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表には裏がある

何かしようとすれば
その裏で何か起こる可能性はある

車を運転して遊びに行こうとすれば
事故を起こす可能性もあるかもしれない

お金持ちになれば
今より強盗に狙われる確率があがるかもしれない

友達を作って楽しい思いをすることもあれば
嫌な思いをすることもあるかもしれない

出会いがあれば
別れもあるかもしれない

自分の幸せの為に何かをした時
その反対の不幸と言われる状態になる可能性も
くっついている。

反対側のそれだけを見つめていると
きっと怖くなると思う。

それを回避したいなら
そうなる可能性があることを
そもそもしないことになる。

そしたら、確かに不幸は起きないかもしれない。

安心かも。

でも、裏には反対がひっついているから
それも同時に起きないことになる。
不幸の反対の幸せが。

だから、不幸にならないけど幸せにもならない
そういう状態になる。

無?
平和とも言えるけど
何か満足感はない気がする。

ネガティブな気持ちを味わいたくないから
何も感じないようにすることは
ポジティブな気持ちも感じれなくなると思う。

それは幸せなのだろうか。

あきらかにそれをやると
デメリットが起きる確率の方が大きいことなら
やらないことを選んだり
良く考える必要はあると思う

でも、通常起こることはほぼないけど
起きる可能性のあることが
怖くて気にしすぎてやらないのは
もったいない気がする。

どんなものにも裏表があり
ポジティブもネガティブもあると思うから
自分にとって
それのポジティブさが大きいなら
やればいいと思う。

手を動かすということですら
どこかにぶつけて怪我をする
ということがあるくらい
どんなものにも
何かすれば、何かが起きる可能性がある。

ネガティブを0にすることはできないから
もう諦めて
それを味わうかもしれないけど
そこを受け入れるからこそ
その裏であるポジティブが存在する
そんな風に思えば

もしネガティブなことが起きても
それを感じれているなら
ポジティブも感じれる証拠だと思えるかもしれない

ネガティブもポジティブも感じれる自分は
生きている証拠だとも。

お読みいただきありがとうございます🌟



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