ソラの王 0章・プロローグ SIDEサトシ

 あなたは元気でいますか。
 私は元気でいます。
 最も、違う世界にいるわけだけど。
 無理はしてないよね。
 このままだとあなたは堕ちてしまいそうで怖いんだ。
「何があっても、僕を追いかけないでくれ」
 できれば、あなたと一緒にいたかった。
 普通の旅を、していたかった。

 ジリリリリ。
 ジリリリリリリリ。
 目覚まし時計の音が部屋で鳴っている。
「ん。もう7時か」
 眠気に負けないように重い体を起こした。
 カーテンを開けて、日の光を浴びる。
「いい天気だなぁ」
 体をぐーっと伸ばして居間に行った。

 台所で朝食を探す。
 正直な話、朝から握り飯であろうとも料理はしたくない。
「この辺に朝食専用パン保管ボックスを置いたよな」
 朝食専用パン保管ボックスと名付けた収納ボックスからクロワッサンを取り出した。
「あとは」
 冷蔵庫にある牛乳を取り出して、コップに注いだ。
「冷たい牛乳なんだよなぁ」
 1人で勝手に頷いて、クロワッサンをゆっくりと食べた。

 瞼が軽くなったところで歯を磨く。
「随分と酷い寝癖だな」
 鏡を見ると、左右に髪が跳ねている自分の姿が映っていた。
「顔洗ってからでいいや」
 まぁ寝癖だし、出かける直前に直せばいいだろう。
 そう思い今は放っておくことにした。

 顔を洗い、制服に着替えた後に寝癖を直した。
「さて、行くか」
 忘れ物がないかも見たし、準備は万端である。
 遅刻しないように、少し早めに家を出た。

 戸締りをした後、自分の家を見た。
 その家は、1人で過ごすにはもったいないぐらいの大きさだった。
 元々、3人で暮らしていたから普通に思っていたけど。
「いかんいかん」
 昔を振り返っている場合ではない。
 俺はようやく学校へと歩き出した。

 歩き出すとすぐに公園が見える。
 住宅街、ということもあり日中はそこそこの人が集まっている。
 まぁ、登校時なんて人はいないのだが。
 公園を過ぎて暫くすると郵便局が見える。
 郵便局を過ぎればスーパーがあったり、交番があったりする。
 家の地域は比較的主婦にも優しく治安もいいのではないかと勝手に思っている。
 駅前に着けばようやく中間地点といっていいだろう。
 なにせこの先には街路樹の並ぶ綺麗な道が続くかと思えば坂道が出現するのだから。
「はぁ、登りが辛いんだよ。登りが」
 そう不満を垂らして坂道を登っていく。
 坂道を超えれば、俺の通う”月ノ雫高等学校”に到着するのだ。
「やっぱ運動には持って来いだよ。この坂は」
 朝からいい運動をしたと思い、教室へと向かった。

 教室にはクラスの半分くらいの人数がいた。
 教室の隅やとある机の周りなど、グループが出来上がっている。
「今日は早いな。サトシ」
 俺は波風聡なみかぜさとし
 剣道部に所属している。
 他にも言えることはあるのだろうけど、あんまりいいことが思い浮かばなかった。
「あぁ、レオンか。今日は少し早めに家を出たからな」
「今日は遅刻だと思っていたよ」
「俺ってそんなにルーズか?」
「軽いジョークだ。サトシは遅れるなんてことあんまりないから、そんな印象はない」
 今話した青年はレオン・キングハート。
 つい最近留学してきた優秀な学生だ。
 学業はもちろん、運動神経だっていい。
 苦手なことぐらいあるだろうと思っていたのだが、そんなことはなかった。
 正に万能とはこういう人なんだろうということがレオンからは伺える。
「そういえば、ホムラはどうした? まだ来てないようだが」
「今頃坂道ダッシュでもしてるだろうな。駅前で昼飯買っただろうし」
「なら、そろそろ来てもいい頃だな」
「ああ。きっと廊下がうるさくなるぞ」
 噂をしていれば本人が隣の教室へ走っていく様子が見えた。
「昼はどうする?」
「俺はここでいい。ほむらの教室がいいならそっちでもいいけどな」
「そうだな。なら今日はここで食べることにしよう」
 昼食の約束をして、レオンは自分の席へと戻った。

 午前中の授業は眠気に耐えていたら終わっていた。
 とりあえず焔を呼んで昼飯を食べることにした。

 廊下に出ると、食堂や購買に行く生徒の姿でいっぱいだった。
 中には友達のいる教室に行く生徒もいるのだろう。
 それだけ人がいるのに焔の姿は見当たらなかった。

 焔の教室を覗いてみる。
「お、呑気に弁当出してやがる」
 少しいたずらでもしてやろう。
「焔! 飯食うぞ!」
 大声で焔を呼んだ。
 普段ならこういうことはせずに教室に入って誘っている。
「今行くからちょい待ってろ!」
 少し慌てた様子で焔は弁当を持ってやって来た。
「まったく。いつもみたいにしたらいいだろうに」
「悪いな。魔が差したわ」
 焔は仕方ねえという顔で俺を見た。
「ほら、レオン待ってるから。行くぞ」
「おう、そうだな」
 焔と教室に戻るとき、珍しい人と目が合った。

 小さい机を囲んで昼飯を食べる。
「なぁ、最近どうよ?」
 焔が話し始めた。
「どうって?」
「え? いろいろあるだろ」
 何か言いたそうに見える。
「ホムラの機嫌がいいときにそう聞くのは何かいいことあったんだろ?」
 思っていたことをレオンが代弁してくれた。
「よくぞ聞いてくれた! 実はな」
 急にまじめな顔つきになった。
 何か凄いことがあったのだろうか。
 レオンと2人で思わず唾を飲んだ。
「カレーを作れるようになった!」
「「へースゴイネー」」
「流すなよ!」
 焔に怒られてしまった。
「カレーなら前にも作ってたじゃん」
「聡、それはポークカレーだ。今回作ったのはチキンカレーだぜ」
 肉が違うだけでは、と思ったが正直なところ味が気になる。
「なぁ、今度食わせろよ」
「おういいぜ! うまいから覚悟しとけよ!」
 自信満々に言っている。
 まぁ、ハードルは上げないでおこう。
「レオンはどうするんだ?」
「俺はい、自炊しているから厳しいぞ」
 何かこぼしかけたな。
 ただ、深追いすることではなさそうだ。
「じゃあ決まりだな! 放課後に俺ん家来いよ!」
「おう、放課後な」
 それからは時間に追われつつ弁当を食べた。

 放課後、俺はひとまず家に帰ることにした。
 制服で人の家に行くのはともかく、制服でカレーを食べることはちょっと抵抗があったから。
「なんだよ。そのままレッツゴーしないのかよ」
 不満そうな顔で焔が見てくる。
「カレーをこぼしたら嫌だろ」
「なんでこぼす前提なんだよ。あ、やっぱり疑ってるんだな?」
「疑ってねぇ。あと、こぼさなくても俺は制服でその辺うろちょろしたくないんだよ」
「ああ、確かに制服でうろちょろしたくはないもんな。」
 うんうん、と頷かれる。
「そういえばホムラ」
「ん? どしたレオン」
「俺は辛い方が好みだ」
 レオンが突然好みの報告をした。
 率直に味を自分用に変えろ、と言っているように聞こえる。
「お、おう。おまえのは辛くしておくよ」
「ああ、頼んだ」
 それだけ言ってレオンは帰宅した。
「え!? おまえも1回帰るのかよ!」
「制服で出歩きたくはないからな」
 よっぽど制服が嫌いなのか、レオンは嫌そうにそう言った。
「じゃあ着替えたらすぐ行くからな」
 レオンと2人で焔に伝えた。
「絶対来いよ?」
「そりゃ行くよ」
 せっかくのご馳走だ。
 無駄にするわけにはいかなかった。

 着替えてから焔の家に行くと、えらくオシャレな人がいた。
「レオンってこんなにおしゃれだったのか……」
 焔は言葉を失っている。
 機能性の良さそうなジーンズに紺色のジャケットを着ている。
 中は変に柄物を取り入れているわけではなく、シンプルなTシャツである。
「? 俺のことはいい。カレーを作ることに専念してくれ」
「くぅ。わかったよ、ちょっと待っててくれ」
 焔はなぜか涙を拭って台所に戻って行った。

 レオンと2人でカレーを待っているとき、焔の話題になった。
「サトシとホムラはいつから仲がいいんだ?」
「ん? 覚えてないほど昔だよ。公園だったり小学校のグラウンドだったり、いろんなところで遊んでた」
 そう。
 焔こと、壇原焔だんばらほむらは俺の幼馴染だ。
 少なくとも物心付いたときからは友達である。
「付き合いが長いな」
「高校に至っては縁が強すぎるところはあるよ。志望校が被ったときは驚いたよ」
「別々がよかったのか?」
「まさか。一緒にいられる時間が長いほどあいつとの思い出が増えるからそれはそれで嬉しいさ」
「俺も、そんな友達がいたらな」
 悲しそうな表情でレオンが呟いた。
「俺ら以外の友達はいないのか?」
「いることにはいるが、暫くは会えていない」
 表情から察するに、年単位で会っていないんだろうなということが読み取れた。
「なら、会えるまでは俺らといる時間を大切にしたらいいんじゃねぇの?」
 いつの間にか、カレーを持った焔がレオンの後ろに立っていた。
「ホムラ、いつからいたんだ?」
「ついさっきだよ。カレーできたぞ、って言おうとしたらおまえらしんみりしてるから全然言えなかったんだよ」
 はぁ、と溜息を吐かれた。
「それはすまないな。さて、楽しい食事の時間を迎えようか」
 気分を入れ替えたのか、レオンの表情が明るくなった。

 カレーを食べている時間はとても楽しかった。
「おい、その辛さ平気なのか?」
「大丈夫だ。これくらいが俺の好みだから楽しみだぞ」
「そ、そう……」
 焔は自分で作ったとはいえど、心配しているようだ。
 俺と焔のカレーは程よい茶色で、辛さも中辛と言えるだろう。
 しかし、レオンのカレーは茶色ではなく真っ赤である。
 いや、赤を通り越してこれはもう黒と言っていいだろう。
「「「いただきます」」」
 3人揃って言ったものの、レオンのカレーが気になりすぎて1口目が運べない。
「んむんむ」
 レオンが最初にカレーを口に運ぶ。
 食べたときのリアクションを見たくて仕方なかった。
「んむんむんむ」
 しかし、リアクションなどなく2口目を運ぶ。
「辛く、ないのか?」
 俺は思わず聞いた。
「ピリ辛程度だな。だが、これがちょうどいい」
 このどす黒いルーで、ピリ辛?
「嘘だろ?」
「食ってみるか?」
 スプーンに乗ったカレーがこちらを凝視してくる感覚があった。
 そのせいか恐怖心が出てきた。
「あー、やめとくよ」
「そうか。残念だな」
 レオンにとっては普通かもしれないが、俺からしたらそれは激辛の部類に入るんだ。
 食べたら最後、口がやられてしまう。
「なんだ聡、チキンだなぁ」
 やれやれ、と焔が困った表情をした。
「あれを、味見するのか?」
「まぁ、作ったの俺だしな。1口も食べないのはもったいないだろ」
 焔は自分の作ったものだと言って食べようとしている。
 レオンが全部食べてくれるだろうし、無理にいく必要はないと思うのだが。
「レオン、1口分けてくれよ」
「ああ、いいぞ」
 ついにどす黒いカレーが焔の口に運ばれてしまう。
「んむんむ。ん? こ、これは!」
 カレーを口にしてから暫くして、焔の顔が真っ赤になった。
「か、辛すぎる―――――!!!」
 焔は一目散に台所へと消えた。
 やはり激辛カレーと化していたようだ。
 興味本位で食べなくてよかったと思った。

 カレーを食べ終えて、レオンと俺は帰宅の準備をする。
「今日は楽しい食事会だった。ありがとう」
 深々とお辞儀をしてレオンは感謝を伝えた。
「おお、そんなに深々と。でも、楽しんでくれて嬉しいぞ」
 焔はレオンの感謝に満面の笑みで対応した。
「じゃあ今度はラーメンだな」
「え? この流れでインスタントになるのか?」
「バカか聡。俺はちゃんと豚骨なりなんなり材料から凝ったものを作るんだよ」
「へ、へぇ」
 俺は焔がこんなに料理ができるやつだとは思ってもいなかった。
「サトシ、そろそろ7時半だぞ」
「おお、帰るとするか」
 焔が玄関まで見送ってくれた。
「じゃあな。おまえら、気をつけろよ」
「おう」
 たまにはこういった時間を過ごすこともいいことだと改めて実感した。

 レオンとは家の場所が互いに違う方向にある。
 そのため、俺は今1人で家に帰っている。
「……寒いな」
 秋ということもあり、少し肌寒く感じる。
「ん?」
 暗くてよく見えないが、重そうな荷物を持った人影が見える。
 まぁ赤の他人を手伝うほど人ができているわけではない。
 そう思って横を通り過ぎようとしていたら、
「あれ? 聡くん?」
 と声を掛けられてしまった。
 声の主を見てみれば、かなりの美人であることに驚いてしまった。
 正直、照れてしまってまともに喋れない。
「え? えーと、あ、あの」
 やばい、言葉が出ない。
「奇遇だね。こんなところで会うなんて」
 話が進んでいるように感じているが、この美人は誰なんだ。
 まじで知らないぞ。
「あ! 私のこと覚えてないでしょ?」
「覚えてないも何も、ホントに俺と知り合いなのか?」
「知り合いだよ?」 
 ほんとかなぁ。
 まるでこの人との記憶がない。
芹沢真冬せりざわまふゆ、って名前覚えてない?」
「芹沢、真冬?」
 その名前には覚えがあった。
 小学生の頃によく遊んでいた友達で、とても明るい少女だったことしか覚えていない。
「小学生の頃なら知ってるけど、こんなに綺麗だった印象はないぞ。」
「ひどいなぁ。会って早々そんなこと言うなんて」
 少し怒らせてしまった。
 何かフォローしなくては。
「ただ、その当時は綺麗というよりかわいいというのが感じたことだな」 
「か、かわいい……?」
 真冬がプルプル震え始めた。
「む、昔はかわいくないだのなんだの言ってたのに?」
「て、照れくさくて言えなかっただけだ! 自覚なかったようだから言うけど、真冬は結構モテてたんだぞ」
 まさか、ここまでヒートアップするとは思わなかった。
「そ、そうなんだね」
 真冬は顔を赤くしてう俯いてしまった。
 かなり照れてしまっているようだ。
「そうだ。その荷物、持ってやろうか?」
「え? いいの?」
「せっかく会えたしな。それに、単純に重そうだったし」
 言葉に甘えてくれた真冬は荷物を俺に差し出した。
 実際、真冬の荷物はかなり重い。
 軽く1週間分の飲食物が詰め込まれているだろう。
「お、重いな。家遠いんならちょっと休憩しながらになるけどいいか?」
「それなら大丈夫だよ。家はすぐそこだし」
 どうやらここから徒歩数分で着くらしい。
「よかった。じゃあ、行くか」
「うん、行こっか」
 2人並んで、真冬の家に行くことになった。

 真冬の暮らすアパートに着く。
「ここの3階だから、頑張ってね」
「……」
「どうしたの?」
「どうしたの、って……」
 おかしかった。
 俺が真冬を発見した時、両の手に限界まで物が入った袋がぶら下がっていた。
 その時の様子はかなり重そうに運んでいるものだったのに。
 袋が1つになったとたん、小石を持つ感覚で運んでいる。
「それ、何入ってんの?」
「1週間分の食料品だよ」
「重くないの?」
「いつも運んでるからね」
 俺は1つでも重いと感じるのに、真冬はそれを軽々と運んでいる。
 これが普段から自炊している真冬と、何事も楽して生きている俺との違いか。
「着いたよ」
 やっと着いたのか。
 それにしても重かった。
「ささ、上がって上がって」
「お、おう」
 お礼がしたいのか、すごく押し気味で部屋に入れられた。

 部屋に入って思ったことは、かなり整理整頓されているということだ。
「ごめんね、散らかってて」
「散らかってねぇよ?」
 どこをどうとったら汚いと言えるんだろうか。
「ああ、汚いのはクローゼットとかそういうの」
「覗かないよ? 普通」
 そんなことは正直気にしていない。
「それで、こんな遅くに買い物なんてよくないぞ」
「心配、してるの?」
 怒られると思った真冬は態度がよそよそしくなった。
「当たり前だろ。なんかあったらどうするんだよ」
 まぁ、こんな風に軽くは怒るのだが。  
「大丈夫だよ! この辺治安いいし」
 ははは、と笑って見せる真冬。
「はぁ。とにかく、これからは気をつけろよ」
「は、はーい」
 反省したのか、少ししゅんとなってしまった。
「その、荷物運んでくれたお礼なんだけど、たこ焼き食べる?」
 その中で、声を絞って提案してくれた。
 しかし、時間的にも帰らなければいけない。
「今日はいいかな。俺も帰らなきゃいけないし」
 断ったとき、俺はかなり申し訳なく感じてしまった。
「そうだよね」
 ああ、ついに下を向いてしまった。
「でも、次こういう機会があれば食べるよ」
「うん。じゃあ、またねってことで」
 少しではあるけど、元気になってくれたようだ。
 次に会うときはこうならないようにしよう。
 そう思って部屋を出ようとしたとき、1枚の写真が目に入った。
「真冬にそっくりだな」
 真冬にそっくりな子と並んで写っている写真だった。
「じゃあね、聡くん」
 真冬が見送りに来てくれた。
 じっくり見るわけにはいかない。
「ああ、またな」
 別れの挨拶を交わして部屋を出た。

 家に帰ってきた。
 誰もいないため、とても静かだった。
「はぁ、疲れたな」
 今日の出来事を振り返り、シャワーを浴びる。
 体を癒したあと、宿題を終わらせて少しの間リラックスした。
「あ」
 そういえば。
「次会うんなら真冬の連絡先聞かなきゃじゃん」
 あのときは疲れのせいですっかり忘れていた。
 まぁ、またすぐに会えるだろう。
 そう思ってテレビをつけた。
 つけてすぐに番組表を見たが、特に見たい番組は放送していなかった。
 番組表を閉じ、左上に表記されている時計を見ると時刻は10時を過ぎていた。
「あー、もう寝るか」
 スマホの電源を切ってベッドに横になる。
 まだ眠くはなかったが、瞼を閉じることにした。

 目が覚めた。
「……どこ?」
 そこは知らない空間だった。
 周りは若干明るく感じる。
 床は、白い。
 そして少し反射しているように見える。
 辺りを散歩してみよう。
 そうしていざ歩くと、ピチャンと音がした。
 反射しているのは床が超絶綺麗にされているわけではなく、水が張っているためだったようだ。
 少し歩くと、人影が見えた。
「――、――――――!」
 声を掛けようとしてみたが、声が出ない。
「―――!!――――――!!!」
 だめだ、2回目も出ない。
 身振り手振りで伝えるしかないのか。
 近づいてみるか。
「――、――――――――」
 人影の正体は少女だった。
 肩を叩いて話しかけよう。
 俺は話せないが。
「?」
 肩を叩くと振り向いてくれた。
「―――――――?」
「……なんて言ってるの?」
 そうだよ話せないのに話そうとしたって無駄なんだよ。
 頑張って”ここはどこ?”と伝えてみた。
「ごめんなさい。何が言いたいのかわからない」
 伝わらなかったようだ。
 悪口なら聞こえるのかな。
 試すにしても、あまりにも失礼だ。
 しかし、それで話せるようになるのなら。
「ブス、ここはどこなんだ! 言ってみろやぁ!」
 お、話せるぞ。
「え? 私ってブスなんですか?」
「そうじゃねぇ!」
「そ、そう」
 この空間では、口を悪くすれば話せるらしい。
「テメ! 悪口しか話せないのなんとかしろや!!」
「それが人に頼む態度なの?」
「―――――――」
 くそ、敬語じゃ話せないぞ。
「お願いしますも言えないの?」
「今言ったやろが!!」
「聞こえなきゃ意味ないよ?」
 こいつ後で覚えてろよ。
「お願いしゃあ!」
「いいよ」
 なんとか丁寧に頼めたと思ったら、少女は俺に平手打ちをかましてきた。
「いたっ!」
「はい、これで話せるよ」
 ほんとかなぁ。
「―――――! ――!」
 今度は悪口が封じられた。
 じゃあ普通に話してみるとしよう。
「えっと、今更なんだけどここってどこなんですか?」
 なんと、普通に話せるではないか。
 一体どうなっているんだこの場所は。
「ここ? 言っても信じてもらえるのかわからないな」
「うーん、今は夢の中なんだしさ。信じるよ」
「……夢? ああ、そっか」
 少女は一呼吸おいてから教えてくれた。
「ここはね、月だよ」
「へぇ」
「凄いでしょ」
 少女は俺を見るなり微笑んだ。
「ああ、凄いな」
 俺も、なぜか微笑|《ほほえ》んでいた。
「そういえば」
 まだ名前を聞いていなかった。
「君は誰?」
「私? 私は――」
 よく、聞こえなかった。
 聞き返そうとしても、うまく言葉が出なくなっていた。

 気が付くと、目覚まし時計の音が部屋に鳴り響いていた。
「不思議な夢、だったなぁ」
 月にいて、ファンタジーに出てきそうな少女に会って、色々と話した。
 夢であっても、意識がはっきりとしていてここまで鮮明に覚えている夢は久しぶりだった。
「ま、もうこんな夢見ないだろ」
 そう思うと現実に引き戻された感じがする。
「さて、切り替え切り替え」
 もう目も覚めたんだ。
 身支度を済ませて登校しよう。

 授業めんどくさいな、と思いながら歩いていると公園のブランコに座っている女生徒を見かけた。
 下を向いて悲しそうな雰囲気でいる。
 構うと面倒なことになりそうだったので、無視して行こうと公園を通り過ぎようとしたとき、
「……はぁ」
 と俺を誘うかのように溜息を吐いた。
 このまま通り過ぎると完全に悪者になってしまう。
 声を掛けてみることにした。
「あー、どうしたの? こんなところで」
「あ、その、なんかすみません」
 少し言い方がキツかっただろうか。
 女生徒は余計に悲しそうになってしまった。
「あ、こっちこそごめん。ちょっとキツい感じだったか?」
「そんなことは、ないですけど。迷子になってる自分が情けなくて」
 高校生で迷子になってる自分に嫌気が差していたのか。
「紅華市は初めてなの?」
「まぁ、引っ越してきてすぐですから」
「なら、仕方ないよ。ほら、俺でいいなら一緒に行こう?」
 さりげなく、救いの手を差し出した。
「えと、いいのですか?」
「困ってるんだから見過ごしたら俺が悪いだろ」
 完全に自分のことしか頭にない言い方をしたけど、本音ではある。
 こんないたいけな女の子置いていったら気が知れない。
「では、お言葉に甘えて」
「おう。そんじゃ、行こうぜ」
 体を伸ばして、日の下の道を2人で歩き出した。

 2人並んで歩いている。
 昔、こうして歩いた人もいた気がするが覚えていないのか記憶にないのか。
「そうだ。名前聞いてなかった」
 ふと、そんなことを思ってみる。
 いつまでも”おまえ”とか呼んでられないからな。
「そういえば、そうですね。私、月嶋瑠奈つきしまるなって言います」
「瑠奈、か。俺は波風聡。気楽に聡って呼んでくれ」
 これでようやく自己紹介を済ませられた。
「サトシの好物はどんなものなんです?」
「俺は、ハンバーグだな。特に肉汁溢れるジューシーなやつ」
「いいですね、ハンバーグ。まぁ、私はステーキの方が好きですが」
 可愛らしいのに贅沢なやっちゃなぁ。
「あ、他にもうどんは美味しいですね。あの出汁の利いた汁がたまりません」
「ステーキからの振れ幅が凄いな」
 好物の話、嫌いな物の話など、他愛もない会話をして距離を縮めていった。
「それで、なんで引っ越してきたんだ?」
「なんで、ですか? それは、よくわからないです。気が付いたらここにいたようなものですから」
 何かを隠しているような様子だった。
 変に深追いするのも悪いかな。
「そっか。直感みたいなもんかもな」
 そう捉えることにした。
「そ、そうですね」
「まぁ、引っ越してきたんだしさ。ここでの生活を満喫しろよ」
「なんか随分と上からですな。まぁ、言われずともそうしますが」
 会話がそこそこ続くくらいには親密になれた。
 月ノ雫での過ごし方で関わりも変わってくると思うが、月嶋がこの時間を楽しんだ様子でいてよかった。

 学校に着いた。
 ホームルームまでは時間がある。
「一緒に登校してくれてありがとうございます」
「そんな深々と礼をされても、あれなんだけどなぁ」
 そこまで感謝されるようなことだったのか。
「しかしこれも幸運でした。サトシが来なかったら今頃どこにいたことか」
「スマホのマップアプリは使ったことないのか?」
「マップ、ですか?」
 これは、使ったことがないようだ。
 しかし、その場で使い方を教えてあげたらすぐに使えていたので心配する必要はなさそうである。
「こんな便利なものがあったなんて。今まで通話しかできないものかとばかりに」
「まぁ基本は他人とやり取りするためのもんだしな」
 時間があるとはいえ、いつまでもここにいるわけにはいかない。
「では、手続きとかありますからこれで失礼しますね」
「おう。そんじゃな」
 おそらく俺と月嶋の関係はこれで途切れるだろう。
 いつも通りの生活に戻って、のんびりしよう。

 今日も和やかにレオンたちと過ごそうと思っていたのに、教室が騒がしい。
「なぁ、今日は転校生が来るらしいぜ」
「ホントかよ? 男か? それとも、女か?」
 ああ、月嶋のことか。
 あの可愛らしい見た目だ。
 さぞ男子からは人気が出るだろう。
「おはようサトシ。なにやら転校生で盛り上がっているようだが」
「おまえが留学してくるってときも、こんなだったよ。ま、男とわかってからは女子の方が更に盛り上がったけど」
 そう、レオンがやってきたときもこんな感じで盛り上がっていた。
 しかも留学生とくればわくわくが止まらないというもの。
「それで、サトシは楽しみなのか?」
「おまえだけに言うけど、俺はもう会ったからこの騒ぎを傍から見ることにするよ」
「そうか。性別は?」
「女だよ」
「なら今回は男が盛り上がるな」
「そう思うだろ? 今回は両方盛り上がるぞ」
 レオンは目を丸くした。
 不思議なんだろうな。
「まぁいい。それより、今日の昼はどうするんだ? 俺は食堂でも構わないが」
「いや、今日も弁当だよ。場合によっちゃ焔の教室で食べるけど」
「わかった」
 会話が一段落ついたところで、担任がやって来た。
「おまえらー、着席しろー」
 担任の掛け声でクラスメイトは全員自分の席に戻った。
「……あれ?」
 俺の隣の席が空いている。
 まさかな。
「さて、みんなが楽しみにしている転校生の紹介だ。静かにするように」
 みんなが静かになったところで転校生が入ってきた。
「それでは、自己紹介ね」
「は、はい」
 入ってきたのはもちろん月嶋瑠奈。
「すげーかわいい」
 感嘆の声が男子生徒から漏れ出した。
「メアド欲しいなぁ」
 俺の予想通りだ。
 女子生徒もかわいいから盛り上がってきた。
「つ、月嶋瑠奈です。よ、よろしくお願いします」
 だいぶ緊張している。
 レオンのときもそうだったが、この後起こることはあらかた予想できる。
「好きな食べ物はー?」
「趣味は何?」
「彼氏いるの? どんな人がタイプ?」
 この質問責めである。
「こらこら、月嶋が困ってるだろ? そういうのはゆっくりやっていくように」
 担任から注意されてしまうほど騒がしかったな。
「それでは月嶋の席だが、本人の希望で波風の隣になった」
「……へ?」
 男子生徒の視線が痛い。
 女子生徒はなぜか納得してるし。
「こ、これからよろしくお願いします」
 また、深々とお辞儀をされようとは思わなかった。
「あー、よろしくな」
 朝の騒ぎはひとまず落ち着いた。
 月嶋との縁が濃くなっている気がしなくもないが、気のせいだろう。

 午前中の授業は、月嶋が奏でる腹の音を聞いて過ごすこととなった。
「サトシ、昼飯の時間だぞ。ツキシマさんの机周りに人は集まっていないようだし、ここで食べるか?」
 教室を覗いている人はかなりいる。
 しかし、入ってくる様子はなさそうだ。
 さらに、昼食を摂る場を考えているときに月嶋の方から視線を感じる。
「……」
 俺は、
「あー、ここで食べるよ。悪いけど焔呼んできてくれ」
「わかった。それじゃ、俺と焔が来るまでは空腹に負けるなよ」
「うぃー」
 レオンが焔を呼びに行ってる中、月嶋の飯事情を聞いてみよう。
「俺を見たって何も出てこないぞ」
「べべ、別に見てないですよ。別に」
「俺の弁当を分けてやろう」
「え! いいんですか!?」
「見てんじゃねぇか。昼飯目当てで」
 はっとする月嶋。
「昼ごはんなら、パンがありますから大丈夫ですよ」
「ホントかなぁ」
 疑いの目を向けると月嶋は鞄をゴソゴソと漁り始めた。
 鞄からは次々とパンが出てくる。
 あんぱん、食パン、カレーパン、クロワッサンとありとあらゆるパンが山となっている。
「それ、全部食べるのか?」
「そうですよ?」
 このくらい当たり前だよね、という視線を向けられた。
「聡、飯食うぞー」
 焔がレオンを引き連れてきた。
「いやー、教室前は少し人が多いな」
 入るのに少し苦労したであろう小言を吐いた。
 そして月嶋の机を見て驚いている。
「おお、パンの山ができとる」
「まあ、うん。転校生の月嶋のものだけど」
 焔は月嶋を見るなり固まってしまった。
 かわいい、と思ったから固まったんだな。
「ああ、いかんいかん」
「ホムラ、顔が赤いぞ? 何かあったか?」
「レオン、触れてやるな」
 レオンが焔が照れて赤面した理由を聞いたが、それは止めた。
 さすがに本人がいる前でかわいいからなどと口にするのは恥ずかしいだろうしな。
「ツキシマ、隣で騒がしくなるかもしれないが許してくれ」
「えと、レオンさんでしたっけ? 食事は楽しくするものですから、周りが不快に思うことをしなければ大丈夫ですよ」
「そうか。あ、俺のことは呼び捨てで構わないぞ」
「そうですか。では、これからはレオンと呼びますね」
 ふふふ、と上品な雰囲気で対応している。
 朝のあのかわいい雰囲気はどこへ行ってしまったのだろうか。
「じゃ、食べるか」
 俺の机に3つの弁当が並べられる。
 しかし、会話は弾まない。
 なぜなら、緊張しているからだ。
「あ、そういやさ。聡は月嶋さんと話したのか?」
 焔が緊張している空気を壊した。
「ん? 登校時にちょっと話したぞ。もっとも、レオンと話してた感じの上品さはなかったけど」
「どんな感じだったんだよ」
「可愛らしい感じだぞ」
「そっか」
 そうしてハンバーグをもぐもぐと食べる。
 だいぶ緊張も解けた頃、焔の後ろからひょっこりと顔が現れた。
「可愛らしい、って私のことですか?」
「ぎゃ!!!!」
 焔が過剰に反応する。
「そりゃそうだろ。モテたりしてなかったのか?」
「あ、うん?」
「んと、男から声とか掛けられたことない?」
「それはもう、数えきれないほどに」
「それがモテてる、ってことだな」
 モテる、という言葉は知らなかったらしい。
「なぁ、持参してきたパンはどうした?」
「どうしたもこうしたも、私のおなかの中ですが何か?」
「え?」
 ちらりと月嶋の机を覗いてみると、富士山ならぬパン山はもう消えていた。
 本当に食べきるとは。
「あ、そのお肉もらってもいいですか?」
 可愛らしいのに食い意地張ってるなぁ。
「いいけど」
 ほれ、と弁当箱を差し出したが、食べる気配はない。
「サトシ、ツキシマは箸がないから困ってるんじゃないか?」
「なるほどな。ほれ、食っていいぞ」
「えと、あーんとやらではないのですか?」
「それはまだ早い」
 少し親密になっただけなのに、あーんはハードルが高いぞ。
「レオンは、おにぎりだけでいいのか?」
「食べすぎると眠くなるからな」
 がっつり食べている月嶋は午後の授業で寝るんだろうな。
「私は寝ませんよ?」
 視線で伝わってしまったか。
 そして、俺の弁当は見事に食べ尽くされてしまったようだ。
 空になった弁当箱が、帰ってきたのだから。
「聡、ドンマイ」
「……くそぅ」
 焔に励まされて少し悲しくなった。
「どうやら、もうすぐで昼休みが終わるな」
 時計を見たレオンが知らせてくれた
「俺は戻るわ」
「おう」
 さて、午後の授業の準備をしなくては。
「あ、私はゴミを捨てに行きますね」
 月嶋は大量のパンの袋を持っていくのかと思ったら、使用済みティッシュしか持って行かなかった。

 教室に戻ってくると、月嶋は少し明るくなっていた。
「いいことあったのか?」
「ええ、友達が1人増えたかもしれません」
 こやつ、また上品に話しているぞ。
 一体、何が基準でこう切り替わっているのだろうか。
「そっか。そりゃよかった」
「おや、嫉妬ですか?」
「んなわけないだろ」
 まあ、月嶋であることに変わりはない。
 とりあえず、寝るとしよう。

 目が覚めると、窓の外は紅くなっていた。
 もう放課後のようだ。
「まさか、あれからずっと寝るとは」
「ん、月嶋か。レオンは?」
「サトシが起きないものですから、先に帰りましたよ」
 かなり迷惑を掛けたようだな。
 とりあえず、
「あとでノート見して」
「えぇ。私の字、汚いですよ?」
「構わん構わん」
 ノートはなんとかなりそうだ。
「では、帰りましょうか」
「そうだな」
 夕日に照らされた街を歩いて、帰ろうか。

 夕方ということもあり、人がちらほらと歩いていた。
「そういえば、昼休みにリオに会いました」
「リオ? ああ、久城くじょうか」
 友達になれたかもって言ってたのは久城のことだったようだ。
「どうだった?」
「どうもこうも、親切な人でしたよ」
「そっか」
 俺と久城は接点がないから、よくわからないな。
 凄く不思議な雰囲気があるように感じているのが正直なところである。
「サトシと比べたら、まだ好感度は低いですけどね」
「な、何を急に言い出すんだよ」
「露骨なアピールをしたまでですよ」
 好きな男でもないのに、そんなことはしないで欲しいなぁ。
「そういや、一緒に歩いてるけど家はどこなんだ?」
「……襲う気ですか?」
「バカか。遠いのかどうかが気になるだけだ」
 ああ、と表情を変えると共に考え始めた。
 そして出た答えが、
「家の場所、忘れました」
 と、驚くを通り越して頭が真っ白になってしまった。
「お、おう?」
「ですから、家の場所を忘れたんです」
 引っ越してすぐだから、という理由では済まなさそうなのだが。
「住所はわかるのか?」
「もちのろんです」
「それなら、マップアプリに住所入れれば場所がわかるぞ」
「おぉ、そうでしたね」
 朝教えたことが役に立ったみたいだ。
「ふむ、ここのようです」
「どれどれ。お、真冬の家の近くだな」
 表示された場所は真冬の暮らすアパートだから、ひょっとしたらここなのかもしれないが。
「これで安心だな。のんびり行こうぜ」
「え? のんびりは嫌ですよ。ごはん食べる時間が削れるじゃないですか」
 こやつ、そんなに飯が食いたいのか。
「ほら、肉まん買ってやるから我慢せい」
「肉まんは嫌いです。あんまんがいいです」
 そんな、具材が変わっただけだろうに
「あ、具材しか違わないただの饅頭だと愚弄しましたね?」
「え! いやぁ、そんなことは」
「いいでしょう。今夜は家に泊まってください! 食の大事さを思い知らせてやりましょう」
 ああ、面倒なイベントが発生してしまった。
 めんどくさそうな俺を横にやる気満々な月嶋が歩いている。
 今日は遅くなりそうだな。

 マップアプリのおかげで月嶋の家まで着いた訳だが、驚くべきは真冬の部屋の隣であったことだ。
 これなら、真冬を頼ることで面倒ごとを減らせるかもと思っている。
「さぁ、覚悟してくださいね」
 もう、燃え尽きるまでどうにもならないのか。
 饅頭のことを表情に出さなければよかった。
「あの、作りすぎないでくださいね」
 下手に出てお願いをしてみる。
「大丈夫ですよ。私も食べきれなかったら芹沢さんにも分けますから」
「芹沢を知ってるのか?」
「まぁ、挨拶しましたから」
 道に迷ったのは出る時間が合わなかったからなのか。
 真冬と遭遇していたら、俺は月嶋とは少ししか喋らなかったかもな。
 ターニングポイントは小さいことでも生まれるもんだ。
「何を感心しているんですか? ほら、食べますよ」
「え? もうできたのか!?」
「昨日の作り置きです。今日食べようと思っていたのですが、気が変わりました」
 そうですか。
 それを俺が食べろということですか。
「それでは食べてください」
 そうして食卓に出したものは肉じゃがだった。
 ほくほくのじゃがいもが美味しそうだ。
「そんじゃ、いただきます」
「どうぞどうぞ」
 1口目は緊張するな。
 不味かったらどうしようという感情が出てきてしまう。
「あむ。んむんむ……!!」
 こ、これは!!
「すごく、美味しい」
「ならよかったです。じゃんじゃん食べちゃってください」
 箸が進んで進んでしょうがないぞ。
「はっ!」
 気が付いたらタッパーは空になっていた。
 もう完食してしまったみたいだ。
 まだ、食べたいと思っている自分がいる。
「2品目できましたよ」
 次に出てきたのはサンマの塩焼きだ。
 これまた香ばしいものだ。
「んむんむ……うまい」
 また食べきってしまった。
 これは、俺の腹を破裂させる会なのか。
 そうなんだろうか。

 俺が満腹になった頃、月嶋は白米を5杯食べていた。
 おかずは俺と一緒だが、白米の量は桁違いなものである。
「私も、満腹を迎えてしまいましたね」
 お残しは回鍋肉のみ。
 人数で表せば1人前というところだろう。
「真冬には俺から届けるよ」
「真冬? 芹沢さんの下の名前ですか?」
「ああ、そうだよ」
「それではお願いしますね。私は食器を洗ってますから」
 この機に真冬の連絡先を聞いてしまおう。

「うわ、もう夜じゃねぇか」
 気が付いたらもう月が見えていた。
「とっとと済ませて帰るか」
 そうと決まれば、真冬の部屋のインターホンを鳴らすとしよう。
 ピンポーン。
「はーい」
 鳴らしてから数秒で真冬が来てくれた。
「よっ」
「聡くん、どうしたの?」
「月嶋、いるだろ?」
「?」
 真冬のこの様子、本当に挨拶したのだろうか。
「ほら、隣の人」
「あ! あの大人しそうな子ね! それがどうしたの?」
「学校で仲良くなって、手料理をご馳走になったんだけど多くてさ。分けようと思ってきたんだけど」
 というか、今していることは普通に考えたらやばい気がするのだが気にしすぎだろうか。
「あー、うん。受け取るね」
 渋々受け取ってくれたあたり気に障ってるよな。
「用って、それだけ?」
「ああ、それと連絡先聞いておこうと思って。この前聞きそびれちゃってさ」
「あぁ、確かに。じゃあスマホ出して」
 連絡先の交換はすぐに終わった。
 ちゃんとできているかを確認してみる。
「アイコンかわいいな」
 真冬のアイコンはチワワだった。
「そうでしょ。友達が飼っててね。かわいいから撮らせてって言って撮らせてもらったんだよ」
 えへへと笑っている。
「そっか」
「ところで、これから帰るの?」
「そうだけど、今何時なんだ?」
「8時だよ」
「え!?」
 気が付いたらそんな時間になっていたのか。
 とりあえず帰ろう。
 このままだと月嶋の部屋に泊まることになってしまいそうだ。

 月嶋には帰る旨の連絡をしておいた。
 時間的にも納得はしてくれるだろう。
 少し小走りで家まで帰る。
「ああ、君」
「はい?」
 俺と同じ背丈の男に呼び止められる。
「こんな時間に1人だと、危ないぞ」
「ああ、えと、気を付けます」
 どうやらただ心配をしてくれているだけのようだ。
「それから」
「?」
「今後君の運命が変わることが起きるのなら、私は君の敵になるだろう」
 何を言っているんだ。
「わからないままでいられるといいな」
「――あなたを敵にしないようにするにはどうすればいいんです?」
 興味本位で聞いてみる。
 殺されたくはないし。
「言ったところで回避はできないと思われる。何しろ、未来が固定されているのでね」
 聞いただけ無駄だったか。
「1つだけ言えることは、私を倒せたとしても次の私が他の誰かの敵になるということだ」
 怖くなってきたな、色々と。
「帰ってもよろしいですか?」
「ああ、いいとも。私の独り言に付き合ってくれてありがとう」
「どうも」
「最後に、名前を聞いておこう」
「波風、聡です」
 男は不気味に笑った。
「覚えておこう」
 その男のことは気にせずに帰るとしよう。

 帰ってからすぐにスマホを見ると、月嶋から連絡が来ていた。
「遅くまでいさせてごめん、か」
 まぁ、充実した時間であったことは間違いない。
 気にするな、と返信しておいた。
 気にするといえば、あの男のことは頭から離れてはいなかった。
「マジでなんだったんだ」
 夜道に気を付けてと注意してくれたのかと思えば変なことを言って消えるっていうのは不気味で仕方ない。
「風呂入って寝るか」
 風呂に入れば、この靄も消えてくれるだろう。

 風呂から上がり、明日の準備も済ませた。
 しかし、眠気はまだ来ていないようだ。
「本でも読むか」
 そう思い本棚に近づいた。
 しかし、何を思ったのか急に外が見たくなる。
「――おぉ」
 その衝動に負けて外を見ると、青白く光る満月が街を照らしていた。

 満月に1時間も惚れ込んでいた。
 気が付けば10時を超えているではないか。
 さらに都合のいいことに眠気が来ている。
「寝るか」
 電気を消して、寝床についた。

 朝日が差し込んできた。
 どうやら、カーテンを開けたまま寝ていたようだ。
「ああ、そっか」
 満月を1時間も見てから寝たんだ。
「ま、いいや。とっとと朝の支度を済ませよ」
 居間に行って、朝食を食べることにした。

 準備を終わらせて、外に出る。
 今日は穏やかな1日に、
「おはよう、サトシ」
 ならなさそうだ。
「わ、わざわざ家まで来たのか?」
「一緒に行こうと思ったので」
 別に行かんでもいいのだが、まぁ来てくれたんだ。
「わかった。一緒に行こう」
 月嶋と2人、並んで歩き始めた。

 いつも1人で歩いている通学路も、2人で歩くと新鮮なものだ。
「今日のお昼ご飯はちゃんと弁当なので大丈夫ですよ」
「ホントだろうな。足りないって言っても今度は分けないからな」
「うぐ。まぁ、大丈夫だと思います、よ?」
 自信を失くしている様子。
 今日は本当に分けるつもりはない。
 食べ尽くされたくないからな。
「ところで、今日は昼休みが長くなったりしないんですか?」
「そんなのないよ。またお腹を鳴らして昼休みを待ちなさい」
「……そうですか」
 食い意地が凄いなぁ。
 そんなことを話していると、月嶋の方から誰かが追い抜いて行った。
「あ、リオだ」
「ふぇ!」
 リオって確か。
「久城、か」
 久城凛音くじょうりお
 学校ではかなりの美人と言っていいだろう。
 そんな人を前にすると緊張してしまうな。
 そのせいで、黙り込んでしまった。
 しかし、当の久城は月嶋ではなく俺を見ている。
「? 俺を見たって何も出てこないぞ」
「え、ああごめん」
 俺は恥ずかしさを解消したい。
 久城はなぜか謝ったし。
 なんか気まずいな。
「せっかくだし、3人で行きませんか?」
 月嶋はかなりワクワクしている。
「俺は別にいいけど、久城はどうだ?」
 久城の返答次第で、俺の心は凄いことになりそうだ。
「あ~、ごめんね瑠奈。普段1人で登校してるからさ」
 あ、月嶋が振られた。
「そっか。気を付けてな」
 そんな月嶋を横に俺は久城を見送った。
 見送った後に月嶋を見ると、好きな人に振られたような悲しい顔をしていた。
「そ、そんながっかりするなよ。まだ学校生活は始まったばっかだぞ」
「……うん」
 ホントに失恋した人を慰めているような感覚で、学校まで歩くことになろうとは思わなかった。

 教室に入ると、月嶋は少しだが立ち直っていた。
 だが、まだ久城のことは話題に出さない方がいいな。
「おはようサトシ」
「んおー、おはよう」
 挨拶してきたレオンはジュースを2本持って来ていた。
「どしたのそれ」
「あたったから上げようと思ってな。コーラとコーラ、どっちがいい?」
「どっちも同じじゃねぇか」
 と言うと、レオンはラベルを指差して
「メーカーが、違うぞ」
 と前のめりに言ってきた。
 そこまで気にしてはいないが、左と右なら俺は、
「じゃあそっちにするよ」
 右の方を選んだ。
「わかった。左の方はツキシマにあげるとしよう」
 レオンのじゃないのか。
「ツキシマ、コーラをあげよう」
「え、いいんですか? レオンの分がなくなりますよ?」
「気にしないで、サトシと仲良く飲んでくれ」
「そうですか。では、いただきますね」
 この後、月嶋は危ない行動に出た。
「「あ」」
 そう、振ったのである。
「どうかしましたか? 目が点となって口が塞がらない顔をしているようですが」
「……炭酸って、知ってる?」
「シュワシュワする飲み物ですよね? それが何か?」
「振ってから開けると、泡が溢れてくるんだぞ」
 月嶋はかなり驚いている。
 おそらく、溢れ出る泡を見たことがないのだろう。
 かくいう俺もそんなに見ているわけではないのだが。
「それは困りますね」
「だろ。俺はまだ開けてないから交換してやるよ」
 そら、と月嶋のコーラと俺のコーラを入れ替えた。
 そして月嶋の振ったコーラの被害を、俺が代わりに受け止めることとなった。

 コーラで制服が濡れた俺は、ジャージに着替えた。
 1人だけ浮いた格好をして午前中を過ごしたのである。
「サトシ、食堂に行くか?」
「行くよ。焔が待ってるはずだからな」
 俺は気になった。
 今日の月嶋の昼食が。
「今日は大丈夫なのか?」
「はい! とびっきりの弁当がありますから」
 朝の落ち込んだ気分は遠い彼方へと消えたらしい。
「そっか。じゃ、ゆっくり過ごしてくれ」
「はい。心遣い感謝します」
 月嶋は一礼して俺を見送った。

 食堂は人が徐々に増えていく時間となっていた。
「とっとと注文して席取ろうぜ」
「そうだな」
 焔の言うとおりだ。
 混み始める前に注文を済ませよう。

 俺はトンカツ定食を注文した。
 極めて普通の定食である。
「サトシ、そんな普通なものでいいのか?」
「レオンが特殊なんだよ」
 そんなレオンが頼んだものは、なぜか流行しているメニューである”地獄のハバネロ山牛丼”だ。
 その名の通り、並の牛丼にハバネロが山となったわけのわからない牛丼だ。
「それで、焔はうどんか」
「朝にカレー食ったからな」
 それはそれで朝からハードなものを食べているのだけれど、レオンの方が気になりすぎて話題の戦闘力は負けているんだよな。
「いただきます」
 ついにレオンが1口目を頬張った。
 リアクションはどうなるのだろうか。
「うん。美味だ」
「えぇー……」
 常人じゃ食べれないだろうな、これ。
 そう思ったとき、
「ぎゃあああああ! 辛ああああああ!!!」
 と注文した男子生徒の悲鳴が聞こえた。
 これが普通なんだよ。
 そう思いながら、トンカツをもぐもぐと食べた。

 教室に戻る前にトイレに寄った。
「……?」
 手を洗っている最中、人が鏡に映った。
「……!」
 その人と目が合う。
「君だったのか。彼女といたのは」
「彼女? それって、月嶋のことか?」
「半分正解、だな。放課後にまた会おうか」
「お、おい待って」
 あれ、誰を引き留めようとしたんだっけ。
 さっきまで、誰かと話していた気がする。
 気のせい、なのだろうか。

 教室に戻ると、月嶋のテンションは若干上がっていた。
「なんか嬉しそうだな」
「ええ。放課後にリオと帰宅することになりましたので」
 なるほど。
 久城と一緒に帰れるということにワクワクしていたんだな。
「それはよかったな」
「はい。よかったです」
 えへへ、と笑う月嶋を横に午後の授業の準備をした。

 午後の授業が終わり、放課後になる。
「さて、帰りましょうか」
「そうだな」
 まぁ、俺は1人で帰るつもりだ。
 せっかくの久城と親睦を深める機会を邪魔したくないしな。
 そう思って先に帰ろうとしたのだが、
「サトシも一緒に帰るんですよ?」
 と思いがけないことを言われた。
「え?」
「さ、行きますよ」
 月嶋に手を引かれて、玄関まで駆け足で行った。

 玄関には既に久城が待っていた。
「俺も一緒でいいのか?」
 久城は俺を見て何か思うことがあったのか、凄い表情をしている。
「? サトシとも仲良くなって欲しかったのですがダメでしたか?」
 一緒に帰る、とは俺も久城と仲良くなってほしいってことだったのか。
「ダメというか、空気がなぁ」
 これから久城と月嶋が仲良くなって、徐々に俺も混ざるみたいな感じじゃないのかね。
 こういう場合は。
「私は別に嫌じゃないよ?」
「そ、そうか」
 久城本人はまんざらでもない様子をしているため、俺は仕方なく同行することにした。

 月嶋はルンルンと楽しそうに歩いている。
「こういうのは初めてですから、楽しみです」
「そうか。楽しい時間になるといいな」
 そんな月嶋とは反対に、
「ど、どうかな~」
 とやけに緊張している久城。
「? なんか緊張気味だな」
 そう話しかけたが、緊張のせいでそっぽを向かれてしまった。
 空気が良くなるのかという点に関して心配になってきた。
「それで、まっすぐ久城の家に行くんだっけか?」
「そうですよ。美味しいごはんが待っているのですから」
 月嶋さんは、ごはんを楽しみにしている様子。
 と、帰り道を歩いていると
「……すみません。少しいいですかね?」
 白髪の青年に声を掛けられた。
 人助けはあまり得意ではないけれど、すること自体は心がスッキリする。
 そのため、対応することにした。
「いいですよ。それで、どのような?」
「あ、今解決したんで大丈夫ですよ」
「――は?」
 この男、何を言っているんだ。
 そう驚いていると”ザク”と刺される音が聞こえた。
「ごふっ!」
 思わず吐血してしまった。
「サトシ!」
「波風!」
 月嶋と、久城の声が聞こえる。
 そこからは、何か、会話が聞こえた気がするのだが、よく聞き取れなかった。
 そして、俺は、意識を、失った。

 目が覚めると、俺は知らない場所にいた。
「ここは?」
「私の家」
 声の主は久城だった。
 手に温かい感触がある。
「目が覚めたか?」
 この手は月嶋の手だった。
 どうやら、目覚めるまで握ってくれていたらしい。
「少年、まずはあの場のことを聞きたくはないのか?」
 知らない男が話しかけてきたぞ。
 いや、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「あの場?」
「白髪の青年のことだ」
 そうだ。
 俺は腹を刺されたんだった。
「俺が死んでる間に何があったんだ?」
「蘇生してないとだけは言っておくぞ」
「お、おう。そうか」
 コホン、と男は席払いをした。
「結論から言えば、あの青年は私と月嶋もといギャラクシーが追い返した」
「?? 何言ってんだ? 月嶋は月嶋だろ?」
「私から話そう」
 月嶋が割って入ってきた。
「えと、月嶋でいいんだよな?」
「今はギャラクシーと呼んでほしい」
 ややこしいな。
「それで、ギャラクシーって?」
「私、ギャラクシーはソラの王と呼ばれる存在だ」
 わけわからん話が始まる予感。
「ほ、ほう」
「ソラの王とは、何者かの想像が具現化した存在である」
 あぁ、そう来たか。
「あ~、それで?」
「ソラの王は私と、そこにいる男スカイ。ここにはいないが、ヘブンの3人を指している」
 名前からするに、空、宇宙、天の3つが由来しているんだろうけど、続きを聞こう。
「3人はそれぞれのソラを司る存在です。私であれば星々の住まうソラである宇宙を、スカイであれば人々が見上げる青が広がる空。そしてヘブンは楽園であれと願われた天を指している。これがソラの王と呼ばれる存在だ」
「へ、へぇ」
 よくわからないから受け入れるのに時間がかかりそうだ。
「ってのはいいんだけど、青年はどうやって追い返したんだ?」
「私たちの武力行使だ」
 うわぁ。
「わかった。あとは」
 何から聞けばいいのかまるでわからないが、ひとまずは
「青年について気になることはあったか?」
「あった。1つ目になぜ私たちを知っているのかということ。2つ目に星の魔法を使用していたことだ」
 魔法については触れるべきなのか。
「あ、魔法については後日話すことにする」
 本人が後日といったから、触れないでおこう。
「今は青年についてが優先事項だ。次に聞くのは青年の目的だろうから、先に伝えておこう。彼の目的は私たちの回収だそうだ」
 回収、か。
「その青年が生み出したとかじゃないのか? だから回収するとか」
「その線が9割正しいのだろうが、私たちは創造者が誰なのかという記憶が抜けている。そのため断言はできない」
 確証はないということか。
「これからどうするんだ? 青年を追うのか、日常を送るのか」
 ギャラクシーは悩んでいる。
「私が思うのは、どうせまたあっちから来るんだろうし防犯するって形で日常に戻った方がいいと思う」
 久城が口を挟んだ。
「攻めあるのみが俺の主義なんだが、ここはギャラクシーのバディに決めてもらおうか」
 そういえば、なのだが。
「なぁ、スカイさん。俺は波風聡っていうんだ。呼び方に困っているなら聡と呼んでくれ」
「そうか。では、改めて聞こう。サトシはどうする?」
 俺の決断で、これからが決まる。
 俺は、
「攻めに行くほど、漫画の主人公はしていない。日常に戻って、常に気を張っておこう」
 じっと待つ選択をした。
 きっと、今はそうした方がいいだろうから。
「サトシ。私たちのせいで巻き込んでしまって、申し訳ない」
 ギャラクシーは深く頭を下げた。
「別に気にしてないわけじゃないけど、怒ってはない。だから謝らないでくれ」
「……そうか」
 ギャラクシーは頭を上げた。
 まぁ、青年のことは一旦置いておこうか。
「なぁ、今は月嶋じゃないんだろ?」
「ああ、そうだ」
「複雑な気分だけど、よろしくな。ギャラクシー」
 本当に複雑だ。
 今の彼女は月嶋であって月嶋じゃないのだから。
「ああ。よろしく頼む」
 ギャラクシーと握手を交わす。
 この日の夜は、星々が輝いているように思えた。












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