すばるくんのこと 2023年〜今までと今とこれからの渋谷すばるさんへ寄せて〜
あの日まで
きっかけは、偶然ついていたテレビだった。
事務所の先輩MCを前にして、ホテルの "ペイチャンネル" について熱く語る長髪の少年。
それがたぶん、渋谷すばるという人を初めて意識した瞬間。
なんだ、この人。ジャニーズ?アイドル?いやカッコいいけど。…カッコいいけど。
それからなんとなく気になって姿を追っているうちに、彼の歌と出会った。
衝撃だった。こんなにも心を揺さぶられる声は初めてだった。
ピッチが正確とか声量がすごいとか感情を乗せるのがうまいとか。すばるくんの歌の上手さを表す表現はいくつも考えつくけれど、そういうことではなく。
ただただ心が震えた。この人の歌をもっともっと聴きたいと思った。
そこから関ジャニ∞を追いかける日々が始まった。
なにしろジャニーズのアイドルを好きになるなんて生まれて初めてのことだったから。うちわとかペンライトとか担当制とか…初めて触れるあれこれに戸惑いながら、でも彼と彼らのことを知りたい一心で頑張った。それが楽しくてたまらなかった。
今のことはもちろん、まだ知らなかった過去のあれこれまで。デビュー当時からのCDやDVD、ネットなどで得られる情報もできる限りすべて。
知れば知るほど、彼らの魅力にハマっていった。
メンバー同士の仲の良さやそれぞれの関係性の妙、バラエティでの面白さ、全力でふざける中学生のような姿、音楽に向き合う真摯な姿勢…。
ライブにも行くようになると、生で浴びるすばるくんの声に、バンドの音に、メンバーの演じるコントや漫才のようなMCの楽しさにも魅了され、ますます引き込まれていった。
何ということもなく流れていくだけだった繰り返しの毎日に色が付いて音が鳴って、人生がキラキラと輝き出したのだ。
それまでなんとなく敬遠していたSNSも始めてみた。
最初は彼らの情報を集めることが目的だったのだけれど、いつの間にかご縁が繋がって仲間ができて。"好き"を分かち合う喜びを知り、普通の旅ではない、遠征の楽しさを知った。
楽しくて愛しくて夢のような日々。
しんどい仕事だって彼らに会えるなら、と頑張れた。好きという気持ちがこれほど心を強く元気にしてくれることを初めて知った。
その少し後。
プライベートでとてもしんどい時期があった。
だけどそれを表には出せず、心を閉じて元気なふりをして毎日を必死にやり過ごしていた。泣くことさえできなかった、暗いトンネルのような日々。
そんな時に聴いたすばるくんの歌に。
気づいたら涙がこぼれていた。
泣けなかった頑なな心を開いて包み込んで、思いきり泣かせてくれたのはすばるくんの歌だった。あたたかく真っ直ぐな、すばるくんの声だった。
彼の歌がなかったら今の私はいなかったかもしれない。そう思うほどに救われた。
それから何度も何度も、苦しい心をすばるくんの声が救ってくれた。流せなかった涙を包み込んでくれて、踏み出せない一歩を支えてくれた。
いつかすばるくんは、彼の歌は、私にとって特別なものになっていた。
そこからずっと。
心の真ん中に、その一番深いところに、すばるくんはいる。
2017年の『関ジャニ'sエイターテインメント ジャム』。
6月にリリースされた同名のアルバムを引っ提げてのツアーだった。
最終日の福岡公演、そのワンシーンが今も忘れられない。
「えげつない」という曲のラップバトルの前。
スタンバイしているすばるくんが見えた。
とても暑い日で、薄暗い中でもわかった、肩で息をするほど辛そうだったすばるくん。大丈夫かな…と心配で、もう目が離せなかったのだけれど。
でも彼の出番になって照明が当たった途端、すっと背筋が伸びて顔を上げて。それまでのしんどさなんて微塵も感じさせない、いつものすばるくん になっていた。
光の中を歩いていくその姿に胸が締め付けられた。ああ本当にこの人が好きだ…と思った。
そうなのだ、いつだって全力で。その場その時、出来うる限り最高のパフォーマンスを観せてくれる、言葉だけじゃなくひとつひとつのステージに命をかけて。彼はそういう人だった。
その日のすばるくんは、ずっとニコニコと楽しそうだった。
ライブもとても楽しかった。
ツアーが終わってしまうのは寂しいけれど、また次に会えるのが楽しみだなあ。そんなふうに思っていた。
まさかそれがすばるくんのグループとしての最後のライブになるとは夢にも思わずに。
あの時彼は何を思っていたのだろう。
後から出たツアーのDVD、そのメイキングの中で
「本番中が一番楽しい。ずっとライブをやっていたい」
そんなふうに言っていたすばるくんの目には何が映っていたのだろう。
つい考えてしまうけれど。
あの時の彼はただ関ジャニ∞の一員として、ジャニーズのアイドルとして、全力でファンを楽しませてくれた。
それだけでいい、と今は思う
あの日。2018年4月15日
翌2018年4月13日、週刊誌にすばるくんの脱退を報じる記事が載った。
そんなはずはない、とその時は笑い飛ばしていた。
収録とはいえ、翌日のラジオはいつも通りの彼だったし。新しく出るベストアルバムやツアーのお知らせもしてくれたし。
大丈夫、大丈夫。
自分に言い聞かせながら迎えた4月15日。
ファンクラブからメールが届く。
そして。
会見が始まった。
同席したメンバーに守られるようにすばるくんが話す。
今までいた場所と過ごした時間への感謝を伝え、グループでは楽しいことしかなかった、と。
事務所からの退所を自分勝手な決断だと、メンバーやファンに申し訳ない、と何度も繰り返していた。
今でも思い出すと胸が苦しくなる。
でもあの会見とその後に7人で駆け抜けた3ヶ月はずっと誇りだ。
それはすばるくんがどれほど関ジャニ∞というグループとファンを愛しているか、彼がどれほどメンバーやファンや共に仕事をしてきた方たちに愛されているか、それを改めて噛みしめる日々だった。
自分のことは何も語らず、申し訳ないと謝って6人のことばかり気にかけていたすばるくん。
スバラジでも、もしかしたら唯一自分の言葉で想いを伝えられる場所かもしれなかったあの時間にも、自分のことではなく、これからの関ジャニ∞をよろしく、と繰り返していた。もっと大きくなるグループだから、と。
すばるくんのファンとしては淋しかった。彼の言葉で彼のこれからを聞きたかった。でも。
でもこういう人だから好きになったんだ。
寂しかったし辛かったけれど、悲しくはなかった。大好きな人が誇らしかった。
それでも当時、SNSなどで心ない言葉をずいぶん見かけた。
すばるくんに届かなければいいなと願っていたけれど、それはたぶん不可能なことだったのだろう。
…今も思う。
彼はあれほどに非難されるようなことをしたのだろうか。
当時から、ちくちくとトゲのように感じていた違和感はきっとそういうことで。
退所を公にするまで、時々見ていて心配になるほど精神的に辛そうだったすばるくん。
自分を偽れない、不器用で正直すぎる彼だから。自分の中に見つけてしまった分かれ道、その気持ちを押し隠してそのままでいることはできなかった。
申し訳ないと思いながら、もう自分にも周りにも誤魔化すことはできなかった。
だから、これからのグループをお願いしますと繰り返して。もっともっと大きくなるグループだから、と言霊を込めて。
それさえも身勝手だと言ってしまえばそうなのかもしれない…けれど、それでも彼は彼らを巻き込むわけにはいかない自分だけの道を見つけてしまったから。
過去も現在も将来も、全てを自分で引き受けると決めた一人の人間の覚悟。
誰も誰かを満足させるために生きているわけではないし、自分の人生を自分で決めて生きていくことは、誰に赦される必要もないし誰に恨まれる謂れもない。そう思っている。
すばるくんだから、ではなく。誰に対してもずっとそう思っている。
"好き" の気持ちは難しい。本当はとてもシンプルで優しい感情なのに。
誰かを自分の望むようにしたい、望む姿でいてほしい、そう思った瞬間から形を変えてしまう。
大切な "好き" を曇らせないために。大好きな人を優しい気持ちで想い続けるために。
"好き" を免罪符にしてはいけない。
自戒を込めて思う。
関ジャニ∞というグループが大好きだった。メンバーの中で笑うすばるくんが大好きだった。それでも。
それでも私はあの時彼が悩み葛藤して答えを出して、信じる道を歩き出してくれたことに救われる。
自分の人生を自分で決め選び取るという、当たり前だけど実はとても難しい生き方を貫いて示してくれたことに、ずっと救われている。
7月8日。
すばるくんが関ジャニ∞として出演した最後のテレビ番組「関ジャム 完全燃SHOW」。
生放送の最後に7人が歌ってくれたのは「LIFE〜目の前の向こうへ」だった。
その歌い終わり、すばるくんが
「Eighter!」と叫んでくれた。
私たちの名前。きっとずっと呼びたいと思ってくれていた。
最後の最後、誰にも邪魔されることのない生放送だから、ありったけの想いを込めて叫んでくれた。
あの頃、言えないことばかりだったすばるくんが伝えてくれた精一杯の愛だった。そう信じている。
だって、ただの "ファン" と呼びたくないから、と私たちに "eighter" という名前をくれたのはすばるくんだ。
スバラジの "妄想鉄道" というコーナーで
「もし "た" が言えなくなったら?」というお題の時に
「『エイター』と言えなくなる、そんな悲しいことはない」
と答えてくれたすばるくんだ。
関ジャニ∞のファンクラブ、会員番号001は自分だ、と自慢げに教えてくれたすばるくんだ。
ずっとEighterを愛してくれていた。何の偽りもなく、ただ心いっぱいで。
その言葉は熱を持って温もりを持って心の奥にしまいこまれて、今も色褪せないまま輝き続けている。
翌日から、すばるくんは表舞台から姿を消した。
年単位で待つ覚悟はできていたし、彼が歌い続けることに不安はなかった。
それがいつになるのかはわからなかった。どこでその声を聴けるのかもわからなかったけれど。
グループの時の2回目のソロツアー、『歌』と名付けられたそれが終わった時にすばるくんが語った言葉を、あの頃何度も思い返していた。
「歌い続けたいっていうことだけかな。うん。それ以外は、どうでもいいかなって。別に環境なんて関係なく、その辺の公園でも歌えるし(笑)。一生歌えたら、それで十分。
空白の日々。
不安とか寂しさとか心配とか。そんな気持ちを支えてくれたのは、やっぱりすばるくんだった。
それまでに届けてくれた歌声で言葉で笑顔で、その生き方で。そして会見の時のあの目で。
真っ直ぐに前を見据えて潤ませながら、でも決して涙をこぼすことはなかった、強い瞳。
あの目を見た時、この人の決断はすべて信じようと決めた。…違うな、すべて信じられると思った。そんな目だった。
だから会えない間も信じていられた。ずっとずっと大好きだった。
ぽっかりと心に空いた穴は、すばるくんの形だった。どうしたって彼にしか埋められない穴だった。
2019年「渋谷すばるです。」〜『二歳』リリース
翌2019年2月28日。
ひとつのサイトが立ち上がった。
『渋谷すばるです。』
…夢かと思った。
本物?本当にすばるくん?
でも最後の一行、グループの時に何度も何度も伝えてくれた、変わらない「愛してます。」の言葉。
その言葉ですばるくんだと確信した。
できたばかりのHPの中、動画で観せてくれたすばるくんの姿。
バンドメンバーたちと楽しそうに幸せそうに音楽に包まれていた。
変わらないその姿を観て、実感がわいてきた。
すばるくんだ。すばるくんが帰ってきたんだ。
4月26日 ファンクラブShubabuの設立。
8月16日 ファーストアルバム『二歳』のリリースが発表され、公式のTwitter、Instagram、YouTubeが開設された。
10月9日のアルバムリリースに先駆けて配信もスタート。
今までの空白を埋めようとするかのような、精力的なプロモーションだった。
ファーストアルバム、『二歳』。
"渋谷すばる" が詰め込まれたアルバムだった。
あの日までのこと、会えなかった時間のこと、これから向かおうとする場所のこと。あの時の想いと今の覚悟。
特典の映像も含めて、空白の日々を丸ごと届けてくれるような、熱く、濃い曲たちだった。
そしてずっと待ち望んでいたツアーの発表。
国内8か所と台湾、香港での海外公演、少し遅れて大阪野外でのオーラス公演の追加も発表された。
その年の暮れには大阪の『RADIO CRAZY 2019』、THE YELLOW MONKEYのトリビュートのステージにシークレットゲストとして登場して「バラ色の日々」を歌い、皆を驚かせた(本当に本当に驚いた。彼が登場した時、ざわざわ…が悲鳴に変わった、というレポを読むだけで涙が止まらなかった)。
2020年『二歳』ツアー~『NEED』リリース
年が明けて2020年。
1月28日 『二歳』ツアー初日の幕張メッセ。
降っていた雨が後から雪に変わった、とても寒い日だった。
19時。客電が消えて暗くなる会場。ステージにシルエットの人影が見えた。
「ぼくのうた」のイントロ、ギターの最初の一音が鳴る。
すばるくんが歌い出した瞬間。
スクリーンに彼の姿が大きく映し出された瞬間。
一生忘れない。
そのステージで、すばるくんが「幸せです」と言ってくれたこと。
最後にとても深く長く頭を下げていたこと。
「この命が終わるまで歌い続けます、変わらずに先頭切って恥をさらしていきます」と伝えてくれたこと。
思い出すと胸がいっぱいになる。
あの頃のすばるくんは、ただただ歌いたかったのだと思う。
歌うことで自分を生きたかった。その覚悟を伝えたかった。
すばるくんがやりたかったこと、すばるくんが歌いたかった歌。それが真っ直ぐすぎる熱で深く胸を刺した。
このツアーでのアンコールがバンドを入れず、一人きりの弾き語りだったことも、ここから一人で歩いていくという覚悟を、改めて伝えてくれたような気がして、その始まりから一緒に歩いて行けることの幸せを噛みしめていた。
公演を重ねるうちに少しずつ緊張がほぐれて、すばるくんらしさを感じるようになって。彼の新しい旅立ちが順調に進んでいると感じられることが嬉しかったのだけれど。
けれどコロナ禍は確実に近づいていた。
福岡公演までは何とか開催できたものの、台湾、上海の海外公演は早々に中止が決まり、オーラスの大阪野外の公演も中止となってしまった。
『二歳』のツアーはファイナルに辿り着かないまま、すばるくんにとってもきっと不完全燃焼の想いが残ってしまったのだと思う。
その年の後半は中止になったライブの代わりのように、すばるくんはいろいろなことを届けてくれた。
毎週「生すばる」というファンクラブ向けの生配信をやってくれたり、ひとつの曲ができる過程をアレンジやレコーディング、ミキシングまでYouTubeで見せてくれたり。
制約の多い日々の中で今できることを、楽しめることを、とできる限りファンに寄り添ってくれようとしていた。
7月1日には、シングル「人」をデジタルリリース。
そして9月22日、39歳の誕生日に2ndアルバムのリリースが発表され、9月26日はオンラインで開催された『氣志團万博』に、10月10日には大阪の野外フェス『OSAKA GENKi PARK』に出演を果たした。
11月11日にリリースされた2ndアルバム『NEED』。
閉塞した日常や不安な心にひたすらに寄り添い、包み込んでくれるような曲たちだった。そしてどの曲にもその向こうに光が見えた。
また一緒に大声で歌おう。その日まで一緒に頑張っていこう、と。肩を抱いて、そっと背中を押してくれるようなくれるような、とても優しいアルバムだった。
そしてリリースと同時に発表された『LIVE TOUR 2021「NEED」』は、翌年4月のスタートだった。スタートがまだ先だったことにもすばるくんサイドの配慮を感じて、その時は4月の再会を疑わなかった。
『RADIO CRAZY』と『COUNT DOWN JAPAN』、二つのフェスへの出演も決まり、まだまだその勢いは途切れていないように感じていた。
きっともうすぐいろんなことが良くなる。あの頃はまだ、そんなふうに思えていた。
2021年『2021』リリース~「NEOLAND CASE.1」
なのに。コロナ禍は止まらない。
年末のフェスが相次いで中止となり、翌2021年2月21日、すばるくんは自ら『NEED』ツアーの中止を決めた。
この頃は本当にしんどかったのだろうな…と今も胸が苦しくなる。
ツアーの中止を伝えたブログの一言一言を今も覚えている。
「ツアーを中止する決断を致しました。」
「緊急事態宣言が明けたとしても、皆さん来て下さいとは言えない」
そして、残念ですと繰り返していたすばるくん。
悔しさと無念さが滲み出るような文章。でも決断を下したのは自分、とすべてを自分に引き受けて。(すばるくんの文章は、語る言葉は、生き方は、ブレずにいつでも主語が "自分" だ)
どれほどつらい決断だっただろう。
経営的なことはもちろん、キャリアの面を考えても、形を変えたり一部を中止にしたりして何とか開催するという選択肢もあったかもしれない。
でも彼は守るべきものを守るために、つらい決断を下してくれた。
そしてそれを一番に、公式からの発表より先にShubabuの会員に伝えてくれた。
翌日、公式からの発表があった。
その中の一文。
「ライブはお客様全員が安心して楽しめる場であって欲しい」
すばるくんにとってライブというのはどこまでも楽しいものであるべき場所で、全員が安心して楽しめないライブなんて嫌だ、という信念と覚悟。
頑固で不器用で、なんて優しいわがままなんだろう。
そんなすばるくんの想いをスタッフさんたちも全力で守ってくれていることが伝わってきた。
今も時々思う、もしコロナがなかったら…と。
もしコロナなんてなくて『二歳』ツアーも海外公演を経て大阪の野外でファイナルを迎えられて、ファーストツアーがきっちり完結できていたら。
出演予定だったフェスも開催されて、すばるくんが大きなステージで思いきり歌えていたら。
きっと彼を取り巻く空気も歌う環境も違っていたのかもしれない。
…考えても仕方のないことなのだけれど。
わかっていても時折、たまらなく悔しいなあと思ってしまったりする。
そんな日々の中、5月8日。
Shubabuのブログが更新された。そこでファンにだけ伝えてくれた結婚のこと。
本来ならおめでとうの言葉があふれるはずのその時にも、彼はきっと祝福だけではない言葉を浴びて。一番幸せであるべき時に、自分のことばかりではなく大切な人のことまで傷つけられて。
ずっと心に刺さっている。
深夜、塚本史朗さんのアカウントで突然始まったインスタライブ。そこですばるくんがこぼした言葉。
「…無責任に自分の名前も顔も明かさずに好きなことを言ってる…」
そしてその後で、すばるくんのことが大好きというファンの方と言葉を交わした時に彼が泣いてしまったこと。
匿名の悪意というのは本当に厄介だ。
自分を見えなくすることで、その先にいるのが同じ人間だということを忘れてしまう。忘れたふりをする。その言葉を受け取った人間がどんな想いを抱くのか想像できなくなる。
すばるくんは、根っこのところでファンをとても信頼して愛してくれていると感じる。いつも感じさせてくれる。言葉で、歌で。何のためらいもなく、みんなが大切だよ、愛してるよ、と伝え続けてくれている。
そんな彼にあんな言葉を言わせてしまったことが悲しくて悔しかった。彼の心を思うと苦しくて仕方がなかった。
あの頃の彼はSNSの世界で迷い、行き場を見失っているように見えた。
そんな時に飛び込んできた嬉しいニュース。
8月に福岡で行われる「NEOLAND CASE.1」、その記念すべき一回目に出演が決まったのだ。
スリーマンのそのフェスの出演アーティストに、AJICOと並んで、すばるくんの敬愛するザ・クロマニヨンズの名前があった。
出演が決まった時、すばるくんはどんなことを思っただろう。
いろんなことが重なってファンとの距離を計りかねているように見えた彼が、また有観客のライブで歌おうと思ったことがたまらなく嬉しかった。
(結局このフェスは、コロナ禍のために延期が決まり、奇跡を重ねて12月26日に出演者そのままの形で開演されることになる)
9月22日、すばるくんの40歳の誕生日に3rdアルバム『2021』がリリースされた。
シンプルな黒いジャケット。大切に聴き込んだ古いレコードのジャケットのような質感と手触り。その中に包まれた九つの歌。
すばるくんの体温を感じた。音楽というのは人間が作っているんだ。そんな当たり前のことを改めて思った。
日々の葛藤や上がったり下がったりする心のさま。それさえありのままに曝け出して伝えてくれている。
もがいて苦しんで、それでも寄り添おうとする意志。その先の希望、決意と覚悟。それが全部、音になって迫ってくる。
正直で脆くて、したたかで熱くて、優しくて力強いアルバム。苦しいけれど暖かい音。繰り返し繰り返し聴きたくなる。ずっとその中に浸っていたくなる曲たち。
そんなふうに感じた。
そして、12月26日。
福岡市民会館。延期の末に開催された「NEOLANND CASE.1」。
私にとって1年10か月ぶりに観るすばるくんのステージ。どんな歌を聴かせてくれるんだろう。どんなステージを観せてくれるんだろう。ドキドキしていたけれど。
すばるくんだった。何も変わっていない、また少し前に進んだすばるくんだった。
彼自身、内にせめぎ合う熱を持て余しているような、熱くて苦しいライブだった。自分を表現したいという渇望。飢餓感のようなもどかしさ。
でも苦しいと思いながら、そんなすばるくんの歌にやはり私は救われていた。
そしてまた、すばるくんを本当に救えるのもやはり音楽だけなのかもしれない、そんなことを思った。
彼自身がブログで満足感も達成感もなかった、と綴ったこのライブは、でもすばるくんにとって何かを吹っ切れた、ひとつのターニングポイントであったように思う。
憧れだったクロマニヨンズ、ヒロトさんやマーシーさんと同じステージに立てたことはもちろん、その後でのヒロトさんたちとの宴、そこで交わされた言葉も含めて。
その後の彼を思った時、このスリーマンのライブでの経験はきっととても大きな意味のあるものだった気がする。
2022年 リスタート 『babu会 vol.1』~SUMMER SONIC
翌2022年1月。
すばるくんが動き出した。
年が明けてすぐに、『babu会 vol.1』開催の発表。
vol.0の時もそうだったけれど、すばるくんは動き出す時はいつも、まずファンに向き合ってくれる。大切にされている。信じてくれている。
それはずっと変わらない、きっとグループにいたときからずっと。
4月に大阪と東京で開催された『babu会 vol.1』。
私が参加した4月26日は、3年前にShubabuが設立した日だった。
すばるくんはこの日に、FC限定イベントのbabu会ができたことが嬉しいと何度も言っていた。
またやろう、またできるように頑張る!と言ってくれた。彼もその日をちゃんと覚えていて大切に思ってくれていて。それが本当に嬉しかった。
質問コーナーの後、スクリーンに映像が映し出される。
たぶんbabu会のリハーサル風景とすばるくんのインタビュー。
「これまでの決断、ギリギリまで考えて考えて出した答え。それは間違いじゃなかったと思っている」と彼は言った。
「(ファンに)離れられても仕方ないと思っていた。でも自分はこの決断しかなかった、だから今ここで喋れている。それがあってbabu会をやろうって思えてる」と。
そしてその上で、「絶対に音は止めたくない」と。「立ち続けたい」「歌い続けたい」と力強く話してくれた。
涙がこぼれた。その言葉をずっと聞きたかった。
でも、それはあの時じゃなくて。
行きたくても行けなかった悔しさ、もどかしい想い。きっとすばるくんは全部わかってくれている。その上での覚悟。
すばるくんが悩んで苦しんで答えを出して。私自身もしんどい時間を過ごしてきた、その先の今だから。ずしん、と重く胸に落ちる。
その後の、久しぶりのファンの前でのライブ。
すばるくんの声、ハーモニカ、伝え方、表現。すべてがパワーアップしていた。表に出なかった時間も真摯に音楽と向き合っていたことが伝わってくるようなステージだった。
すばるくんのファンと音楽への大きな愛、熱、強い覚悟…ぜんぶが音になって声になって心に刺さった。
翌日のbabu会最終日。
最後の「ぼくのうた」の後、すばるくんが一人残って荒い息のまま語り出す。
「まだまだ歌わせてください。もっともっと歌わせてください。近いうちに歌わせてください」
そう言って、待って待って待ち望んでいたツアー、『渋谷すばる LIVE TOUR 2022』の開催が発表された。
そして5月。
SUMMER SONIC 2022 への出演が決まる。東京初日のMOUNTAIN STAGE。
すばるくんがフェスにも戻ってきた。
夢が叶った。本当に夢だった。CDJやサマソニですばるくんを観ること、その声を聴くこと。
コロナ禍の中で出演予定だったフェスが中止になったり、自らの意思で出演を辞退したり…そんなことが何度も続いて。悔しかった。どこにもぶつけようのないもどかしさで悲しくて仕方なかった。
でも誰よりも悔しくてもどかしかったのは間違いなくすばるくん自身で。
それでも頑固なほどに自分を貫いて、その先でまた自らの声と音で掴んだサマソニのステージだった。
5月16日、すばるくんがShubabuのブログを更新してくれた。
その中で伝えてくれたお子さんの誕生。
心があたたかくなって、涙がこぼれた。すばるくんの周りが愛に満ちていることが嬉しい。
一年前の結婚の報告も今回も、すばるくん自身がShubabuのブログでファンだけに伝えてくれたということ。
それが彼のファンに対する向き合い方だと思っている。その気持ちがすごくありがたくて嬉しいから、彼の言葉を大切に受け取りたい。それだけでいい。
そしてそんな幸せな報告の後で、生きるということに想いを馳せ、表現者としての自分に想いを馳せて。それをきちんと受け取り手であるファンに伝えてくれている。
"人間の、全身全霊の歌" という言葉。
この数年、悔しかったり苦しかったり、しんどい時間も傷ついたこともあったと思うけれど、それを全部受け止めて糧にして、彼はもう一度揺るぎないものを手にしたような気がする。
大切なものを守り "自分" を生きていくことの、覚悟。
またひとつ、大きな愛を抱きしめたすばるくんのこれからの音楽がとてもとても楽しみになった。
8月20日、幕張メッセ。
SUMMER SONIC2022 東京 DAY1 MOUNTAIN STAGE 12:50。
すばるくんのサマソニ初ステージだ。
MCはなし、今の5人のバンドのデビューステージだったけれど、今回はバンドメンバーの紹介すらなかった。
曲間もほとんどなく、ひたすらに音を繋げて紡いでいく。
ライブ全体がひとつの大きなうねりとなって、時に強く、時にやさしく。圧倒的な熱を持って迫ってきた。
圧巻だった。声もハーモニカも。バンドの音も。
今のすばるくんのすべてを、声に乗せて音に乗せて届けてくれた、そう信じられるステージだった。
すばるくんもバンドメンバーもこの大きなステージを、たぶん始まりの緊張なども全て含めて楽しんでいることも伝わってきて、それが本当に嬉しかった。
初めは余裕があったフロアもライブが進むうちにどんどん人が増えてきて、たぶん初めてすばるくんの歌を聴いたと思われるような人たちも、みんなが彼の歌やバンドの熱に触れて音に乗っていくのがわかった。
ああ、届いたんだ…と感じて、なんだかもう。
嬉しくて誇らしくて涙が止まらなかった。
サマーソニック2日後の8月22日には、なんと4ヶ月連続の配信シングルのリリースが発表された。
もう止まらない、その言葉通りにすばるくんは走り出していた。
LIVE TOUR 2022『二歳と1328日』〜SPOOX MUSIC
そして9月。
いよいよ『二歳と1328日』のツアーが始まった。
初日は9月14日 福岡。
途切れた『二歳』ツアーが福岡の地で繋がった。
2年7か月ぶりのツアー。
すばるくん自身も抑えきれない熱い気持ちが迸ってそれが前面に出ているような音と声。バンドの一体感もサマソニの時よりもさらに強くなっていて。
音楽面での意思疎通がしっかりできていて、やりたいことがきちんと共有されていることが感じられた。みんなで音を鳴らすことが本当に楽しそうだった。
福岡公演の2日目、
「本当にいろんなことがあったけど、元気でやってます。自分の信じたものを曲げずにやってきた。皆さんの前で、このチームで、音楽を届けていられるということが、ただただ嬉しいです。幸せです」
そんなふうに言ってくれたすばるくん。
そして広島公演の2日目、すばるくんがアンコール前に叫ぶように言った言葉。
「俺はもう、絶対止まらない!!」
babu会で伝えてくれた想い、それがツアーを重ね、バンドやファンと熱を交わし合う中で強く深くなっていったのだろう、そのことが本当に嬉しくて。彼の声とその表情がずっと忘れられない。
ツアー初日の9月14日に、新曲「ないしょダンス」が、2023年1月公開の映画『ひみつのなっちゃん。』の主題歌に決定したと発表があった。
そして広島公演の翌日、10月14日にはスカパー! の新たな⾳楽プログラム『SPOOX MUSIC〜渋⾕すばる LIVE〜』への出演が決まり、Billboard Live YOKOHAMAにて有観客ライブを開催、その模様が生配信・生中継もされると発表された。
広島から東京へ帰る新幹線の中で「7月5日」を聴いた。
聴きながら、発表されたビルボードでのライブのことや映画の主題歌のこと、サマソニのこと、babu会のこと…2022年になってからのさまざまなことを思って、今回のツアーの初日からのステージや昨日の言葉を思い出して。
なんだかポロポロ泣けてきてしまった。
すばるくんがやりたい音楽ができて、彼が納得のいくように生きられたらそれでいい、とずっと思っていた。それ以上に何かを望む権利なんてない。だって誰のものでもない、彼の人生なのだから。
それでも、2022年後半になってのサマソニとか映画主題歌とかスカパーのビルボードライブとか。すばるくんの音楽が認められて大きな仕事に繋がることは、やっぱり涙が出るほど嬉しい。
すばるくんが自分の決めた道を真っ直ぐにひたすらに歩き続けたその先にそんな未来が待っていたことが嬉しくてたまらない。
そして公演を重ねていくうちに、このツアーでずっと感じていた安心感、安定感の理由が見えてきたような気がした。
このツアーのライブ、すばるくんが先頭きって引っ張っていることに変わりはないのだけれど。
1人ではないのだ、今までで一番。
自分だけで突っ走るのではなく、歌も音もすばるくん自身をもちゃんと委ねられている。バンドメンバーに、聴き手であるファンに。
すばるくんもバンドも私たちひとりひとりも、とても自由なのだけれどバラバラの独りではない、みんなが繋がっている。そうして会場全体がひとつになっている。
それはすばるくんのバンドやファンへの信頼と、何よりそこに委ねてもなお揺るぎない自分の音楽への自信とプライド、時間や経験を重ねて今在る自分自身への信頼があるからこそ、なのかもしれない。
今回のツアーで、特に音源からの深化が印象に残った曲がある。
まずセットリスト1曲目の「ぼくのうた」。
babu会の時ともアレンジが違っていた。すばるくんはギターだけでブルースハープは使わず『二歳』の時に近い感じ。でもそこには過ごしてきた時間と経験が重ねられていて。確かに『二歳と1328日』の「ぼくのうた」になっていた。
『二歳』の時は一人でただ歌うことだけを渇望していたすばるくんが、心と音を委ねられる仲間を得て、歌うことの喜びを聴き手と共有できている。
ここには確かにすばるくんの歌を求めている人がいて彼もそれをわかっている、そのために歌っている。そんな気がした。
そして一対一のセッションの「さられ」。
『2021』に収録されているこの曲が、私はとても好きなのだけれど、聴くたびにどこか苦しかった。それはすばるくんが暗闇でもがきながら何かに一人で立ち向かっているような、そんなイメージがあったからなのだと思う。
でも今回のアレンジで、新井さんのギターはそんな彼を明るい場所に引き出してくれたような気がした。うまく言えないけれど、このセッションで「さられ」が独りきりの歌ではなくなったように思えたのだ。
ラストで新井さんのギターに乗せて、"大きな音で世界を鳴らせ" と歌い上げるすばるくんの声に、これから進む道の先を貫くひと筋の光が見えた気がした。
それから、一対一のセッションのラストを飾った「ライオン」。
茂木さんのドラムが強い。重く熱いビートが体の芯に響く。それに負けないすばるくんの声。二つの音がせめぎ合って高まっていく。
そしてラストのすばるくんの咆哮の後、ステージが明るくなるとそこには4人の仲間がちゃんと揃っていて。
仲間を得たライオンが5人で鳴らす音。その景色が今のすばるくんを象徴しているような気がして。胸が熱くなって、涙がこぼれた。
11月6日。
『二歳と1328日』は大阪城ホールで無事にファイナルを迎えた。
最高だった。
最初から最後まで、渋谷すばるのライブだった。
完全燃焼。ありがとう。ありがとう。
『二歳』ツアーが無事に『二歳と1328日』に繋がって、一緒に最高のファイナルを迎えられた嬉しさと安堵と、もうこのツアーのステージが観られない淋しさと。それから、ただただ楽しかったという想い。
本当に、楽しすぎてそれが嬉しくて幸せで泣けてきた。
私はもうすばるくんを客観的に見ることなんてできないけれど、そんなファンの欲目を取っ払っても今回のツアーは最高だったと思う。
すばるくんの声の伸びも伝わる想いもハーモニカの表現も。バンドメンバーそれぞれのスキルと合わせ方、煽り方、バンドとしての一体感も完璧で。
セトリと曲の繋ぎ方はとてもこだわって作り込まれていることが感じられたし、演出や照明もすごく心地いい。
何よりすばるくん自身に迷いがなくて、今自分がやりたい音楽、伝えたいことはこれだ!という強い想い。それが真っ直ぐに伝わってくる。
そしてすばるくんもバンドメンバーのみなさんも、このメンバーでライブをやることが楽しくて仕方がないみたいで、お互いの音楽へのリスペクトもきちんとあって。
今この曲を演るためには、新井さんのギターと茂木さんのドラムと本間さんの鍵盤と安達さんのベース、それが絶対必要だと思えるような演奏。
ステージの楽しさが伝わって私たちももっと楽しくなって。客席がどんどん盛り上がって、ステージに返ってまた会場全体に熱が溢れていく。
自由で熱くて楽しくて。めちゃめちゃ気持ちがいい。
ステージを重ねるごとにどんどん深化していくライブ。でもそのひとつひとつが唯一無二で、それぞれに最高だった。
きっとすばるくんにとっても大きなターニングポイントになったツアー。そんな気がした。
そしてツアー終了9日後、Billboard Live YOKOHAMA。
「SPOOX MUSIC〜渋谷すばるLIVE〜」の公演が行われた。
スペースシャワーTVの新しい音楽番組『SPOOX MUSIC』、生中継も同時配信も行われた、記念すべき1回目のライブだ。
演奏された曲は、ツアーの本編のセットリストをなぞるものだった。
ただ、このライブでの「ワレワレハニンゲンダ」は、初めてのアレンジで演奏された。
jazzyでどこか哀愁も感じられて、でも確かに血の通った、体温を持つ "ニンゲン" の歌。このライブ、この会場のためのアレンジだ。
ツアーが終わった後の短い時間であれを仕上げてきたのかと思うと改めて彼の音楽への、ひとつひとつのステージへの向き合い方に驚かされる。
それは、彼が深く信頼するこのバンドだからできたアレンジであり演奏だったのだろうと感じた。
終盤「ないしょダンス」を歌い終わった後に、すばるくんは言った。
「ここにいる皆さんと、画面越しで観てくれてる皆さん、伝わりましたよ。あの、皆さんの熱が。伝わって、すごく…あの、伝わっていると思う、そっちにも。あの、熱いです…最高です」
時折り言葉に詰まりながら、今の気持ちに一番近い言葉を探すようにたどたどしく、熱く誠実に。
どこにいてもどこで歌っても、すばるくんはすばるくんだった。
いつもの爆音で、どこまでも突き抜ける声で。
ただただ自分の音楽を届けてくれた。
でもそれだけではなく、ビルボードの会場ならではの「ワレワレハニンゲンダ」のアレンジやカメラを使ってのアピールや演出もあって。
これまで自分が生きてきたエンターテイメントの世界への、愛情と誇りをも強く感じた。
babu会から全国ツアー、その後のビルボード。今年の活動の集大成のようなライブだった。
すばるくんの音楽はすばるくんの中からしか生まれないから、バンドメンバーの方は彼の出したい音を理解するために、すばるくんをまるごとわかろうとしてくれるんだと思う。
すばるくんの音楽をすばるくんごとわかってくれて、彼の出したい音を、時にはそれ以上の音を出してくれている気がする。
後に更新してくれたShubabuのデジタル会報。
その中の "渋谷すばるBAND" アフタートークを読んでその思いを強くした。
最高の仲間と出会って心を開いて音を鳴らして可能性を広げていって。
いろんなモノを一人で抱え込まなくてもいいと気づいたからなのだろう。
今回のツアー、すばるくんはとても自由だった。
独立以来どこかで彼を縛っているように感じられた "一人になったということ" 。一人で頑張らなければならないという想い。そのことからもようやく解放されたように感じられて、それがとても嬉しかった。
そういえばライブのアンコール、『二歳』ツアーの時は一人残って自らのギターだけて歌っていたすばるくんが、今回は最後にバンドメンバーと手を繋いで挨拶をしてくれていた。
固定のバンドではないから、これからもきっとメンバーの入れ替わりはあるのだろう(今のメンバーでできる限り続けてほしい想いはあるけれど)。
だけどこの先もすばるくんのバンドの原点は、間違いなくこの5人、対等の立場で音と熱をぶつけ合い時に委ね合い、同じ場所を目指して高め合っていける、本間先生が "渋谷すばるバンド" と呼んでくれたこの5人であるのだと思う。
2023年『ひみつのなっちゃん。』と「ないしょダンス」、そして これから
すばるくんには、歌が必要なのだ。
歌でなら丸裸でありのままを自分を委ねられる、バンドに、聴き手に。
理不尽なことがあふれているこの世界にさえ寄り添って、想いを届けることができる。
だから彼は繰り返し歌う。
「歌を歌わせていただけませんか」
「歌が必要だ 俺にはどうしても」
「大きな声で 大きな音で 世界を鳴らせ」
「ここに全部あるぜ だからここにいるぜ」と。
いろんなことをいったん置くと。
もう歌うことができれば、彼のことをわかって受け入れようという人だけでいいのかもしれない、彼自身もそう思っているのかもしれない。
そんなふうに思ったりもしたけれど。
だけど、それは違った。
2023年の年明け、映画『ひみつのなっちゃん。』の公開とその主題歌「ないしょダンス」のリリースに合わせて怒涛のプロモーションが始まった。
主題歌制作というタイアップを任されたこと、そして田中和次朗監督や滝藤賢一さんと想いを交わし合えたこと。
この映画との出逢いも、とてもとても大きなものだったと思う。
そのプロモーションの中、雑誌やwebでいくつも企画された田中監督や主演の滝藤さんとの対談、すばるくん個人のインタビューがあって。
そこですばるくんが何度も言っている言葉がある。
「ライブに来る人たちを楽しませたい」
「みんなを笑顔にしたい」
「自分に関わる人たちを幸せにしたい」と。
そして今の彼の立ち方のことを。
少し長くなるけれど引用させていただくと。
「…俺ね、自分がやってることって、すごいことやと思ってんねん。これはね、語弊を招く言い方かもしれへんけど、偉そうな意味で言ってるわけちゃうの。本当に責任のあることやと思っているというか。俺ね、俺の音楽を聴いてくれる人達の人生を預かってると思ってやっているんです。俺のちょっとした一言で、人生が変わってしまう人もいるかもしれないと思ってやっているから。だからいい加減にやりたくないし、自分を卑下する感じではみんなの前に立ったらあかんって思ってて。だから、一切手を抜きたくないし、本当にちゃんと向き合ってそこに立ちたいと思ってんねん。嘘もつきたくないし、隠し事もしたくない。本当に正直にみんなと向き合いたいって思っているから。みんなはそれくらい俺のことを大事に思ってくれていると思うから、俺も本当に大事にしたいし。だから頑張るし、頑張れるんだと思っているので」
この言葉を読んだ時、涙がこぼれた。
すばるくんが自分の音楽に対して責任とプライドを持ち、ファンである私たちのことを大事に思ってくれている。そして私たちがすばるくんに寄せる思いも、しっかり受け止めてくれている。
なんて幸せな関係だろう。
そしてその後で
「…みんなを元気に、笑顔にしていけたら嬉しいなと思います。出逢えているみんなはもちろん、もっともっとたくさんの人達に知ってもらえたらいいなって思ってます」と伝えてくれた。
すばるくんが顔を上げて前を見ている。心を開いてもっと広い世界に飛び込んでいこうとしている。そんな彼がまぶしくて頼もしくて。
ひとり歩き出した時と同じように、今また新しい出発に立ち合わせてもらえている気がしてる。
(渋谷すばる 映画『ひみつのなっちゃん。』×主題歌「ないしょダンス」インタビュー 前編より ↓
すばるくんはファンの前ではどこまでも正直であろうとしてくれる。
正直であることが、プライドを持って芯を曲げずにいることがファンに対する一番の誠実さであり愛なんだとちゃんとわかってくれている。
それはたぶん、自分のファンは重いと笑っていたあの頃から変わっていない気もするし、ひとり歩き出してからのファンとの関わりの中でその想いを強くしていったのだとしたら、こんなに嬉しくて幸せなことはない。
でも同時に、そのことで傷つく人がいることも彼は知っている。
だから無理することなくそれぞれの気持ち、それぞれの距離感、それぞれのタイミングで、と。自分は変わらずに歌い続けているから、と何度も言ってくれるのだと思う。
自分を好きでいてくれる(いてくれた)人を傷つけたくはないから。
やさしいひとなのだ、とても。時にもどかしいほど不器用に。
守るべき大切な存在が増えて、信頼できる最高の仲間と出逢って。
今までの出来事も感じた想いもすべて抱きしめてきちんと自分の中におさめて、前を向いている。
今のすばるくんはとても自然で、とても自由だ。
そして、やっぱりひとつのこと以外はどうでもいいと思っているのかもしれない。
"自分の音楽で、表現で、みんなを幸せにしたい" ということ、それ以外は。
だから、想いを伝えるためにわかりやすく言葉を尽くすことを厭わなくなり、昔はコンプレックスにさえ感じていた自分の容姿を武器にすることもできるようになったのかもしれない。
すばるくんのスタッフさんが、SNSのアカウントを開設した時の言葉を思い出す。
「渋谷すばるの歌、そして音楽をもっとより多くの方々に聴いていただき、感じていただきたい」
本当に。本当にそう思う。
私がすばるくんの歌に救われてこの世界に繋ぎ止めてもらったように、彼の歌が誰かの心に届いて、この世界をもう一度愛してみようと思う、そんなことがきっとあると思えるから。彼の歌にはその力があると信じられるから。
すばるくんを好きな人はもちろん、彼を好きだった人、まだ彼を知らない人、少しだけ知っている人…どうか今の彼の歌を聴いてほしい。その姿を観てほしい。すばるくんはそこに答えを全部込めている。
すべてはまた、そこからだと思うから。
そこで離れるのも距離を置くのもその時の正解。
彼は誰も否定しない。また近づきたいと思った時にはきっと笑って応えてくれる。
ツアーの最後にファンに聴かせたいと思って作ったという「7月5日」。
アウトロでギターを弾きながら、柔らかく微笑んでステージから客席を見渡していた、すばるくんのやさしい表情を思い出す。
優しくて凛と強く、懐かしい夕日のような、揺るぎない大地のようなこの曲が、すばるくんが届けたいと願う想いの集大成だというならば。
もう何の憂いも不安もなく、その音を道しるべに歩いて行ける。
すばるくんは止まらない。
2023年一発目のライブとして、2月5日の『ライブナタリー 5周年記念公演 “渋谷すばる × THE BAWDIES”』への出演も決まっている。
ロックの聖地、日比谷野音のステージでの対バン、お相手はTHE BAWDIESさんだ。
4月〜5月に行われるFCイベント『babu会 vol.2』の開催も発表された。
きっとこれからもずっと先頭切って、時に全力疾走で、時にゆっくりお散歩モードで、でもいつだってつま先を前に向けたまま、後ろを気にかけ寄り添いながら。
私たちをどこまでも連れて行ってくれるだろう。
信頼できる音楽があるのは幸せだ。
そこにいけば安心して心を預けられる。泣くことさえできなかった頑なな心が柔らかくほぐれて満ちて。あたたかな涙が心を潤していく。
私にとってそれは、すばるくんの音楽だ。
渋谷すばるという人間が放つ、熱くてやさしい、強くて儚い、唯一無二の音楽だ。
すばるくんを知ってからずっと、いつの彼も大好きだけれど。
いつだって今のすばるくんが最高だ。
好きでいられることがこんなにも幸せで、好きな気持ちがこんなにも誇らしい。
これからもすばるくんの想いのままに、すばるくんが信じる音楽やいろいろな表現を届けてほしい。そうすることでみんなを幸せにできる人だと思うから。
それをずっと追いかけていきたい。
願わくばずっと、すばるくんが見据える視線の先の熱のひとつでありたい。
彼が振り向いた時にそこにある温もりをつくる灯のひとつでありたい。
今、そんなことを強く思っている。
awesomeインタビュー後編。すばるくんの生き方、音楽への向き合い方。こちらもぜひたくさんの方に読んでいただきたいです。↓
渋谷すばるさんの公式サイトです。ぜひ↓
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