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「なんのために?」占いに行くのか、その目的

先日美容室へ行ってきました。いつも楽しいひと時を過ごしています。そこで様々な話を聞くこともあるのですが、そこで思ったことを書いてみようと思います。

女性は占いが好きだったり、スピリチュアルなことが好きだったりする方が多いですね。それはなぜでしょうか?ロマンというか物語性があるからかもしれないし、自分ではわからない何かを知ることによって安心したいのかもしれないし、何かを知ることによって行動したいのかもしれません。

「ただ楽しむ」その目的であったっていいと思います。レクレーションと思っていればそれは主体的ですから。だけど救いを求めてしまったら自分という軸がグラグラと揺らいでしまい、下手したら全く違う方向性へ自分を連れて行ってしまうことさえあるなあと感じました。

占いやスピリチュアルって自分ではわからない領域の話で、検証ができないものだから「言ったもの勝ち」で信じたくないなあと思ってもどこか影響を受けてしまうことがあると思います。それがいいことだったらウキウキしたり、普段出せない力や行動へ結びつくこともあると思うんですね。だけど自分にとって望ましくないことを言われたり、運が悪いというようなネガティブなことを言われてしまうと表面では気にしないようにしていてもどこかそれを帯びて毎日を過ごしてしまうかもしれません。

何を言われても自分が主体となって「こうするのだ」と思えたらいいのになと思います。そしてそのためには自分の目的を意識しておくとブレにくいのではないかと思います。

占いってエンターテイメントでもあるので、ふらっと目的もなく行くこともあるかもしれませんが、実はその奥には自分でも気がつかないニーズがあるんですね。普段私たちはたくさんの選択をしています。私はこの文章を書きながらも、他のことをすればよかったかなあとか、この文章の着地点ってどこになるんだろうか?どうしようか?と考えています。うっすら意識に上っているもの、上ってないもの様々な選択をしています。でもそれらには目的があるんです。私がこの文章を書きたいと思ったのは、きっと占いに行ったということはより良い自分の人生を知って楽しく前向きに行きたかったのではないかなと思っていたんです。

美容師さんのお話の中である方が占い師に今は運の悪い時期だと言われたんですね。たまたまちょっとその方にとってよくないことが起きた時期でもあったので、それを受け入れてちょっと自暴自棄になっているような感じだったんです。「ああ私は何をやってもダメなんだ」という思い込みを作ってしまい、それを強化してしまったんですね。本当はそのしんどかった出来事から抜け出すきっかけが欲しかったんだと思うんです。だけどそこに主体性を持っていなかったりすると翻弄されてしまいます。

じゃあどうしたらいいのか?よく自分軸を持てって言いますけどそれってどうしたらいいんだよって以前の私はよく思っていました。

他人軸になっている時、いわゆる常識とか親、学校、会社、世間と言った外側の強固な枠組みに自分を沿わせているんですね。個人個人、あり方や感じ方、考え方は違うのにです。まずは一人の時間を持って、好きなものはなんなのか、嫌いなものはなんなのかじっくり感じてみる時間を持つのも大事です。外側に合わせることが普通になっていると、誰かと話している時に急に自分の思いを感じることが難しかったりします。他社へ対応する人格(ペルソナ)がしっかりしている人ほど、何か依頼を受ける時自分でも心底喜んで受けたとさえ思ってしまうからです。そういう時あとで嫌な気持ちが出てくることがあると思います。そこで一般的には撤回するのはちょっと大人気ないよなとか、常識に照らし合わせて自分の感覚を押し込めてしまうことがあります。

まず一人の時間で、自分の感覚を知る練習をする。そして他者との対応の中であとで出てきた違和感を、ジャッジせずとにかく何が自分にとって違和感だったのか感じて知る。もし違和感を知った自分だったらどうするかシミュレーションをする。初めはこういう作業を繰り返すことが大事かもしれません。瞬時に嫌だなあということを感じて発言していくのはまた次の段階かもしれません。怒りや悲しみに任せず、普通に自分の意見として伝えるようにすることができたら、意見を言うことが苦ではないし自分を大事にすることだとわかってきます。

目的について考えることも大事です、私はここにくるのは何が目的だろうか?フォーカスを当てていると自分の思いが見えてくるので、日々自分が選択をしている時やそのあとでもなんでだろう?と気にしていると面白いです。意外な答えが出てきたりもします。

私はこの文章を書いていて、やっと目的が見えてきました。美容師さんから聞いた方がもし私の知り合いだったら「本当はどうしたいの?どうなったら幸せ?」と聞きたいのでしょう。それはつまりその人の本来の目的に沿って、その人らしさを生きていけたらとても素敵だし、その姿を見たいと思うからです。

私は今人のあり方をガイディングしてその人が発見して馴染ませることをサポートする仕事をしています。価値基準に従って自分軸で選択して行動していく姿は、とてもしなやかな強さを持っていて、力強いのですがとても美しくもありとても嬉しいことです。年末年始の時間がある時だからこそ、社会においての自分や家庭においての役割ではなく、自分自身に戻る静かな時間を持ってみてはいかがでしょうか?

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