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応募作品㉑「2021金澤詩人賞」

※この作品は2021年、金澤詩人賞に応募し落選した詩です。
NOTEに掲載するにあたり、気がついた分については、多少修正や加筆しております。



手段


浮かぶことを忘れた魚
飛ぶことだけに囚われた鳥
咲くこともないまま
枯れ果ててしまった花

17年ぶりに地から出たのに
羽根を広げることも
鳴くこともなく
死んでしまった17年蝉

一切れのパンに魅せられた
都会の動物たち
そして
移ろう時代を受け入れられない
二足歩行の私たち人間

壁を越える事しか
現状を打破できない
意識高い系な人々に
時折うんざりする

何かに群がり
あらゆる物事を
貪り食べつくすようにして
生きざるを得ないのは

そうする他ない〝今〟を
生き延びるための
〝手段〟にしかすぎないのに…




【この詩について】

 一昨年の年末、福岡へ移住しました。
 移住したことから、福岡市内の様々な観光地へ足を運んでいる時に気がつき感じたことを詩にしました。
 福岡は地方都会ではありながらも区ごとに大きな公園があったり、意外にも自然が豊かな街です。公共交通機関で主要な観光地を巡ることもできるので、自宅療養中の身のうちに、リハビリがてらイロイロな場所へ足を運んでいます。すると、たくさんの生き物に出会います。
 池の前に立ち止まったり、公園内のベンチに座ってボーっとしていると、池の中の魚や亀、鳩やカラス、スズメ、猫…etcが、餌もなにももっていない私の目の前に近寄ってきます。そうしたことは、以前住んでいた熊本でも何度か遭遇したことがありますが、ある程度の距離は保たれていました。
動物園の動物たちほうがよほど、人との距離感をわかっているようなそんな気持ちになるくらい、人に慣れてしまっている都会の中に住む生き物を不憫に思いました。それでも、生き延びるための手段なのだろうし、自然由来の食べ物より、人が食べている物のほうが美味しいよね…とも思い、ちょっと複雑な気持ちになりました。
 人と人の間でも争いは絶えないし、生き延びるために、その場しのぎの戦略を用いてやり過ごさなければならないこともあります。それがわかってはいても、時を経て、それが間違っていたことに気がついた時、愚かな自分に気がつくこともあれば、その場しのぎの戦略を用いることなく、ただ、粛々と日々を重ねてきた人たちの存在することに気がつかされました。
 可哀想とエゴイストは共依存になりがち。それでも、一つの命を紡ぐためであるならば、そうするほかなかったのだと思えるようになった自分を冷たい人間にも感じたりもします。

202200522

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