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あなたに言いたいことがある。

たいしたことないこと、本当にどうということもないこと。そんなことを言ってしまったら君が僕の話を最後まで聞いてくれる気がしなかった。だからと言って、「大ニュースです!」と明るく君の気を引くほどの話ではない。ただ、君がちゃんと受け止めてくれるだろうか少し不安になる自分がいた。でも、出来るだけ早く伝えた方がいい話だろうからこのバスを降りたらと決めた。
「サクくん着いたよ。」
「うん。」
彼女は2人分のお金を運賃箱に出して慣れない足取りで少し高いハイヒールをコツコツと鳴らして外に降りて行った。3日前バッサリと肩より3㎝ほど上に切った黒髪の右後ろが少しはねているところがほんのちょっと目立って可愛いと思った。
「あのさ、」
「ん?」
振り向いた彼女は鼻の先にずれ落ちた眼鏡を持ち上げながら目を少し不思議そうに丸くする。
立ち止まった彼女を越して2、3歩前を歩く。
「中学時代けっこう仲が良かった友達が、中村くんって言うんだけど、中村くんが一昨日癌で死んだらしいんだ。昨日電話が回ってきた。」
「そうなんだ。まだ若いのにね。」
「うん。」
彼女は、みやびは歩数に追いついてだから?と言う目でこちらを覗いてきた。今から言うことに少し戸惑う。深く深呼吸をする。
「中村くんが死んでから思ったんだ。人は老若男女関係なくいつ死ぬかわからないって。」
「そうだね。」
隣を歩くみやびの目が少し不安そうに揺れた。その行動が、仕草が早く言わなければと僕の気持ちを掻き立たせる。
「だから、だからさ、僕はいつ死ぬかわからないし、君が死んだらもう明日に抱く希望すら無くなるかもしれない。」
同じことしか言っていないのはわかっていた。でも、口先から出る言葉を解像度が悪いカメラのレンズのように大事なところをぼかしてしまう。
「だから、婚姻届出したくなくなちゃった?」
カメラのレンズを覗けばもうピントは合ってるようで、そのことが確かめたくて「え?」とまた聞いてしまう。
「どうせ、サクくんのことだから怖くなったんでしょ?婚姻届出すの。」
「う、うん。」
みやびにはなんでもわかってしまうなと頭をポリポリとかく。
「ねぇ、サクくん。」
突然立ち止まったみやびを振り返り「何?」と聞いた。
「浮気だって、するかもしれないでしょ?」
予想外の言葉が耳を通り、口をぱくぱくさせた。それでもみやびは続けた。
「でも、私は信じたい。明日朝起きてサクくん           がいて、死ぬ最期まで一緒にいられるような人生を。サクくんを信じたいから、結婚したの。」
顔を上げると、みやびは笑っていた。何の疑いもない、期待に満ちた目で前を向いている。それが眩しくて、羨ましくて、追いついてみたいと思った。
「不器用で、間抜けで、すぐネガティブになる僕だけど、出来るだけ最後まで、一緒に道を歩いてくれますか?」
「喜んで。」
僕らは互いに信じたいから結婚する。少し道に外れてしまっても、また手を差し伸べたらいい。市役所の入り口が目に見えるところまで来てしまった。婚姻届を鞄から取り出した。今度はまっすぐ前に視点を当てた。

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