下のニュース映像の様です。また、予想も出来ず、対策のしようもない空からの攻撃には恐怖で慄く事しか出来ない。
洞窟に逃げ込む以外に生き延びる道がなかったムーミン達は、もう外の世界では生きていられない、地球がまだ残っているかどうか定かではないと、洞窟の奥で身を寄せ合う。

トーべは画家を本業として生きていこうと考えていた才能ある芸術家でした。何故ムーミン物語を描き始めたのか。
ムーミン物語は自分自身のために描き始めたものでした。書く事によって、世の中や戦争の悲惨さから逃避していたのです。当時のフィンランドでは多くの人が、自宅や戦地で大量のアルコールや麻薬の力を借りて心を麻痺させていました。トーべにとってムーミン谷は残酷な現実から逃れられる場所でした。ムーミンのキャラクター自体は戦前に生まれたものですが(当初のムーミンは黒色)、トーべが現実の不安から逃れられる世界をつくりだしたのは、戦時中のこと。

想像の世界では、短い時間ながらも楽に呼吸ができる。トーべはムーミン谷という隠れ家を見つけた。「ムーミン谷は、現実から永遠に逃げ回るためではなく、いっとき訪れるための世界であり、いつでも現実に戻ってくることができた。」とトーべは語っている。そしてこうも語っている。「ムーミン一家の特徴は純粋さです。自分たちと違う世界を受け入れること、登場人物が互いに仲が良いことが特徴なのです。」

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