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なんでnoteやってるの?

ただnoteを書いているだけで落ち着く。
書き終わったあと、これで今日も終わったって感じ。
これは日記とかブログと同じ心境なんだろうか。
日記と同じかもしれない。
ブログだとすそ野が広すぎて、ちょっとどんな人が見てるのか怖い感じがする。それでどんな人か知らない人から辛辣なコメントもらったら落ち込みそう。

日記はどうなんだろう。
そういえば高校生のころは毎日のように日記書いてた。
やるせない思いやたえられない発露があって、表現することで安心していた。
うーん、ちょっと違うな。

やっぱり誰かに見られてもいいものだし。
どんな人がわかる人からスキされると嬉しいし。

特に詩なんて表現できる場所があるだけ嬉しいし。

みんなはどういう気持ちでnoteやってるんだろう。

はやりの言葉もあるけどそういうの使うのもな。
なんか違う気がする。
承認欲求とかいうよね。本当にはやりみたいに。

その言葉ってなんか罪悪感を生じさせるような勢いあるよ。

誰かに認められたいって気持ち、あったらおかしいのかね。
私はおかしくないと思う。

小さいころ、お花の絵を描いて母親の元に見せに行ったことがある。
その時こういわれた。
「上手ね、上手っていってほしいんでしょ?だったらもうあっち行ってよ」
怒っていた。仕事で忙しくて苛々していたんだと思う。
でも子供ながらに傷ついた。
あの時の失望はいまでも覚えてる。
いらい、絵を見せることはしなくなった。一度も。

あの時、もし母親が優しく「上手ね」って言ってくれたら
もしかして私は変わったかもしれない。

もっと自信持って生きられたかもしれない。
親による呪いの言葉ってある。

そういう心に傷がある人間は、大人になっても自信が持てないことがある。
らしい。なんかの本で読んだ。

私は自信ないからここで表現したとき、スキしてもらえると異様に嬉しくて高揚感さえ感じる。
ああ、生きててよかったってことさえ思う。

ささやかな喜びを大きくできる人間なんですわ。
それはギフトなのかもしれない。
苦労したことのいい意味での代償。

水瀬そらまめ

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