車いすママの日常 15(好き、の力は無限大)
実は昨年からとある取材を受けています。
きっかけは別の取材の時に私が図々しくも渡した著書をなんとその方が読んで連絡をくださったことで、これはテレビに出るわけではないものなのだけど、とても丁寧に丁寧に、今取材をしてくださっています。
その担当者とはもうかなりやりとりを繰り返しているのだけど先日電話で話している時に唐突に、
「私は木綿子さんが障害者だから取材しているわけではなくて、木綿子さんが好きだから取材をしたいと思ったんです」
と言ってくれたのが泣けるほど嬉しかった。
嬉しかったなぁ。
人に好きだと思ってもらえることってこんなに力が湧くのかと、染み渡りました。
自己紹介にも書いた通り、私には『骨形成不全症』という病気があります。
遺伝子の異常でカルシウムがうまく骨に取り込めない病気で、骨の痛み、変形、難聴や最近では心臓にも影響が出やすいとか…これまでに骨折した回数は両手では到底数えられない程です。
中学生の頃まではたとえば寝返りをしただけでも骨折をするほどで、入退院を繰り返し、その結果障害児専門の施設に入ることになり、高校三年生まで施設で育ちました。
この病気は1/2の確率で遺伝すると言われており、同じ病気を持つ母からは
「お前なんか産まなければよかった」
「お前がいるから大変なんだ」
「死ね」
と繰り返し言われ続け、
母の口癖は「ああつまんない」でした。
私がいるから悪いんだ、私のせいで母は辛いんだと思い込んでいた私は保育園の時、発作的に夜中に物干し場から飛び降りようとしました。死ねば母が喜ぶと思ったのです。その時の衝動は今思い出しても恐ろしいもので、まだ4〜5歳だった私はまさにその時持てる力の全てで『死』を選ぼうとしていました。
しかしふと、もしここで死んだら母が喜ぶのか悲しむのか、それをこの目では確かめられないではないか、と気付いたのです。それが一番知りたいのに、それが見届けられないなんて死ぬ意味ないじゃないか、そう思った私は『飛び降りる計画』を断念しました。あの時死ななくて本当によかった。子どもだと言っても私は真剣でした。子どもでも大人でもお年寄りでも、人はその時持てる力の最大で考え、動いています。だからそれを馬鹿にしてはいけないと、私は必死に思います。その人はその瞬間を、必死に考えて、真剣に生きているのだから。
その後も
「障害者は健常者と同じ土俵に立ってはいけない」
「お前の作った食べ物なんか食べたいわけないだろう、障害者が作ったものなんか汚くて誰もが嫌がるよ」
「お前はもっと苦しめばいい」
母からの言葉はとても重いものが続きました。
母は実の親から言葉の虐待を受けながら育ったため、それが影響してこのような言葉を私に投げたのだろうと大人になってからは理解できたものの、子どもの頃の私にはこれらはひどく鋭利なもので心に深く刺さりました。
しかし、私を救ってくれた人たちがいました。
私に生きていく道を照らしてくれた、ミュージシャンに出会えました。
私に「障害があっても何も変わりない」と感じさせてくれた人がいました。
私に「あなたがいてよかった」と言ってくれた人がいました。
私を、障害者、以前に、人として、扱ってくれた人がいました。
ああ私は生きていていいんだ、と思えた瞬間がたくさんありました。
旦那や息子はもちろん、学生時代の先生たち、友人、職業リハビリテーションセンターの仲間たち、職場の上司、同僚、ミュージシャン、今通っている音楽教室の先生たち、生徒仲間のみなさんももちろん、息子の病院の先生や看護師さんたち、息子の学校の先生たちも、ママ友も、
「ああ、この人に出会えて良かったなぁ」
と思える人がたくさんいるのです。大好きな人が、数え切れないくらいいるのです。
これは私が、この体で生まれてこなければ出会えなかった出会いで、だから私は、この体を、この人生を選んで生まれてきた私を心から「あっぱれ!」だと思うのです。自分を誇りに思うのです。「よくやった!自分!」と、心底思っています。
好きな人がたくさんいるってすごく幸せなことだなとずっと思ってきました。こんなに「ああこの人大好きだなぁ、出会えて本当に幸せだなぁ」と思える人がたくさんいるのに、この人生を粗末に扱ったらバチが当たるわ、と本気で思います。だから丁寧に丁寧に、大切に大切に、生きていこうと背筋を伸ばすのです。
そして冒頭の話に戻ります。好きな人がたくさんいるのは本当に幸せなことだなと思ってきたけれど、ああ、好きだと言ってくれる人がいるのもまた、幸せなことだなぁとこの時改めてじっくりと思いました。
出会いは宝です。
そして出会えたのは、私が私で生きてきたから。
だからやっぱり、
子どもの頃たくさん骨折したけど、
親から生まれてこなければよかったと言われたけど、
死のうと思ったこともあったけど、
施設に入れられて悲しかったけど、
でもその道を辿らなければ今に辿り着けなかったと私は考えるから、
だったらこの人生、今までの痛みも辛さもぜーんぶひっくるめて、
「オールオッケー!」
と思うのです。もう、これ以上ないっていうくらいの最大の笑顔で^^
久々ずしんと思ったので記録です。
私にとって大切なこと、それは『好き』という想いです。『好き』が積み重なって、そこからパワーをもらって、私のこの人生は作られているのです。まさに『好き』の力は無限大だと感じます。
大好きな人たちに大好きと伝えながら、
溢れて止まらない感謝を伝えながら、
私はこれからも生きていきたいと思います。
続く。
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