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小説 呪いの王国と渾沌と暗闇の主【第一話 赤い砦の王国】

 極寒の季節、ここ東ティリエナ地方では、全ての川や湖は凍てついて、地元の人が言う所の中規模程度の雪が降ったり止んだりを繰り返していた。『静寂なシャンティ』にあるブルーニ川も、例外なくその表面を乾いた風に沈黙し、周辺の生き物たちも全てが眠りに落ちているかのように、しんと静まり返り、たまに雪の塊が枝から落ちる音がばさりばさりと木霊するだけだった。


『静寂なシャンティ』とは、国の台地を寸断するように存在する闊葉樹の群れ及び周辺の緩やかで広大な一帯を指し示す。たまに遠方から旅人などがやってくることはあるにはあるが、滅多に人の近寄ることを許さない秘境の地であった。冒険者は、しかしようやく辿り着いた内部へと繋がる小道に一つの標しを見ることになるだろう。


~旅人よ 乙女に汝の魂捧げ給え されど精霊よ命の泉へ彼を導き給え~

 とこのような古い文字で刻まれた一本の碑石岩のことである。彼は立ち入り禁止区域であることをあんに知らされることになる。いつ誰によって何の目的で作られたのか、あるいは百年前ともあるいは千年前ともいうが、さだかではない。恐れるあまり知ろうとはしない迷信深さもあるだろう。原住民の時代から樹海の秘密を知ることはすなわち死を意味していた。つまるところ、これが静寂な~と呼ばれるようになった由縁である。

 この大森を背景に、森林の途切れた場所、また、遙か彼方に首都ブレ・ブレッソン市の城砦が見える。


 砦の都の上空には、濃い青色が地平線の彼方まで続いていた。暖かな疾が吹きあれて、陽の光は草花を応援し、それらを活き活きと耀かせ、いまにも落ちてきそうな白雲は真っ黒な陰影をおとしながら悠々歩いている。


 崖の上にある砦の都には東西南北に四つの門があり、門の両脇には大理石で作られた伝えの守護神・有翼の裸体像が左右に設置されているのだが、そのうちの一つ、鷲門にある像の眉間に、なんともいえない原始的な作りの斧が突き刺さっていることに、早朝、見回りにやって来た兵が気づいたのだ。

 いちはやく駆けつけた鷲門の管理者ベネット侯爵と彼の従者が幾人、軍人将校数名、それから彼らの周りに、弧を描くようにして見張り兵たちと混じって、どこからか聞きつけてやってきた野次馬たちが群がっていた。群衆が、次々に口走った。

「おい!どうしたんだ、なにがあった!」
「見ろよ!ひどいことをする奴がいるもんだ!」
「なんだあれ!」
「おっかねぇ、天罰がくだるに違いない」
「罰?縁起でもないこというなよ」
「当たり前だろう!」
「罰当たり!神に祟られるぞ!」
「祟られる!」
「なんだって?祟り?」
「お、、おい、まさか、俺たちみんなにあたるなんてこたぁねぇよなぁ?」
「俺たちには関係ねぇ、冗談じゃねぇ!とっとと犯人をみつけろ!」
「そうだ早く見つけろ!」
「見つけろ!」

 見つけろ、見つけろ!といった複数の声が、徐々に脅迫的な声になり、群衆が制服たちに向かって叫びだした。彼等を沈めなければならなくなったことに制服たちは苛立だった。しかし事態はほどなくしてすんなり収拾を迎えることとなる。

 そこへ、数人の兵たちに護衛されながら一人の若者がさっそうとした足取りで現れたからである。


 人垣が一挙に二手にわかれ、一堂は静まりかえった。

 紫紅色の外套をひらめかせながらやってきた猛々しい若者に誰もが無言で頭を低く下げた。その場の空気を一瞬にして硬直させたこの人物、彼こそが、この国の実質支配者である。尊称は大公殿下。灰色の瞳と漆黒の髪の青年。目の下の静脈がすけていて青白く見え、切れ長の目が鋭い眼球の動きをみせると凄みのある顔つきになる。気位の高いはねあがった眉毛、男らしい鼻筋、血色のいい唇。いっけん、身分らしからぬ鍛えた体つきをしているため軍服を身に着ければ若い将校と間違われるかもしれないが、明らかに違うのがわかる。物腰が優雅であった。と同時に血統というものが身体のまわりにみえない壁を作りあげ、簡単に人を寄せ付けない近寄りがたい雰囲気を漂わせている。


 大公は人々に恭しく道を譲られながら現場の前に立ちつくし落ち着き払った様子でつき刺さっている斧を鋭い目線で見上げた。

「なるほど、このような事態であったか」

と呟やいて徐に切れ長の瞼を閉じた。

 意識を別の場所へと移して考察しているのかのごとく、微動だにせずに。数分して顔をあげ冷静にしてこう言った。

「並みならぬ悪意を感じる。君はどう思うかね?」

と張りのある若々しい声が、と言って、後にいた男を流し見ると、男は毅然たる態度で答えた。彼が鷲門管理者ベネットである。

「はい、わたくしもそのように。しかし大公殿下、やはりこれは、(小声で)あやつの仕業でありましょうか?」

「……辺境伯のことか」

 侯爵は頷いた。

 大公殿下は、うううんと、うなって、右人差し指にはめている指輪を赤い下唇で触れながら答えた。

「いいや、それは違うでしょう。この私がよく知っているはずの男ならばね、もっとスマートなやり方を好むであろうよ。あの男は。少なくとも、このような荒っぽい武器など突き立てまい。彼なら、そうだね、きっと豪華な宝石の散ったものでも使うだろう。しかし、わからぬな。とすれば外ということになる」


「外」という言葉に侯爵が過剰に反応して顔色を赤くしていると、二人の後ろにいた軍服の男があけっぴろげな調子で大公殿下に尋ねた。

「大公殿下!あれは(と言って斧を指さしながら)どのようにいたしますか!」 

 大公殿下は少し間を置いてから、冷ややかな調子で答えていった。

「大佐?あの斧には特殊な文字が刻まれている」
「はっ!」
「では、そのように、して下さい」

 この間、野次馬達はことのなりゆきを、おそるおそる行儀良く見守っていたが、大公殿下が従者が連れてきた馬にひらりとまたがって早足で平野のほうへいってしまうのを見届けると、再びざわめきはじめた。

 大尉は背中で彼等一般市民たちを疎みながら、余裕綽々な侯爵に、おほんと、咳払いをしてから尋ねた。

「いや、あのですな、さっきの大公殿下の、そうしてください、とは、いったいどういう意味ですかね?」

 実をいえばさきほど咄嗟に返事をしたものの、言われてみてからはじめて思い当たる節がない事に気がついたのだった。


 侯爵は嫌みにならない程度に微笑んで答えてやった。

「大公殿下は特殊な文字とおっしゃられた。そういうものは、なにかしらの怪しい呪術がかかっているかもしれないから、普通の人間が容易く触ってはならない。つまりこういった類は専門家に指示をあおげと、そういうことですな」

「ふむ、なるほど!専門家ねぇ」

 侯爵の慇懃丁寧ないいまわしに、大尉は、(なるほど!)と舌打ちし、裏も表も無く素直に納得したようで、手もみをしながら背後で待機していた部下達に次々と号令していった。


「おい、おまえ!そう、おまえ!すぐに沈黙の館主をここへ連れてこい!詳しく調べさせるのだ!そっちのおまえと、おまえ、だれにもこれにふれさせてはならんぞ!周りを紐で囲って誰も近づかせないようにしろ!始末するまで数人に見張りをさせろ!さてと!(振り返ってじろりと群衆を見回しながら)市民のみなさんは!とっとと城門の中へ一人残らず入ったら、今日はもう閉じますからね。はい、いやいや管理上万が一のためなんで、ぜひとも文句なんか申さんでくれよ?頼みますよ!以上!それぞれが速やかに行動開始!」肉太の手のひらを打ち付けた。

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