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私の死生観

 ここ最近は、ツィッターの方で言語活動を励みつつ、5年位前からIphoneで撮りためていた4年分(2016年~2019年)空が主役の写真をアップすることに励んでいた。歴史に残るような大雨による水害やトップスターの自死のニュース。外出自粛要請から解放されたと思ったらコロナ禍再熱…。社会で大きな問題が起き騒めいていた時、我が家では、今年一番のちょっと心配なメインイベントがあった。
 我が家の息子は自閉症スペクトラム障害+知的障害がある。知的障害は重度域であるため、一般的な歯科治療では虫歯の治療が行えない。そのため、全身麻酔での歯科治療となるのが通常運転だ。一般的には、たかが虫歯も我が家にとっては、されど虫歯。それでも、全身麻酔での歯科治療は、本人の身体に負担がかかることもあり頻繁には行えない。だから虫歯予防も兼ね月一で定期健診を行っている。通院当初は歯磨きとフッ素塗布で精一杯だったのだが、月日を重ね口腔外科のスタッフの皆さんとの信頼関係ができはじめると、歯石採りに挑戦したりデンタルフロスをしたり…そういったちょっとした簡単な治療もできるようになっている。それでも、歯科治療は虫歯治療だけではない。一般の人でも一番厄介な〝親知らず〟が4本も同時に生えてしまった。しかも1本は横になって生えはじめていたので抜歯確定。そして、親知らずだけじゃなく並びきらない歯が犬歯付近に1本飛び出て生えていた。今のところ虫歯にはなってはないが今後に起きるだろう様々なことを想定すると5本一度に抜歯し虫歯も治療をすることが最善かもしれないということで、入院治療することになった。
 抜歯する数が5本なので場合によっては、患部が腫れ気道が塞がってしまうことも無きにしも非ずということ。〝何事もなく終わりますように…。〟と祈るような気持ちで全身麻酔による歯科治療の当日まで過ごしていた。それでも、コロナ禍による外出自粛要請がでたことから1度は術日が延び、今月初旬、無事入院治療を終えることができた。その件に関しては、別の記事をいずれ書くつもりでいる。

 入院治療となる2日前、熊本県南部で河川の氾濫による水害が起きた。しかも、私の実家がある天草市牛深でも床下・上浸水とがけ崩れが起きた。幸い、私の実家は被害にあうことはなかったことで、息子が入院する日に、両親にたちあってもらうことができたのだった。これで両親が被災でもしていたら、いろんな意味で私は混乱することになっただろうと思う。それでも、熊本地震以後更なる〝まさか〟というような大災害が起き、死者は70名を越え今だ行方不明者もいる。そして、私の地元になる天草市牛深での水害は、数十年ぶりの大きな災害だったようだ。
 私が生れ育った18年間のうちでも川や海が今にもあふれそうだしそうなくらいの高潮になったことはあったが床下浸水までにいたったことはなかった。SNSのタイムライン上で、地元の被災状況の動画が流れていたのにいろんな意味で驚いた。それと同じ頃、順風満帆だろうと思っていた俳優の三浦春馬氏が30歳という若さで自死で亡くなったというニュースが飛び込んだ。それはそれはとても驚いた。そしてとても驚いている自分にも驚き、よくわからない大きなショックをうけていた。
 今年は大スターといわれる著名人がコロナウィルスが原因で亡くなっていたことでも驚いてはいたが、特にファンというわけでもなかったけれど若い俳優さんの中では存在感は大きく好きな俳優さんだったのもあるのだろうとは思う。一時期は、ドラマなどをみていた時期もあったからかとても信じられなかった。というか、自死で亡くなるなんて想定外すぎたこともあると思う。というかテレビのテロップの速報が出たと同時に、思わず「なんで!!!」と大きな声を出したくらいビックリした。 彼とは実際、縁もゆかりもない。私はただの一般ピ―プル。共通点があるとすれば同じ地球人ということくらいだ。同郷の後輩でもなければ、近所に住んでた子だったワケでもなく、知人友人でもなんでもない。私にとって特別な存在だったワケでもないのに…。何故だか日が経つにつれ、少し開いた穴が大きくなっていくのを感じていくので、ネットのニュースなどで彼の記事をみかける度に読んでいる。それくらい私の中では当たり前に存在していた俳優さんの一人だったのだろうと思う。なんでこんなにまで揺さぶられてしまうのだろうかと不思議に思い、彼の芸歴を調べてみた。
 彼が過去に出演した作品の中で、私がリアルタイムで観ていたドラマがいくつかあった。毎週楽しみにみていたドラマは「僕のいた時間」「私を離さないで」「ラストシンデレラ」だった。
 その中でも「僕のいた時間」は、その当時、そのドラマを通してALS(筋萎縮性側索硬化症)のことを知るきっかけになっただけに過ぎなかった。ただ、その後、親戚にALSを発症した人がおり、今回のことで改めてそのドラマを思い出していた矢先、ALSの患者さん自らが望みサイトで知り合った医師の手により殺人事件となってしまった。これまた言葉にはならないニュースが飛び込んできたことから〝尊厳死〟について改めて考えさせられることとなっていた。そんな時に、先日7月26日のYouTubeでライブ配信されている『SNS医療のカタチONLINE』の題材が「今日、僕たちと死の話をしよう。」だった。
 コロナ禍により、再度訪れた日常だけど非日常な日々。それを経ての災害からの著名人の自死と難病の方の尊厳死問題。これらの出来事が起きたことで、自分自身思春期時代から保留していた案件を改めて〝おさらい〟することになった。それでも、ここ数年のありとあらゆる出来事のお陰でそれらの保留事項は解決し、メンタルが強化されたことから、私なりの「生と死」に辿り着いてはいた。ただ、自己解決にすぎないことは凝り固まった固定観念になりやすい。だからこそ、「生と死」に関する他者の話を聞ける機会なんて早々ないし、そういった深い話ができる友だちがこの世にたった一人しかいない私にとって、とても貴重な時間だった。神回っていうよりも、ドラゴンボールでいうなら、アレだアレ。
 しかも、障害や病気などの終末期の緩和ケアに携わっていらっしゃる方や治療に携わっている医療者の方たちからの発信だったので、患者やその家族が聞ける機会なんて本当にないに等しい。しかも『無料(タダ)』。そして「生と死」ときた。
 この手の題材は、一部の人たちの問題のように感じるヒト類もいると思うが、狭いようだけれど全人類の共通課題だと私は思っている。私たち人というか地球上の生物は、常に〝生と死〟の間で生きている。それは植物だって同じだ。それは地球もだ。ただ、人類の場合、人によっては〝生と死〟はどこか乖離した状態でもあると思う。日々を過ごすことで精いっぱいだからだけじゃなく、そこに触れないことが現代を生きていくうえでの戦略のようなものでもあるからだと思う。
 ただ、病気や障害などで「死ぬかもしれない」という不安を纏い日々過ごしている人もいるだろうし、私の場合には20代ごろから時々訪れていた様々な種類の希死念慮を抱え、それらを越え、生き延びることとなった私みたいな人たちの〝生と死〟に対する向き合い方やつきあい方の価値観は違うと思うから、幾通りの死生観があるだろうと思う。
 私の場合になるが、今世紀史上最大級の希死念慮を越えてしまったことで、今現在の私のような変人と化してしまった。自分でいうのもなんだかニュータイプな気持ちだ。それでも、何かが起因となり、その時々でデータは書き換えられ、時にはバージョンアップすることもある。そっくりそのまま、全捨てのような…つまり初期化というヤツをワザワザすることもある。大げさだが、そんなバージョンアップするかもしれない日が先日起きた。というか、なんか知らんけど涙が止まらなくなっているので、自分の知らないどこかしらの部分が癒されたのだろうと思う。

『 SNS医療のカタチONLINE ― 今日、僕たちと死の話をしよう。― 』の内容については、Youtubeをみていただいたほうが話が早いと思われるので一度見ていただけたらと思う。

「今日、僕たちと死の話をしよう。」SNS医療のカタチONLINE vol.12
https://youtu.be/Vfd0lz0DGf8 @YouTube

 見てもらえばわかるかとは思うが、この手の話はどうしても〝死生観〟の前提の違いで、意見が対立しがちになる事柄のように思う。そういったこともあるので、どうしても避けてしまいやすい事柄でもあるように思う。だからこそ、現場で働いている人たちの声を聴くことは貴重だと思うのだ。今回の講師は、緩和ケア医である西智弘先生だ。先生の話や短いながらも他の先生方との対話から得られることで、自分なりの〝死生観〟に辿り着ける入口になるんじゃないかと思うからだ。
 何故なら〝死生観〟=「生と死」に対する事柄だからこそ万人に通用する〝答え〟なんて「ある」ようで「ない」に等しいようなものだと思っているからでもある。そして、その〝答え〟は白黒といった二者択一では片付けられない事柄でもあるからだ。人の感情や価値観はホールケーキを無造作に切り分けるようにはいかない。でも、そういった事柄を切り分け対立し分断するような論争をずっと昔から繰り返してきたのだろうと思う。だからこそ、対立するような議論ではなく自分以外の誰かの価値観を知りうる時間を互いに大切にするほうが望ましいことのように思う。それと、患者である当事者の体験談に交えた医療現場の話は、現在、精神科を利用している一患者の私からするととても貴重な話だ。医療現場の関係者の中には、主治医や看護師以外に様々な職種の方が裏で動いている人たちも存在し、リアルな現場を体験しているからこその事情という物事も患者側は知る必要な事柄もあるように思う。見えないからこそ知らせてもいい部分までを互いに言語化したり、明確にし情報を共有することが〝協力〟するということだと思うのだがどうだろうか? 治療だからこそどちらか一方通行であってはいけないと思うのだ。それは理想論でしかないのかもしれないが、おそらく医療の分野が現状で行き詰っていることがあるとするならば、技術よりもどちらかといえば、コミュニケーションの問題などから巻き起こっている不具合が負の連鎖となっているような気もするからだ。

 もし、他者の〝死生観〟を明確に切り分けるとするならば、100人いれば100通りの答えがあるだろうというような前提を持ち、議論をする必要があるように思う。そして、一人一人出た答えに優劣をつけるようなことなく、誰かの〝答え〟がたとえネガティブな事柄だったとしても、一度くらいはその〝答え〟を受け入れることが実は一番大切なのではないのだろうかと思う。他者の〝答え〟が自分に腑に落ちなかろうが、理解に苦しもうが「あなたはそう感じているんだね」といった相手の気持ちに耳を貸すくらいの気持ちは持っておく必要はあるのだろうと思う。実際には難しいようだが…。
 
 人間、暗い闇に追い込まれたり、引きずり込まれた場合には、どんな言葉も通用しない。聞こえているけれど「そんなんじゃない」というもう一人の自分が前向きになろうとしている自分の足枷となってしまう時もある。私はそうだった。そんな時は、簡単に答えなんて出ないというか出せない。ただ、時間が経過することで少し落ち着き自分を取り戻したら、以前誰かにアドバイスされた様々な言葉が不思議と肚に落ちることもある。そして、その人次第では、今までには思いつかなかった新たな選択肢を思いつくこともあるだろうと思う。
 ただ、過去にそうした経験がある人と全くなかった人では、思考する方向性も違うと思われるので、後者の場合には更なる深い闇に突き落とされてしまうことにもなるだろうと思う。頑なに信じていたものが根底から覆されることでゲシュタルトの崩壊が起った場合、その人にとって精神的な死を体験することもある。それは過去の自分の愚かさを認めるざるを得ないことになる。それは〝絶望〟ということになると思うが、絶望の淵に立たされ一筋の希望の光も見いだせないどん底の時間は、果てのない旅の始まりを感じることになる。それらがいつ終わるのか…。すぐにでも終わるのか、それとも永遠に続くのだろうか…。どこにもしがみつくことができない大海原に投げ出された時、泳ぐことしか知らなければ死に直結する。どんな海原も泳ぐことができる自分でなければ、ゴールの見えない場所をずっと泳ぎ続けることになる。休むためには「浮かぶ」ということを知っているかどうかも必要になる。そうしなければもがき苦しむ日々は続く。そして、体力や効率の良い泳ぎ方を知っているかどうかにもかかってくる。でも、明確なゴールがない状態であるならどんなご褒美も通用しない。なぜなら、そのご褒美をもてなそうとしているのは、未来の自分でもあるからだ。未来の自分は脳内に作り出されたもう一人のポジティブな自分だ。でも、現実的には泳いでも泳いでも、ただもがいているだけの繰り返しな毎日になってしまう。
 そんな堂々巡りな日々を過ごしていれば、死に直結するのは当たり前だ。先のみえない日々を続ける必要があるからこそ「休む」必要がある。あと、他に選択肢を知っているか知らないか又は閃くかでは自身の身が置かれたその場所でどのように生き延びればいいのかは相当違うと思う。投げ出された環境を知っていて自身の生体を熟知できている場合には、どうすれば生き残れるだろうと考え思考を巡らすのだろうが、人によっては、そのまま「どうなってもいい」といった考えにいたり〝死〟を選ぶ人もいるのかもしれない。

 ああ、なんだか話がどんどんズレている気がするが、とりあえず、ここで一旦私自身が今現在辿りついている死生観を言語化しておこうと思う。

 以前の私は、死ぬことが怖くてたまらなかった。それでも、幸せなはずなのに様々な希死念慮が訪れては、頓服を飲み眠ったり、誰かに話を聞いてもらうことで希死念慮を凌いでいた。それが自己治療でもあったと思う。死なない程度に日々を過ごす日々を20年近く過ごしていたけれど、私が自殺までにいたらなかったのは、人一倍怖がりだったり、人に迷惑をかけたりしたくなかったからだ。死にたい衝動にかられながらも、いつも「このままではいけない」とは思っていた。
 ある日、いつもと同じタイプの希死念慮が訪れた時、いつもやっていた自己治療ではなく、今までやったことのなかったことを試してみた。いつも飲んでいた頓服を飲まず、人に話を聞いてもらうこともせず、(お酒はちょっと飲んだかもしれない…)どうなるかを試してみたのだ。それはそれは死にたくてたまらない時間を過ごし布団に丸まり震えながらなにか独り言をいっていたような気がする。希死念慮の臨界点を越えた瞬間、潮が引いたようにスゥーっと希死念慮が消えたことがあった。それからは時折訪れていた希死念慮が不思議と起きなくなった。今思うとお薬を飲んだり誰かに話を聞いてもらわなくても「大丈夫」だった体験をしたことで〝一人でもできたもん〟な私になれたからかもしれない。

 その後、改めて自分自身のメンタルが治ってないと思い、再度自分を取り戻すために精神科通院をしながら自己治療も行っていた。その当時私の内側でも外側でも巻き起こっていた様々な出来事で、今世紀最大の希死念慮が襲来した。久しぶりの希死念慮はそれはそれはとてつもないくらいのモノだった。 なぜ、このような状態に陥っているのかという仕組みを自分なりに悟っていたから、なんとかソレを越えられたようなものだった。
 実は、当時、その時の気持ちをFacebook上でリアルに言語化し実況中継していた。何故なら、そこで自分の思いを吐露することくらいしかその当時の私の場合には選択肢がなかったからだ。その時の希死念慮を手短に言語化すると「生きる意味を感じなくなったこと」だった。
 「なぜそのように思うのか」とコメント欄で訊ねられたが、正直いって本当のことは言えなかった。何故かといえば、私の持っているその時の感情を解き放つことが、相手の人にはない〝感情の種〟を蒔いてしまうことになると思っていたからだ。
 無意識の世界へ蒔かれた種は、その種が芽吹く土壌(身体)となった時、自分自身にはなかった、なんらかの〝感情の種〟が芽吹いたり、揺さぶることとなりトリガーとなって、あっという間に自身のどこかを蝕むことになりうるからだ。しかも、その顕在化が始まった時、自身の内側で起きるか外側に向かうかで表出している問題は変わるが、実際に起因となっていることは、表出していることからずれて表出していることが案外多い。本人にもわからないからこそ『病』という状況になってしまうのだろう。そう思う。だからこそ私はその当時、支えてくれる相手に自身の本当の気持ちを伝えることが良いことだと思えなかった。それが相手を壊してしまうきっかけになってはいけないと思い言えなかった。何故なら、相手は医療従事者ではなく、ただの知人や友人だったからだ。専門外ってやつ。しかも、そのとき通院していた主治医の先生にもぼんやりしか話せていなかった案件だったからこそだ。

 私にとって『生きる』ということは、誰かの価値観の中で行動統制をされていたり、もうすでに決まっている台本の中で私が言わなきゃいけないセリフが発せられるその日まで、何度も繰り返される現実を生きなきゃいけない世界なら〝生きる意味なんてない〟そう思ったからだ。それは、私からしたら〝生きながらにして死んでいる〟ようなものだ。私は物体じゃなく個体なのだ。個体な私を物体として扱われる世界に生まれたとするなら〝生きる意味なんてあるのだろうか?〟そう思っている。そして、私は人を信じていない。ただ、それは自分だけのせいだとつい最近までずっと思いこんでいた。だからこそ苦しかった。でも、自分だけのせいでもなかったことに気がついてからは、人を信じることができなくても、信じて頼ってみることはできる。たとえ裏切られることになっても。それでも、私は私の信念を曲げず他者に誠実に接し、日々を過ごしてみることにした。
 自分にも相手にも嘘をつくことなく、その時の最善を選択する。そんな生き方を徹底することが、生きづらい現代を生き延びるための私なりの戦略となった。かなり楽ちんだ。あっ医療のカタチの司会者なヤンデル先生の言葉を借りると×2倍にしたら楽々ちんちんってくらいだ(笑)
 こんな私とは真逆な考えの人もいるかもしれない。誰かの敷いてくれた赤い絨毯の上で、シナリオに沿ったセリフ回しやキャラクターを演じ生きたほうが生きやすい人もいるのかもしれない。ただ、その人がその世界でご機嫌でいられるならそれでいいと思う。でも、それはいつまで続くのかはわからないしいつまで続けられるかはわからない。だからこそ、私は前者な生き方を選ぶことにした。後者のような生き方をやろうと思えばできるが、私にはちっとも面白くないからだ。人生一度きりだからこそ、楽しみたい。謳歌したい。だから、どんな世界でも生きるためには「捨てる」必要も必ず出てくる。
 それは、今まで積み重ねてきたキャリアであったり、お金、住まい…。そして、一番捨てられないのが『プライド』。どんな場でも生き延びるには「逃げる」という選択肢を持っているかどうかも重要案件だ。というか、私の場合には重要案件だったとここではいっておこう。
 新たな航路を目指し旅立つためには、身軽であるほうがいいように思う。物質はお金さえあれば、また手にすることはできる。ただ、自然や人はそうはいかない。地球が活動期に入ったからこその現在。私の死生観も廻りまわって何周目かに一旦落ち着いていたのだが、医療従事者の方たちが話す〝生と死〟の話を聞き、自身の死生観を改めて振り返るいい機会になった。久しぶりにバージョンアップできた気持ちにもなれた。
 まだまだ払いきれていなかった「死への恐怖心と生きる希望」。振り子が揺れるように時代にあわせてどちらかに又はどこかに偏ればいい時代は終わったような気がする。ただ、それをコントロールするのは最終的に自分自身だ。三浦春馬氏が選んだ死という選択を私は間違ってないと思いたいというか彼が選んだその選択を受け入れたい。ただ、彼のその死が啓示のようなものだったり、何かの象徴として受け取ってはいけないと思う。ALSの方で殺人事件となったことも同じだ。
 その人たちが望んだ選択に私は敬意を表したいと思う。だからこそ、その人たちの命のバトンを引き継いでいくためにはどうしたらよいのかをたくさんの人たちで考えていける社会になればといいなと思う。生きる権利も死ぬ権利も他者が決めることでもないけれども、自死を望む人がなぜ、そういったのかには心を寄せたり紐解けるようになったらと思う。それが、同じような事柄で現在苦しんでいる人たちの灯火になったり、自死を選んだ人たちの命の弔いにもなればいいそう思う。

この度の災害で亡くなった方、
そして三浦春馬君、ALSで尊厳死を選んだ方の
ご冥福をお祈りしますと共にご親族の皆様へお見舞い申し上げます。

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※実は、今年の3月に昔の推しの絵を描こうと思い、昔、若手俳優さんの中で春馬君に胸キュンしていた時期があったことを思い出し描いたえんぴつ画です。下手ですけど、やっとここまで絵を描けるようになり嬉しく思っていました。だから、穴があいちゃった感じもするんだろうと思います。本当に悲しいし悔しいです。一般人の私がこんな気持ちになるなら、身近にいた人たちは私以上の無力感や喪失感を感じていらっしゃるんじゃないかと思います。「僕はここにいる」ってずっと言ってたんじゃないかとそんな気がしています。



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