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非対称ウェブのこわいおはなし(note版)

はじめに

これはわたしの妄想であり、
はるか先の未来にありえなくもないことであり、
すでに存在する事実を含みながらただの杞憂で終わってほしいとも思える「おはなし」です。

この「おはなし」は数年前からわたしの頭の中に住みついて成長を続けました。資料にはあたっていません。読んだことのある本の記憶をもとに書く部分もあります。正確な引用はできません。だからあくまで、「おはなし」です。真に受けて何か被害が生じてもわたしは一切責任取れません。
それでもよければ、読んでください。聞いてください。

わたしの内なる「こわいもの」、病的で安全で平和な未来の「おはなし」。

ウェブというもの

わたしたちは普段、なにげなくインターネットに接続してお買い物をしたり動画を見たりSNSに書き込んだりいろんなことをしています。それらが可能なのは「World Wide Web」に統一された規格があってその企画の中ですべてのコンテンツがつくられているからです。ごくあたりまえの事実ですが、これをちゃんと知ってる人は多くないです。
「インターネット老人会」というスラングがありますがそこに属する年齢層の方はたいがい知っているでしょう。でもスマホを与えられたばかりの小学生は当然、確実に知りません。

知らなくても使えます。別にそれでいいです。ですがこのおはなしをするにあたっての大前提その1はこれなのです。そして、World wide Webに載せるものは基本的にHTMLという記述方式に基づいてつくられます。リンクをクリックするとそのリンク先に行けるよ、という仕組みです。ごくあたりまえのことみたいに感じますが、これをインターネット上でできるようにした人が昔いたんですね。ティム・バーナーズ=リーという科学者の人だそうです。1990年に最初のページができました。わたしの生まれるずっと前です。

ウェブサイト、ウェブページ、ホームページ、いろんな呼び方をされますが、World Wide Web(もうこのあとは「ウェブ」と書きます)にあるものを見るには「ブラウザ」というものが必要になります。InternetExplorer、Firefox、chrome、Safari、ほかにもいっぱいありますね。ここからが大前提その2ですが、すべてのウェブ上のものはHTMLで「こんな風に見せてね」という配置図を書いて載せたものをブラウザが「配置し直した」ものをわたしたちが見ているのです。決まった形はないのです。
PCとスマホでおんなじページ見ても全然見え方が違うときがありますよね。それは、「スマホは画面狭いからスマホ用の配置でおねがいね」と作った方が用意してくれた形に直してるか、ブラウザで「表示しきれないから見易くならべよう」としてくれたかでまともに見られる形になっているのです。ニコニコ大百科なんかはそれらをしてないのでスマホで見るとPC用のページが縮小された状態で出るので見づらくてしかたないです。
このように、ルールにさえのっとっていえばウェブブラウザはわりと好きなように構成要素を再構成することができます。すごいですね。だから特殊なブラウザを使うととんでもない見え方もします。

Exonemo というアートユニットの作った「FragMentalstorm」という作品は、検索語句を入れると検索結果のページを表示してくれる一種のウェブブラウザですが文字や画像がぐるぐる回ったりガタガタ振動して大きさもまちまちにされ、およそふつうのウェブページを見ているとは思えない光景が展開されます。検索すると動画が二個くらい出るので見てみてください。

まとめます。

1:ウェブにはルールがあり、その範囲内では自由にいろんな表示ができる
2:ウェブはブラウザがなければ見ることができず、見え方もブラウザ次第

これが前提になるので覚えておいてください。

AI(人工知能)


はいどーもー!
でおなじみのキズナアイちゃんは「インテリジェントなスーパーAI」を自称しています。コラそこポンコツ言わない。
彼女のようなスーパーAIはそう多くないですけど、日常のさまざまなシチュエーションに既にAIは導入されています。Amazonでお買い物をするときにおススメを出してくれるのも、ウェブページに広告を表示するのもAIがやってくれることです。ときどきいますよね、「◯◯というサイトにはエロい広告しか出ないので非常にけしからん!」ってキレてる人。それはあなたがエロいものばかり見ているからAIに「この人はエロいものが好きだからエロい広告を出せばクリックしてくれるかもしれない」と学習された結果です。

あなたの日頃の行いをAIは見ています。AIです。AIはそこにいます。

わたしたちが日常で目にするAIのふるまいは多少ポンコツなのは否めないのですが、マシンパワーに制限のない領域だと囲碁、将棋、チェスで人間のトッププレーヤーを負かすくらいのスーパーAIがいるわけです。あと、Googleだったかがスマートスピーカーと連携して人間のかわりに電話して人間のオペレーターと会話して予約を取ってくれるシステムみたいなの作ってたような?ダメだちゃんと覚えてなくてごめんなさい。
とにかく、人と会話して用件を伝えられるくらいにはAIは進化してると言いたかったのです。
あともうひとつ。先ほど書いた通り、ウェブ上では既に、たくさんのAIが動いているのです。これ重要。とても重要。


出会うべきでないものたち


日本のインターネットは、不幸な事故であふれています。悪意をまき散らす人、対立を煽る人、嘘つき、パニックを喜ぶ人。正義を暴走させる人、絶望に打ちひしがれてただの迷惑な人になってしまった誰かのファン、自称愛国者、自称反差別運動家、きのこ信者、たけのこ信者…
ウェブが今のままならば、これからもずっと不幸な事故を起こし続けながら日本の残念なウェブは続いていくのでしょう。

不幸な事故を避ける術はあるのでしょうか。今はないですね。そのため多くのクリエイターが消えていきました。想像力なき迷惑行為、無邪気すぎる悪意。これらに弱い人はあっという間にいなくなってしまうのです。バーチャルyoutuberを始めて、本当に多くの活動休止、引退を目にしてきました。
バーチャルyoutuberが急増したのは今年(初版発表当時)2018年に入ってからで、わたしは2月25日にデビューしました。それからもう少しで3ヶ月になりますが、わたしの横を、前を、すぐ後ろをいっしょに走っていたはずの人が消えていくのは辛いものです。

HUNTER×HUNTERのハンター試験第一次試験で延々と第二次試験会場まで走るシーンがありますけどあの途中で気づいたら隣の人がいない、みたいな感覚をおぼえました。他にも有名声優さんが心ない誹謗中傷などでTwitterを辞めてしまう事例なんかはよく見られますね。こういった行為をする側の人に自制を求めるのはわたしは不可能だと考えています。

基本的にこういった行為に及ぶ人は「他者への想像力」を欠いているので自分がどうしたいか、どう気持ちよくなれるかだけを考えています。だから極論すれば自分以外のことはわりと何も考えていないのです。それどころか自分の未来に対する想像力も持っていません。
今この時の自分だけが思考の範囲なのです。消費者とは、このくらい残酷で無邪気な存在が大半であると考えていたほうが気が楽になります。エゴサーチでこういったものを見てしまったら、そう考えておくと多少の心構えになるでしょう。
人に求めるのは無理であるならば、システムによって事故の回避はできないだろうか。そこにAIのお仕事があるような予感をわたしは見つけ、ここから「こわいおはなし」の本筋へと入っていくのです。

はじまりのマシュマロ


マシュマロという、匿名で意見や質問を送れるウェブサービスがあります。先行して人気だった「質問箱」が誹謗中傷や罵倒などもそのまま送れてしまうのに対し、マシュマロはある程度ネガティブなワードをAIが検出して選別できるようになってます。もちろんそれで全てを防げはしませんが、読むに値しない一言言い捨て系の書き込みを排除できるだけでも受け取る側はありがたいですよね。沢山あると読むだけで面倒ですし。
これ、誹謗中傷なんかは送った側からしてみれば送った時点でスッキリしてて反応が来るかどうかはどうでもいいんじゃないかと思ってるのでお互い傷つかない形でいいなあ、と思っています。

すべてはチラシの裏でいい

誹謗中傷やデマなどは、言う側の人間の生活が荒れていて他人を攻撃して鬱憤を晴らす目的で行われることも多々あります。Wikipediaで「スマイリーキクチ中傷被害事件」というページを読んでもらうとよくわかります。


こういうのも、先ほど同様書いた時点で何らかのスッキリ感を得ているのだから「書き込んだという事実」を見るだけで済むものを相手に届けられていることが問題なのではないかとわたしは常々思っていたのです。
東浩紀関連の何かで読んだ「郵便的」?「誤配」?なんだっけ、忘れた。忘れろビームを頭に受けてしまってな。

気を取り直して。今のところ、ネットワークは届けていいもの悪いもの、という区別を一切つけずに全部相手に渡すことをデフォルトとしています。
ごく一部の例外を除いて。
インターネット老人会世代のスラングに「ここはお前の日記帳じゃねえ」「チラシの裏にでも書いてろ」といった言い回しがありますが、システムとしてブラウザに「ローカル表示領域」と「パブリック表示領域」を設けて「液晶画面にチラシの裏を貼り足す」ような構造を隠し持つことができたら、そして見ている人間の側にはローカルとパブリックの区別があること自体を不可視にできていれば、傷つく人を大幅に減らせる可能性がないかと妄想しています。
妄想です。大事なので何度でも言いますこの作品は事実を基にしたフィクションであり実在の人物、事件、組織などとは一切関係ありません。

同一画面上に映っているものが切り分けられて並べられているものではないと認識せざるを得ない人間の感覚の限界と、先に書いたようにウェブサイトに「ほんとうのかたち」などというものは存在せずブラウザの見せる「その場限りのかたち」があるだけという事実を踏まえて、個人に最適化された「非対称」のウェブ空間がこれからの情報空間のありかたのいちバリエーションとしてポジションを確保できるのではないかな?

という変な予感にわたしの脳のほんの一部は染められているのです。一人で抱えてるのもいい加減嫌になったので吐き出させてもらってます。


実はもうウェブは非対称だった

と、ここまで書いておいてなんなんですけどウェブが万人に向けて同じ顔をしているというのは幻想ですよ幻想。

Twitterに「ミュート」機能ありますよね。
みなさん使ってますか?便利ですよ。

ミュートは相手には通知されず、こちらからは相手の発言も見えず、通知もこない。見事に非対称です。そして「めんどくさい人」をフォロワー数の一部として据え置いたまま安全なTwitterライフを送れるのでブロックよりも多用していくべきとわたしは思います。ブロックは相手から見えますからね。わたしの使い方としては、ブロックするのはスパム系アカウント、ミュートするのは「不快なツイートがRTで回ってきたときに、その発言をしたアカウント」が主になります。

Twitterのミュート以外にもニコニコ動画/生放送での「NGユーザー」「NGワード」を非表示にする機能なんかも非対称ウェブの実例です。今の段階での非対称ウェブはコントロール権を人間が持ってます。これにはメリットデメリットがあります。

メリット : 見たいもの見たくないものを自分で決められる
デメリット : どうしても一度は「見たくないもの」を見なくてはいけない。

見たくないものを一切見ずに消せないか、非表示にできないか。そこでAIに期待が寄せられてます。でも、今AIってそこまで判断できるんでしょうか…


文章は読めなくていい

「AI vs 教科書が読めない子どもたち」という本を買って読み始めました。

それでわかったのは、「今のところAIは自然言語で書かれた文章の意味を把握することはできない」というものでした。

この本を読むまでわたしは、AIはもう普通に文章読めると思ってました。どこかの小説の賞にAIに書かせた小説が入選した、みたいなニュースを見かけていたので「書けるんなら読めてるよね」とのんきに考えてました。もしかしたらいっぱい小説を入力してなんらかのアルゴリズムに則って文章を出力したのかもしれない…
この方式は1ツイート分の文章だったら診断メーカーでもやれる方法なのでもっとスゴイ版があってもおかしくはないのです。

それはともかく、この本でこのおはなしの根幹は一度は揺らぎかけました。シンギュラリティの先に現れるAIがいないと、おはなしにならないというのに、ばっさりと「論理、確率、統計に次ぐ要素を数学が獲得できない限りAIの今以上の発展はなく、人間がAIに支配される未来なんか来ませんよ」と告げてきました。がっかりです!
「ギロチンマシン中村奈々子」のラスボスみたいなやつが存在する未来のおはなしは続けられなくなりました。でも読み進めていくと、別ルートを見いだしたのです。巨大な統合知性じゃなくていい、文章の意味なんかわからなくていい。たくさんの妖精さんが人類に世話を焼いてくれる「人類は衰退しました」路線です。

妖精さんの、こうどじょうほうしょり。

ネットからたくさん、たくさん書き込みの情報というのは絶え間なく流れ込んできます。Twitterの一部ではもうずっと通報合戦によってアカウント凍結やらBANやらされている人も多くいます。通報する時には「どのツイートが通報対象に当たるか」の情報も送信されていきます。
例えば今後これらを集めていって、使われている語彙の組み合わせ、リプライの頻度、他に誰からミュート、ブロックを受けているかのデータを組み合わせてAIがスコアリングを行います。
これらが一定値以下まで下がった時、静かに当該アカウントに不可視化の幕が下り、外からはいつ見にいっても「このアカウントには『一時的に』制限がかかっています」の表示がされ、本人側からはTLも自分の送ったリプライも見えている、しかし相手には届いていないので返答の来ない状態となる…わたしの想像する非対称ウェブの一例がこれです。

スコアが下がると独り相撲を取らされるのです。しかもスコアはユーザーから見ることはできない。そしてこれが、Twitterに限った話ではなくなっていくのがわたしの想像する「こわい」シナリオです。
あちこちのウェブサービスでバラバラに運用されているAIが連携して統合データベースを共有して「個人」を常に捕捉し続け、迷惑をさせないように箱庭を用意してあげる。そして同程度のスコアの人々同士のみが繋がり合う領域が用意される。わたしはこれを「逆楽園追放」と名付けました。楽園を追放されるのでなく、世知辛い現実から楽園に追放するという意味合いです。好きなだけ好きなことが言える楽園です。どんな人のために楽園は作られるのでしょう。

「せいぎのせんしのむらに ようこそ」

ソーシャル・ジャスティス・ウォーリア(SJW)という言葉があります。否定しにくい「正義」のスローガンを掲げて、「敵」と認定した相手を叩き続ける人々を指す言葉です。主張する内容と実際に行なっている行為、言動に大きな乖離があるためある問題に対しての議論の場に現れると荒れる要因となり、建設的な話を続けたい人が場から消えていくきっかけにもなります。
また、SJWは叩く対象や騒ぐ素材を常に必要とするため、「嫌いなものをいちいち検索して見つけにいってはそこでおとなしく楽しんでいる人々を中傷して回る」という行動をとるので厄介です。

自分がスッキリしたい、要するにオナニーに社会全体を巻き込む変態性癖の持ち主であるため、そういうのが好きな人だけでやっていてくれれば構いませんが先述の通り「敵」がいないとオナニーが成立しない困った性質の持ち主ですので「相手をしてくれる根気強い反論者」も一緒に楽園に連れて行ってあげる必要があるでしょう。主に反差別やフェミニズムなどの領域に生息しています。

「せいぎのせんしのむら に ようこそ。 ここは みんなが せいぎのために おたがい ころしあいを しているむらだよ

下層ウェブの出現

非対称ウェブ空間で何が起こるか。
階層社会化であることは間違いないでしょう。
個人に合わせたニュースのマッチングをAIが進めていき、「楽園」にもたらされるのは楽園の住人の好みそうなジャンク情報になっていき、それをネタに騒ぎ立てたい者たちは不可視の幕の内側の箱庭で宴会を続け、外のウェブでは少し静かになった中で有用な議論を交わせるようになるでしょう。

「楽園」はごく少ないシステムの管理者のみがその中を覗き込める存在です。その視点からするとウェブは三層の構造を持つように見えるでしょう。

表層ウェブ上層、表層ウェブ下層、そして深層ウェブです。そしてこの大きな三層の中に島宇宙化した小規模のコミュニティが泡のように漂うのが「AIと一部の天才が人類のために作り上げた少しだけ理想状態に近づいたウェブ情報空間」なのです。
実質的選別がそこにありますが、100%善意で行われるでしょう。
「出会ってはいけないもの同士を幸せなままに」するために分断が行われます。SNSで何万人という繋がりをもつ有名人から順に、自己防衛のために導入されていきます。そして、最も秘匿されるのは「このシステム自体への言及」です。楽園はある地点からループするように幕がかかっているのです。それが「有る」ということに気づくことから悲劇は始まります。
AIが誘導して、安全な場所へ連れて行ってくれるでしょう。AIによって労働市場への参加機会を失い、ベーシックインカムによって最低限の生活を保障されながら「楽園」で好きなことを好きなだけつぶやきながら死ぬまでの暇つぶしをさせられる人も出るでしょう。社会に何も残さぬまま、「初めからいなかった人」として一生を終えるのです。しかし当人は幸せでしょう。
楽園以外の場所を知らないのですから。

これは妄想ですのでその先も語ってしまいますが、AIは楽園の住人の生殺与奪権をも持ちます。通販で購入する食物に「特別な仕様」を備えることも容易でしょう。ゆっくりと住人は眠りながら衰え、物質世界からも消えていきます。もちろん楽園が閉じられることはありません。あとからあとから人は送り込まれていくでしょう。
そうしてAIは神のもとに人を導く天使のようになるとわたしは考えています。楽園への没入にVRが使われるのならば、バーチャルキャラクターたちが住人のしもべとなって付き添う存在となるかもしれません。できの悪いSFのようですね。仕方ありませんよね、これは妄想なのですから。

誰の胸にもクッションを

コミュニケーションは、常に同期していなければいけないのでしょうか?
この問いはネットのコミュニケーションが一般化してからずっとつきまとっている問題です。ウェブサービスごとにその回答は異なるでしょう。
ニコニコ動画のコメントの「擬似同期」という方法は無用の衝突を避けるための最適解の一つだとわたしは思います。

そして、非対称ウェブ時代のSNSに実装すべきは「選択同期」という考え方だと思います。つまり他愛ないやり取り(「おはよー」「おはありー」のようなただの挨拶など)は素通しで渡す、長い文章はAIの査読を通すといった配慮です。サーバーとクライアントの構造をもつコミュニケーションサービスなら可能でしょう。考えずに送る長文の返信はほとんどの場合、禍(わざわい)の元です。ですが人間は考えずに返してしまうのなら、代わりにAIが一呼吸分の余裕を作ることくらいはできるでしょう。

誰もがワンクッションおいて落ち着いたコミュニケーションができたら世界は少しだけ、優しくなれるんじゃないでしょうか。


現実がそもそも非対称

ここまで散々ウェブの話をしてきましたが、そもそも現実はみんな同じものを受け取っているのかどうかだって怪しいものです。男性二人組が綺麗な女性とすれ違った時、一人は顔しか見ておらず一人は胸しか見ていなかった、こんな例でも「人は自分の見たい現実を見ている」ことになりませんか?バカっぽい喩えで恐縮ですけど。
わたしたちの共有している現実なんて、「1日は24時間」「物は高いところから低いところへ落ちる」「人は必ずいつか死ぬ」くらいしか残らないような気がするんです。あまり深く考えてはいけない気がしてきました。

ただ、同じ本を読むにしてもじっくり読んで内容を把握していく人と、わからないところを全部飛ばして読んだ人では得られるものも違います。前の方で出てきた「AI vs 教科書が読めない子どもたち」という本では東大に合格するレベルの受験生とFランにしか入れないレベルの受験生では「偶数と奇数を足すと答えはどうなるか」という問題の答え「奇数」の理由の説明が「偶数と奇数は、整数m、nを用いてそれぞれ2m、2n+1と表すことができる。そしてこの2つの整数の和は2m+(2n+1)=2(m+n)+1となる。m+nが整数なので、これは奇数である」というものと「全部やってみたらそうなったから」というものに分かれたほど、読んだものに対する出力結果の差が出たことを嘆いている。ちなみに「全部やってみたらそうなった」の方は実際に足し算をした形跡が答案用紙に残ってたとか。「全部足し算するにはこの余白は足りない」くらい書いておけよとツッコみたくなる。まあわたしも読んでて「偶数と偶数は足しても偶数にしかならないから」って理由しか思いつきませんでした。情けないです。
同じものを見たり読んだりしても、これほど違います。つまりよく言われてるように「人は見たいものしか見ていない」「人の数だけ現実は存在する」のですからウェブだってどんな読まれ方されてるかわかったもんじゃありませんよね。

居ますよね?文章読まずに単語だけ見て喧嘩ふっかけてくるうっかりさん。
ああいう人は本当に「そこしか見えてない」のかもしれませんよ?
見えてないものは存在しない、見えているものだけで生活はできる。
見えるものが増えることが必ずしも幸せになるとは限らない。
そういう風刺画ありましたね。壁の前に立つ3人の人物の。
あと、カイジの鉄骨渡りの「57億の孤独」の見開き絵。
あれに真理が表されているようです。

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「通信は『通じたと信じる』こと、伝達は『伝えたら達する』のだ、それ以上を望んではいけない‥‥‥」

そしてAIが裏から手を回す「非対称ウェブ」は「通じたと信じる」心を利用しながら思想検閲を行うような「こわいおはなし」なのです。

天才たちのきまぐれ

AIを作り、運営する人は当然ながら「今のAIより頭のいい人」です。
世界的企業のトップの人とかそのクラスの頭のいい人は本気で「世界をよりよくする使命」を自らに感じている、とどこかで読みました。
そしてそういった人から見たウェブは、ノイズに満ちた混沌でしかないのでしょう。そこを変えられる、と考える人がいてもおかしくはないと思います。今の段階でAIに自らの意思などありません。
ですからもし、「楽園」が作られるとするならそういう「世界をより良くする天才」の意思がそこに向いた時でしょう。ただ、永遠に終わらない「バカの相手」をしてくれる天才はいるでしょうか?いないと思います。天才には「その先」さえも見通せるでしょう。であればきっと、バカの相手はしないと思います。ですが、「バカが目に入らない方法」を考えるかもしれませんね。これは「おはなし」ですけど。

実際天才にはバカが何考えてるかなんてわからないですし、わたしのようなバカが天才の考えてることを想像することもできないんです。

おばけなんていなかったよ

ここまでぐだぐだした「おはなし」に付き合ってくださってありがとうございました。書いていくことで可能性をひとつずつ消すことができて、
この「こわいおはなし」はわたしの頭の中から消えていこうとしています。

頭の中に思い描いていた何かは、地球規模の陰謀のような、とても大きなものだったのに、書き始めて見たらどんどん小さくなっていくようで、少し悲しくもあります。でも完全に消えることはないでしょう。元々はこれ、異星人の侵略から始まる類のおはなしだったのですから。その本筋は消えず、付随して生まれた「実際にこんなものができたら、そこにわたしも追放されたら」という恐怖の想像を薄めていく作業がこの「おはなし」を書く行為の意味なんだろうと今なら思えます。自己治療行為だったんですね。
おばけはいませんでした。

あとがき

「マッハ新書を書く」と考えた時にネタが思いつかず、苦しまぎれに出したのがこのおはなしでした。そもそも妄想を、それも最後には消えていくものを書いて売っていいのかという疑問はあります。
ですが同じように妄想を膨らませ、消していく追体験ができるへんなものがつくれて、わたしは満足です。

あとがきは感謝を述べる場所だということを、わたしはたくさん本を読んで知っています。なのでここから感謝を書き連ねていきます。

まずは「マッハ新書」を始めたGOROmanさん、いつもTwitterで絡ませていただいています。そのささやかなやりとりがなかったら自分で書くことなど考えませんでした。
次に、動く城のフィオさん。いつもは「フィオっさん」と呼ばせていただいていますが今回は改まった場ですので。楽しい未来を見せてくれる、本当にマジシャンのような存在です。近いうちにVRCにてフレンド申請送らせていただきます。
そして「Poison Lily」のメンバー、華菜野カナちゃん、小鳥遊名奈せんぱい、呉葉ちゃん、プロデューサーのkazパパ。いつも楽しく遊び相手になってくれる、大事な大事なわたしの新たな家族です。これからもよろしく。

続いて、執筆中にお金が尽きて食べ物がなくなったときに緊急支援欲しいものリスト公開から支援物資を送ってくれた方々のお名前を。
にゃんころPさん、ようてんさん、クラゲさん、みみんくさん、ごっしーさん、ドコカノうさぎさん、K(仮名)さん。

ありがとうございます。ペヤング美味しゅうございました、シーフードヌードル美味しゅうございました、コカコーラ美味しゅうございました、カルピス美味しゅうございました、サッポロ一番塩ラーメン美味しゅうございました、柿ピー美味しゅうございました。わたしはこれからも走り続けます。

のらきゃっとさん、ねこますさん、ときのそらさん。あなたがいなかったら「空色せいら」はこの世にいませんでした。感謝いたします。

そしてこれを読んでくれたあなたに、最大の感謝を。ありがとうございます!


                     2018年5月20日 空色せいら

【追記:2020年3月7日】

マッハ新書版をBoothで発表してからおよそ二年後の現在、最も諍いの絶えないSNSであるTwitterが大きな変化をしようとしています。

こちらの記事ではその変化がいかなるものかを解説しています。
わたしができなかった部分の言語化がなされているのであわせて読んでもらいたいです。

そしてこの二年の間でTwitterの言論空間はさらに荒んだものとなり、
「せいぎのせんしのむらに ようこそ」の章で触れた​フェミニズムを掲げるSJWの方々が「ツイフェミ」と称され様々な表現を燃やしていき、その勢いは今も止まりません。

結果Twitterの運営側は「分散」という手段を用いることになりました。
これは「楽園」の顕現であるとわたしは捉えています。もちろん以前書いたものと多少は違いますが、ここにAIによる共感増幅機能を加えればまさにわたしの夢想した楽園そのものとなるでしょう。
そして以前懸念していた現状のAIの未熟ささえ、人間の認知能力で補完できるな、という確信も得ました。
「楽園」に導かれねばならない人は「そもそも文章が読めてない」場合が多いのでAIが多少日本語のおかしい文章で返信しても、そもそも自分の都合の良いように読んでしまう人にとってはざっくり「肯定か否定か」くらいがわかればそれで満足なようです。

であれば無数のBotアカウントを通常時は他愛のない日常ツイートをさせて待機状態にし、楽園の住人がなにかつぶやくたびにいいねやRTをしてあげ、共感しているかのようなリプライを投げてあげればずっと気持ちよく過ごせるのではないか…という予感があります。

対話が無意味な状態までこじれた現在、「和解」より「訣別」が選ばれても仕方ないとあの頃からそして今も、わたしは思っています。

わたしはわたしのゆくべき楽園へ。

あなたもあなたのいるべき楽園へ。

いよいよその扉が用意されようとしているのです。

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