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ネットってもっと○○だったはずではという感情について

・本題に入る前に

まずは、前回の、第1回目の記事を読んでくれた方々、スキを押していただいた方々、ありがとうございました。正直、私の中の想定では、身内の人が1,2人くらいみてくれたらいいかな、と思っていた程度でして、それよりかはよほど読まれているので大変うれしく思っています。

また、想定していたような方々に見ていただいているんだな(というよりも想定していた通りの層がnoteを使用しているんだな)ということが、スキを押していただいた方々の記事やプロフィールを見て実感することができました。日ごろ、自分自身が接する機会のない層の方々なので、とても新鮮な気分でした。

・ネットってもっと○○だったはずでは?

古くからインターネッツを使っている人には、○○にいろんな感情だったりワードが各々当てはまるのではないでしょうか?
私もなんだかんだいってインターネットと向き合ってもうすぐ20年が経つわけですが、昔インターネットに感じていた希望だったり、楽しみだったり、あるいはこうなるだろうな、という将来図だったりというものがここ数年、実際にそうはならなかったり、悪い方向に進んでいたりするのを見かけます。

・ネットはいまやインフラ、みたいな言われ方をすると頭をかしげてしまう

ネットはいまやインフラ、あるいはSNSはいまやインフラ、という話はよく聞きますが、個人的には「そうなんだけどさあ」という感じになってしまうんですよね。もっと言うと「俺みたいな人間には必要だけど、君らに必要ないでしょ」という感情ですね。めちゃくちゃなエゴなのはわかってるんですが、思ってしまうものは思ってしまう。「別に君らネットなくても生きていけてたくせになんでネットにくるの」、という感情が正直すごくあって、危険思想なのは理解してますし時代錯誤なのもわかっているんですが、どこかまだ納得できない自分がいるのも確かなんですよね。

・これからの時代をどう生きていくの?という自問自答

隅っこの方(ネット)で暮らしていたはずなのに、ネットはインフラなんて言われる時代、無法地帯だったはずなのにいつのまにか公権力や大衆が介入してくる時代にどう生きていけばいいのか、どこで何を楽しめばいいのか、もっと突き詰めて言えば、僕の次のアイデンティティーは?ということについてはこれからもっと考えていかなきゃいけないんだろうと思います。

正直、ネットのことなんて公権力だったり大衆だったり、偉い人だったり、大人だったりは放っといてくれ、一生ソファーで新聞読んでてくれというのが理想なんですが、そんな時代はとうに過ぎてしまった。じゃあどうするか、自分は何をやるのか。何を面白いと思って生きていくのかを考えなきゃいけない、「そんな時代になっちゃったな」という気づきを書いた回でした。

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