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ただそこにある

久しぶりの更新です。育児のことなどをもっと書くつもりでnoteを始めてはみたものの、、ななんと2年ぶりではないですか。日々思うことはあれど、文章を書く(とくに推敲する)余裕がなくて現在に至りました。余裕がないというのは主に気持ちの部分です、子供のこと家族のこと仕事のこと。医療機関に勤めているためコロナの波が来るたびに少なからず影響を受け、子供と家族の体調に神経をすり減らし、気持ちが落ちたりすることもありました。時間的な余裕のことを言えば、子供が2歳になった頃から少しずつですがゆとりのようなものを感じられる日も出てきています。

先日娘と動物園に行ったときのことを書き記しておこうと思い立ちました。2歳4ヶ月になった娘は動物が好きで、どうぶつフィギュアを並べて遊んでいるところをよく見ていたので本物のライオンやゾウを見たら喜ぶだろうなぁと思ったわけです。ところが実際の彼女の反応は拍子抜けするくらい 実にあっっさり としていました。キリンさん!ゾウさんいた!などと言いはするものの、動物園の順路を辿る道すがら、道端の草花や落ちている葉っぱにはじまり、小さな虫、石ころ、いろんなことが気になって寄り道をして、しまいにはドングリ拾いに夢中になってポケットに入りきらないほどのドングリを集めて帰ってきました。園内の傾斜のきつい路や階段の登り降りをまるでアトラクションのように楽しみ、ダンゴムシの真似をして丸まってポーズを取っている娘をみて
あぁ、このひと、目の前のことを丸ごと受け入れているんだなぁ。と感動というか感激に近い、なんとも不思議な気持ちになって胸を打たれたのでありました。人気の動物だとか珍しい生き物だなどという知識がなければ、当然そこには分け隔てをする垣根もなく アリもダンゴムシもドングリもライオンもゾウも風も空も ただただ今そこにあるもの なのでしょう。大人になってしまった私には、何事も考えずに ただただそこにある ものごとをまるっとそのまま受け入れることはとても難しいと感じてしまいます。でも子供は受け入れる、という認識すらないままにさらっとそれをやりのけている。子供というものの尊さを改めて思い知ったような気がしました。自分も周りの物事も ただただそこにあるもの として在ることは本来の生き物としての在り方そのものじゃないか!あっぱれ君は何て天才なんだ!と我が子に拍手喝采を送ったのでした。

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