人を救おうとする人の本当の姿とは?(スピリチュアル)
世の中には、「人を救いたい。」って志を持って、人にアドバイスしてくる人が結構います。
「ここを直した方がいい。」とか、「それではダメだよ。」って言ってきます。
最近見た洋ドラマ「パニッシャー」でこんなシーンがありました。
少し長いですが、
主人公の親友に、アフガニスタン帰りの黒人の帰還兵の友人がいて、かなり善人で友人思いで、
戦争で精神をやられてしまった帰還兵を集めて、リハビリの施設を運営してました。
そこに26歳の若い帰還兵の青年がいて、どうしても社会復帰できず苦しんでいました。
そこで青年は、再び戦いの場を求めて、ある軍事会社に入社しました。
それを聞いた、施設をやっている黒人は、それは青年のためにならないと思って、引き留めようとしました。
それでも青年は、「戦いたい。」と聞きません。
そこで黒人は、その軍事会社の社長も、自分の戦友だったので、不採用にするように頼んで、青年を首にしてもらいました。
そこまでの軍事会社での訓練期間で、その青年のすごく生き生きとした姿がありました。
青年は軍事会社を首になって、再び精神不安定になり、拳銃を自分の口に突っ込みます。
でも自殺は、出来ませんでした。
そして、その攻撃性の矛先は、政府や市民となって、爆弾テロを起こし、テロリストとして報道されます。
最後は、主人公に追い詰められて、自分の体にまいた爆弾で自殺してしまいます。
簡単に言うと、こんなストーリーもあったのですが、
最初から最後まで、黒人は良い人と扱われ、その黒人自身も、良いことをしてると思っています。
でも黒人が、セリフで言うのですよ。
「施設はみんなのためにやったんじゃない。俺が、再び戦わないように自分に言い聞かせるためだ。」って
当人も心底はわかってるのに、「人のために。」とか「人を救いたい。」とかに、すり替えちゃってるんだよね。
本当は自分のことなのに、他人にそれを「おまえのためなんだよ。」って押し付ける。
もし悪党と言う言葉が存在するならば、この「人を救いたい。」とリハビリ施設をやっている善人に見える黒人こそ悪党だ。
もし悪いと言う言葉を使うならば、「こいつが一番悪い。」と思ってしまった。
こう言う手合いは、本気で自分は良いことをしていると思っているから、とても始末が悪い。
人を救いたいの後ろ側は、自分が救われたい
「人を救いたい。」って思う深層心理の裏側は、「自分が救われたい。」なんですよ。
昔は、私も宗教団体に入って、「神のため、人のため、人類を救いたい。」と一生懸命活動して、知らない人にも布教して歩きました。
たくさんの熱心な会員さんがいましたが、どれを見ても深層心理は、「自分が救われたい。」なんですよ。
自分が救われたいから、「人類を救いたい。」とかにすり替えて熱心にやっているだけです。
これは、商売でも同じですよ。
「稼げますよ。」って誘いが来たら、そう言ってくる方が、「稼ぎたい。」ってことなんです。
まったく、余計なお世話とはこのことだ
映画の話しに戻るけど、黒人が余計なお節介しなければ、この青年は最悪でも犯罪者にはならずに戦死できた。
運が良ければ、軍事会社で出世したかもしれない。
その将来を奪ったばかりか、犯罪者にまでしてしまったのは、すべて善意でやっていると勘違いしてる、善意のお節介野郎のせいである。
しかも結局は、爆死である。
ここまで極端では無いが、親や、上司、友人からの余計なお節介で、自分の人生を生きていない人はたくさんいる。
当人のためを一番知っているのは、当人の魂なんだよ
当人がどうやったら幸せになれるのかを知っているのは、当人の魂だけなんだよ。
なぜならば、
魂が、生まれる前に人生のシナリオを書いて来るのだから、
魂は、これから起こることもなにかも知っている。
人生の生き方は、当人に任せればいいんだよ。
他人が、人の人生を決めるのは一番やってはいけないことだよ。
例え、親でもだ。
子どもは、親の所有物ではない。
それぞれの魂に計画があり、それが完璧に実行されている
人それぞれに、魂が生まれる前にテーマを決めて体験するようになっている。
そのテーマは、人によって違うのだ。
本当の話しで、「今世は、ヤクザになって人をいじめる。」ってテーマの人もいるんだよ。
その人に「改心しなさい。」って改心させたら、その人の魂に怒られるんだよ。
また、「ヤクザになったけど、途中で改心する。」ってテーマの人もいるから、改心させるのがダメって訳でもない。
傍目で、そんなのわかんないから、当人に任せて放っておけばいいんだよ。
助けを求められたらアドバイスすればいいんだ。
こっちから見かねてアドバイスをするって、傲慢であり、自己のストレス解消に過ぎない。
相手の魂を信頼して、そっと見守ってあげるだけが、本当の愛なんだよ。
それ以外は、コントロールしたいだけか、執着か、自分が上なのを誇示したいだけだよ。
頼まれもしないのにアドバイスしてくる人は、100%これです↓
「コントロールしたい。」 「執着している。」 「マウントを取りたい。」 または「金銭目的。」
宇宙人のバシャールもこのことについて、こう語っています。
少しアドバイスとは違うけど、理屈は同じです。
人を批判したりクレームを言ったりする人がソース(源)と真っ直ぐ繋がっている事はまずあり得ません。
ソース(源)から分離しているからこそ人を批判する事ができます。
アドバイスは批判とは違うように見えるけど、根底に批判に近い否定が無ければアドバイスしようとは思わないから。
「それは違うよ。」って否定のジャッジが入るからアドバイスしたくなるので、原理は同じだよ。
自分がなんとかしようとしなくても世界は救われる
「私が世界を救います。」とか、「私が社会を救います。」と気負わなくても、
すべてを受け入れて、あるがままに身を任せていれば、自動で全部救われるんだよ。
気負って、「これが正しい道です。」とか一つの団体とか、一つのメソッドや、一つの教えを広めようとするから、喧嘩や軋轢ができる。
あ、そう言えばこの「パニッシャー。」で主人公が良いことを言っていた。
事あるごとに他人へ、「自分のすべきことをやれ。」ってアドバイスしてた。
これが真のアドバイスだよね。
「自分のすべきこと。」って、人によって違うんだよ。
自分が、これをやって良かったから、相手にもやらせようとするって大間違いだ。
100人いたら100人のやり方があり、100人の人生はすべて同じではない。
それを「これが正しい。」って押し付ける奴は、本当に迷惑でしかない。
人にアドバイスしようと思ったら、自分を直せ
人にアドバイスしようと思ったのならば、それはある意味チャンスだね。
なんのチャンスかと言えば、
他人や、社会に対して、「これはまずい。」って思ったならば、自分の中に同じ「まずい。」もんがあると言うこと。
内観して、それをみつけて、手放すチャンスです。
「人を救いたい。」って思うのも全く同じです。
追伸
この記事を書いて、12時間くらいして気づいたが、これに関する怒りみたいなのが、自分の中に残ってた。
これを、バシャールの電球💡のブロック外しで、統合したよ。
実は、記事を書きながら自分も進化してるんだよね。
自分のためでもあるのです。
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