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振り返り 祇園祭「後祭」宵山


随分と日が空いてしまいました。
祇園祭も、後祭巡行そして還幸祭(神輿渡御)・神輿洗いに神事済報告祭と続き、明日、八坂神社さんの境内・疫神社で行われる「疫神社夏越祭」で最後となります。

暑さに負けて、私は行けていない(不参加)行事も多々あり、今更ですが、祇園祭 後祭へ行ってきたお話を振り返りたいと思います!

先日、後祭りの山鉾建てと曳き初めへ行ったお話を書きましたが、
今回は、昼間の宵山へ行ってきたお話。

鷹山・昨年の白木から漆塗りのされた柱

まずは「鷹山」から。
上の写真は、山鉾建てでも紹介した「鷹山」
昨年196年ぶりに復活した山ゆえに、まだ白木の部分見られます。
ちなみに今年は、柱部分が漆塗りされ凛々しい感じに仕上がってました!

直接聞いたわけではありませんが、鷹山の方々のお話では、山鉾は次世代へ繋いでいく・後世伝えていくためにも毎年少しずつ、何十年かけて完成させていく・・・とおっしゃっていたそうです。
祇園祭という歴史や文化も長い年月を経て、いまに伝わる伝統文化であり、京都三大祭ですから(^.^)
そんな話を聞いて、私も「あ〜、そんな風に代々受け継がれ今日まで来て、こうして拝見できるというのは、すごいことだ。古き良き歴史を伝えつつ基本的なもの(基礎っていうのかなぁ。言葉って難しい!)は変えず、新たな試みや姿が観れるというのは、とても貴重でうれしいことだな」
と、あらためて思いました。

鷹山の御神体

そして宵山といえば、御神体が間近で見られる!
巡行時は、山鉾に乗っておられるので、上の写真のようにまじかで細やかな部分まで見れるのは、この宵山期間だけ!
なんですがっ!
今年新調された御神体の衣装は見られませんでした(がっかり)。
巡行の日の朝に御神体の衣装を着せ替えるそうで、この時に見ることは出来ません。そりゃそうだろ!って話ではあるんですがね(泣)
それもまた、受け継がれていく文化でもあります。
ので、御神体が見れるだけでもありがたい!ということで。


続いては、「橋弁慶山」の御神体。

橋弁慶山の御神体

巡行時は下の写真の橋の上に、向かい合わせになって山に乗っております。
この御神体はご存知の方も多いと思いますが、牛若丸と弁慶が五条大橋で出会うストーリーがルーツの山です。

橋弁慶山の橋

細かいところまで表現されていて、ここまで間近で見れるのが嬉しい!
この牛若丸、実は巡行当日、片足は一本の鉄串で立ってるそう。もう片方の足は、宙に浮いてる状態で、美しく魅せるための工夫がすごい!
どの山鉾も、お囃子をはじめ、懸装品や御神体への魅せ方というか、愛がすごいと感じます✨

後祭は、山が中心で、鉾は大船鉾1基のみ。全部で11基が巡行します。
前祭よりは少ないですが、どの山鉾もほんとに美しいです。

さて、お次もちょっとかわった鯉山。
鯉が龍門の滝滝を奔放にのぼる姿を表し、
ともに乗る鳥居と小祠に素戔嗚尊様が祀られているそう。

鯉山の鯉と鳥居と素戔嗚尊を祀る小祠

間近で見ると、今にも鯉が、天にのぼっていきそうな勢いでした。

そして下の写真は、鈴鹿山の御神体「鈴鹿権現(瀬織津姫尊)」さま。
伊勢国鈴鹿山で悪鬼を退治したというお話がもとになっているのだとか。
金の烏帽子に能面をつけているお姿です。

鈴鹿山の御神体

凛々しいお姿です。
宵山の期間だけお参り可能なので、間近で御身体を見てみてください。
意外と大きな御神体なので、少々しゃがまないとお顔を拝見するのが難しいです。

さて、後祭の宵山、一部の山鉾・御神体の拝観など語ってきましたが、いかがでしたでしょうか?御神体や懸装品などの拝観は、一部の山鉾町では有料だったり、ちまき授与で拝観可能だったりと様々ですが、山鉾巡行とは違った楽しみ方もあるんだと思っていただければ幸いです。

最後に、この記事を書きながら後祭の宵山を振り返ってみて、あらためて、長く引き継がれてきた伝統文化はすばらしいなぁと感じました。
そして自分が、このような伝統や文化に触れることが好きなのだと。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました!

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