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車いすママの日常 8(不妊治療のこと)

唐突ですが、私は過去に本を出版しています。
最初の妊娠、流産、不妊治療から息子出産までを当時のブログをもとにまとめていて、2009年に文芸社さんから出版していただきました。

人間の記憶というのは時にとても都合が良いもので、特に時間が経つにつれてだんだんと強烈なイメージのものはより強烈に、曖昧なところは自分に都合よく塗り替えられていく傾向にあると感じています(あれ?私だけ?)。

なので前回の文章を書くにあたって、もう一度自分の本に目を通し、間違いがないように内容を確認しました。本には書けなかった母との壮絶な過去も少しだけ、前回の内容には取り入れました。母は最終的には子どもを望むことに理解を示してくれました。しかしそれまでの過程はここに書ききれないくらい壮絶なものがあり、やはり一度でも刺されてしまうと心にはどうしても傷が残るもので、一生消えないものなんだなというのは身をもって感じています。というわけで、母のことを語っていると今でも手が震えてくるので、これ以上は書かないことにします。

私が過去に出版した本のタイトルは『出会えた奇蹟〜車いすママより ありがとうと大好きを込めて〜』です。もう今は中古本しかありませんが、どこかで見かけたら手に取っていただけたら幸いです。

不妊治療をしていた時期の心境についてはその本がまさにリアルタイムのブログをもとにしているので、そのときの一瞬を切り取った文章が込めてあり、あれを超える文章は今はもう書けない、と思ったので細かな心の動きはここには書きません。とにかく苦しかった。毎月、もしかしたら、ああダメだった、もしかしたら、ああダメだった、の繰り返し。永遠とも思える時間でした。つらかった。悲しかった。だけどその中でも、大切なものをたくさん見つけられました。大好きな人たちがいること、たくさんの味方がいること。とても丁寧に生きることができた期間だったなと今は思います。人生に起こることはすべて、無駄なことはないんだと、今は思えます。

我が家の場合は私にも旦那にも原因がありました。私は高プロラクチン血症でした。排卵もきちんとされていないことがわかりました。旦那は検査の結果、濃度、運動率ともに自然妊娠は難しい、という結果でした。旦那は遠方にも関わらず仕事の都合をつけて、男性不妊専門の外来に通っていました。私もプロラクチンを下げるための薬の副作用に悩まされながら、でも希望を持って頑張っていました。

しかしなかなか結果は得られず、やはり自然妊娠は難しく、人工授精も可能性はほとんどなく、体外受精に該当する状態だと説明がありました。

もうこの頃はお腹の大きい人を見るのもつらく、不妊外来に通うこともつらくなっていて、混乱の中にいました。このまま治療を続けても、子どもを持てる未来はないのかもしれない。でもこのまま頑張ればもしかすると子どもがいる未来があるかもしれない。そんな堂々巡り。

我が家には体外受精をするお金はありませんでした。一度で妊娠する可能性は低い、だけど何度も繰り返し試みる資金はない。だから体外受精という選択肢は、我が家にはありませんでした。

そんな時に先生が、「もし治療をしなかったとしても、可能性はゼロじゃないからね。奇蹟がまた起こるかもしれないんだし、大丈夫」と言ってくれたのです。

この先生のことが私は大好きで、心から信頼していました。口数は少ないのだけど、絶対に嘘はつかない。先生の言葉に何度助けられたかわかりません。

それから私たちは、少し治療を休むという決断をしたのです。

少し休もう、二人の時間も楽しもう、と決めたら心が楽になりました。今までお腹の大きな人を見ると勝手に心にトゲが刺さって苦しくなっていたのに、この頃は穏やかに見られるようになっていました。楽しく生きることが一番大切、そんなふうに考えられるようになっていたのです。

そうしたら、なんと自然妊娠という形で息子がやってきたのです。驚きました。実はこの少し前、男性不妊の外来でまさかの結果が出ていました。あんなに悪かった濃度、運動率ともに「これで不妊だったら世の中みんな不妊だよ」と先生が言うくらい、結果が良かったのです。考えてみたらその時はすでに息子がお腹にいたことになります。

私は文章は生きていると思っています。その時その瞬間に「書きたい」と思って初めて、人に伝わるものになると感じています。「書かされた」文章は響かない。だからこのあとの流れについて、今後順を追って書いていくつもりはありません。私のnoteでは、私が今「書きたい」と思ったことをゆるっと綴っていきたいと思います^^

続く。

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