国際セーフ・アボーション・デー

▶️国際セーフ・アボーション・デーとは?
9月28日は、安全な中絶(セーフ・アボ-ション)を選ぶ権利が保障されることを求め、世界中の女性たちが統一行動を起こす日です。1990年9月28日、中南米の女性ネットワークが中絶の合法化をめざして活動を開始したのをきっかけに、2011年からこの日を「国際セーフ・アボーション・デー」として、世界各地で女性たちによるさまざまな活動が行われるようになりました。
日本でも2019年から、いくつかのグループがこの日を記念して行動を開始しています。
国際セーフ・アボーション・デー2020 Japan HP内「プロジェクト概要」より)

今日はこんな日らしい。
わたしの母は20年前に中絶手術を受けた。
母は4年前に亡くなった。
そのことは以前、きみが生まれなかった日に書いた。 
5月にこれを書いてから、母に対して自分が何かできることはなかったのか、何かこれからに繋げていけることはないか、ずっと考えている。
妊娠や中絶をわたしは経験していない。これからするかもしれない。一生しないかもしれない。全く自分と関係のないことではない。

7月に「中絶を決断した人に本当に知ってほしい3つのこと」というnoteを見つけた。

本当に誠実な、中絶や現在の女性の権利等について考えさせられる文章だった。
筆者のmarukoさんのTwitterをフォローし、時々見ていた。maruko さんが参加するイベントの情報をそこから知った。

【「中絶についてとことん話そう!」連続記念トーク】
9/27(日)13:00〜Youtubeライブで配信するオンライントークイベントのプログラム。

昨日、見ようと思いつつ、気分の落ち込みが激しかったりで17:30〜19:00しか見れなかった。YouTubeのアーカイブがあるので、10月末までに見ておきたい。
見た箇所について少し書いておく。

17:30頃から見たのは、「UFO(遊歩)が語るセイフアボーション」。安積遊歩さんと藤原久美子さんのトーク。途中からしか見てないので後で見返したい。

障害と妊娠、中絶について話されていた。 
「『障害を持った子供は産んじゃいけない、お前みたいな人間を相手にしてるだけいいと思え』といった優生思想が存在する」
「命は女と男、半分ずつ来るのに」
「全ての女性は助けが足りなすぎる、まなざしで追い詰められている」
「(中絶に対する)罪悪感を持つと何も進まない、そこで思考が止まってしまう」「罪悪感の餌食になってしまう」
「性教育で生理が何かも教えられていない人、それが妊娠と繋がることを知らない人がいる」
「中絶したくてする人はいない」

印象に残った言葉たち。(表現など間違いがあったらごめんなさい、聞きながら書いた自分のメモから抜き出したものです)
衝撃が大きく、消化できていない。個人の問題で済ませてはいけない、個人を語ることが社会を語ることに繋がっているのを感じた。周囲から圧を受けながらも、最終的には自分で決める。決めさせられる。話を聞きながら、母のことがよぎった。    
「罪悪感」。どう向き合っていけばいいんだろう。

17:55 からは「日本の女の健康運動 SOSHIREN女(わたし)のからだから」。大橋由香子さん、米津知子さん、長沖暁子さんの話。

Twitterで「堕胎罪なくそ」のタグを見て、堕胎罪とはなんぞや…と思っていたので解説を聞けてよかった。中絶に対する罪の意識の原因を感じた気がした。
「わたしのからだはわたしのもの」という言葉が印象に残った。

優生思想。健全な子どもを産めという圧力。過去に法律により手術を強いられた人もおり、被害者に対して国の補償や謝罪が未だに不十分だという。

堕胎罪をなくそうと呼びかけがされている意味がわかった。女性の自己決定権のことをわたしは今まできちんと考えたことがなかった。

18:15 からは海外メッセージを見た。
レベッカ・ゴンパーツさんのビデオ内での言葉。
「日本ではいつになったら妊娠される当人が信用されるようになるのでしょうか。いつになったらアボーションピルを服用できるようになるのでしょうか。全ての人がアボーショピルにアクセスできるべきです。」
世界ではアボーションピルが広まっている。
飲むことで中絶ができる。コロナ禍で、病院へ行かなくてもできる。日本はまだ遅れている。

18:35に声明文クロージングがあり、イベントは終了した。

最後の1時間半ほどしか見れなかったけど情報量が多く、まだ自分の中で整理しきれていない。性の問題、歴史や背景も含めて様々なことを知った。
長い歴史や運動があって現在に至る。女性が自分の身体を自分のものにするのがどれだけ大変か、ここまでしてもまだ足りないのか、そんなことを考えながら見ていた。
わたしは当事者でないことや、知識が足りないことで発信するのを躊躇ってしまったり、どこか自信がない。自分の無意識の中に、優生思想や罪の意識に近いものが全くないとは思えない。家族や学校、身の回り、どこかで植え付けられてきたものがあるのではないかと不安になる。それでも、こうした問題を自分のこととして考えられるようになりたい。少しずつ知りながら、自分や周りの生活と結びつけて、中絶、女性に関わる問題を考えていきたい。

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