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授業中に地図帳を見るのが好きだった

小学、中学、高校と社会の授業中には、地図帳を眺めるのが好きだった。

今じゃ当たり前な自動車にナビゲーションは付いているというものも、普及していなかった。もちろん グーグルマップなんて生まれていない時代の話。(だいたい25年前のおはなしです)

決まって社会の授業になると、地図帳を開いて自分が知っている道をたどってみたり、行ったことのある町を探してみたり
地図を普段見ている向きとは逆にしてみたり 印をつけてみたり。妄想にふけっていた。

それこそ、普段見ている景色が真上から眺められる感じが新鮮だった。

20歳を過ぎてから車の免許を取った時には、車に一冊の地図帳は必ず載せていたのを覚えている。とはいっても詳細に記載されているわけじゃないから、大きな国道以外は経験がないと、迷う事が結構あった。

現地から目的地までの所要時間も分からなければ、混雑具合もわからないから、時間を多く見積もって移動していた。知らない土地に行って、無事に見慣れた道まで帰ってこれた時には凄い安堵していた。

グーグルマップのナビを使用中に、私は、要所要所で写真を撮ってもらう事がある。
ナビゲーションされると無事に目的地まで、最短時間で到着できるのは素晴らしい事なんだろうけど、何の刺激もないし案内されるままだと、頭に印象として残りにくい。というか全く残らない。というよりも、ナビゲーションをナビゲーションしてくれる人がいないと、ナビゲーションの効果を発揮できない 笑

写真を撮っておくと、撮影した場所も記録されるので、後からグーグルマップをみると自分が今日通ってきた場所がはっきりとわかる。 
それがわかったところで、次回からナビなしで目的地までいけるかというと
そんな事は全くないのだけども 
「渋滞していたあの道は、この道だったんだ!とか 次に行こうとしている道を見ている時に、あっここは前に通った道と同じだとかが少しでも自分の頭の中に回路が開通するというか そんな感じです。

で思ったんです、時代が進化しても、高校の時と同じ事をしているなと

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