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母の日だから母自慢

私が聞かされている限り、私の母はすごい人だ。身内に対してと思うかもしれないが知ったことか。母はよく私に言っているのだ。「お母さんしか言ってあげられないでしょ」と。私に権力があれば福本莉子主演で朝ドラにする。デザイナーのコシノ三姉妹の母親を描いたカーネーションみたいに。でも残念ながら私はただのアルバイトなので、ここで母自慢をさせて欲しい。

私が母に出会うまで

母は雪深い田舎で育ち、冬になると母方の祖母もそのまた母もみんな内職で着物を拵えていた。母は服が作れるようになりたいと思いったらしく、被服科のある高校に進学し、その後東京の美容専門学校へ通信で通っていた。そのせいか母は手先がとても器用で、私は母に作れないものはないと本気で思うほどだ。しかし母は祖母やその母の方が器用だと言う。恐ろしすぎる。母は専門学校に通う学費や車の免許をとるためのお金は全て自分で用意していたという。朝から美容室でアルバイトをし、夜間の専門学校に通い、教習所にも通う。何も無い休日は寝ていればいいのに、着物の着付け教室とメイクの講習も受けていたそうだ。私は当時の母と同じくらいの年齢だが、12時間拘束で10時間働くのを4日続けると、休日は13時間寝ても寝足りない。母、体力どうなっているんだ。書いててちょっと怖い。それだけ活力に溢れていた母、今でもフットワークが軽くて私は本当に頭が上がらない。

その後父と出会い、結婚。子供の頃、「お母さんはどうしてお父さんと結婚したの?と聞いた時、母は一言、「お父さんの地元が雪の降らないところだからよ」照れくさいのか、本気でそう思っているのか、何度聞いてもこの答え以外は返ってこなかった。逆に父が雪国に住んでいたら私はいないわけだ。その点に関してだけグッジョブ、父。

お気に入りのスカート

母は私が小さい頃、私を手芸屋に連れていき好きな布を選ばせた。ピンク大好き期の私はクリーム色にピンクの花柄があしらわれた布を選んだ。普段怒られてばかりの私はルンルンでミシンと裁縫セットを出す母が不思議で仕方なかった。まぁ、怒られないならいいやと思ってテレビに釘付けになっているうちに、母は花柄の布でスカートを二枚縫い上げてしまった。スカートはレースがたくさん着いた膝下の丈のやつと、膝上のミニスカート。ミニスカートの方はお気に入りで何度も着ていた。母は美容師の免許も持っていたので、私と弟は高校卒業まで母に髪の毛を切ってもらっていた。なんなら私は就職して家を出てからも、髪の毛を切ってもらうために実家に帰っていた。

オリジナル雛人形

就職を機に家を出る時、母は私に赤い布を纏った箱を手渡した。よく見ていた箱だったので中は見なくてもわかった。母の手作りの雛人形である。私は自分の雛人形をちゃんと持っている。記憶もないくらい小さい頃、祖母と父に連れられ知り合いの呉服屋に行って雛人形を買ってもらっている。しっかり高い方を指してこれがいいと言ったらしい。祖母は見る目があると喜んだようだ。しかし保育園にあがり次第に口が達者になるとどうして私のお雛様に三人官女と五人囃子がいないのかと母に言い出した。多分、保育園で見たのが立派だったからだと思う。それを聞いて母はティッシュの空き箱の底を抜き、赤い布で包んだものを大中小3つ用意した。そしてうさぎや熊の人形をフェルトで拵え、同じくフェルトで作った十二単風の衣装を着せていった。さらに童謡にならってぼんぼりや屏風、桃と梅の花まで作り上げた。桃の節句をすぎたらティッシュの箱に小物も人形も全てしまえてしまう。なんて器用なんだろう。母は常々、「桃の節句に雛人形を出さないと、女の子が1年間、日の目を見ないってことなのよ。」と言って毎年出してくれていた。もちろん、手作りの雛人形も一緒に。だから一人暮らしになっても毎年出せと私にも託した。雛人形は飾らないまでも、毎年陽の当たるところに出すようにしている。

卒業式のあいみょん事件

母は私よりもオシャレや流行りに敏感である。高校の卒業式が迫ったある日、白髪を染めてくると言って元職場の美容室に行った母。帰ってくると、全体的に髪の毛の色が鮮やかになっていたのだが、内側の毛の色に少し違和感を覚えた。

何かそこだけ色ちがくない?何それと聞くと、母は満面の笑みで「あいみょん♡」と答えた。母がやっていたのはいわゆるインナーカラーで、聞けば知り合いの美容師から新色を試さないかと誘われたらしい。流行りのインナーカラーやってみない?と。

待ってくれ、母。流行が好きなのはわかるよ、あいみょんが同じところに同じ色入れてるのも知ってる。だからってさぁ、それで卒業式来るつもり?私と弟は猛抗議。特に、すぐあとに高校の入学式も控えている弟は大反対した。褒めてくれると思ったのに。といじけられたが、そうじゃない。別に何も無い日にインナーカラーをするのは私たちだって構わない。オレンジでもピンクでも好きに染めればいい。でも大事な式典があるのに若さ全開のその髪型はどうかと思う。少なくとも年相応ではない。自分で言うのもなんだけど、子供の大事な門出だし。中学、高校ともなればビシッと決めるために着物やスーツを着る親はいても、インナーカラーをしてくる親はいないだろう。結局母は卒業式も弟の入学式もそのまま来たが、最後までちょっとギクシャクしてしまい、私たち兄弟はそれぞれの卒業式の家族写真が1枚もない。

卒業式のあいみょん事件は今となっては笑い話だし、その後私もインナーカラーを体験してやっと流行りに乗るのだが、母は未だにこの話をするといじける。高校生の私の気持ちもわかるが、当時はムキになりすぎてしまったと反省している。多分最後の反抗期だと思う。だから私が結婚式をする時は、母がどんなファッションできても、いいじゃん!と言ってあげられるように心の準備はするつもりだ。


最後に

ここまで読んでくださってありがとうございました。ちなみにこの前実家に帰ったら母の髪の色はピンク色になっていました。白髪隠しの概念が変わりそうです。


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