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心地よさという囲い

最近私は
自分が心地よく居られるためにやっている
という囲いを壊して、自由になる

ということに、ちょいちょい挑戦しています

内容は結構ささいなことなので
大げさに書いていますが

例えば普段
私は下着の締め付けが
少しでもあるものが嫌いで
仕事中も気になりたくないから
できるだけ優しいフィット感のものでないと
絶対に無理という風でいました

自分が心地よく居られるために
そういったものを選び
実際に心地よく過ごせるので
自分を大事にしているようにも思います

けれど、それが叶わない状況になれば
あれじゃないとダメなのに
あれじゃないと心地よくいられないのに、と
イライラしたり、執着のようなものになり
自分を大事にしてるはずのことが
自分を苦しめる原因になったりもする

それって、不自由じゃない?
と思ったのです

それで、1度試していこうと思いました
そうあれない場合
実際どうなるだろうって

普段選ばない
少し締め付け感あるものを選んでみる
やはり、なんか苦しい、気になる
となったのですが
まぁ、死にはしないだろう、という気持ちで
そのまま仕事へ行きました

すると、仕事中、忘れてました。笑

あ、なんとかいけるんだと
あれじゃなきゃダメなのに、の
1つの囲いを壊せました

とはいえ、
好んでそれを付けるとまではいかないので
それしかなくても、なんとかいける
というゾーンまで行けただけですが
自由が増えたという気がします

そうやって試しているうちに
これだけはやっぱり無理だなとか
そういうものはあると思うので
それを壊す必要はないし
大事にしておいていいと思うのですが

自分のために、心地よく居られることに
こだわりすぎると
逆に心地悪くなることも多くなり
心地よく居なければという囲いが
窮屈になっている時なのかもしれません

なので、そこから出てみるということを
試してみると
意外と大丈夫だったなと
自分に囲いを作り、窮屈にさせていたなと
気づく場合もあります

そんな中
何も気にならない最強は
「なんでもいい」
これだな、と最近思います

それって、自分がないでしょとか
あまりいい感じでは使われない気がします
自分のことを決めるのに
なんでもいいから誰かに決めてもらおう、の
なんでもいい、はちょっとどうかなとも思いますが
ストレスを生み出さない意味での最強が
「なんでもいい」
かなと、私は勝手に思っています

なんでもいい、は
これじゃなきゃいけない、という囲いがない
どれもがOKですから

でも、これじゃなきゃ、があることで
それが叶った時は
なんでもいい、よりも大きな
安心感や、心地よさ、嬉しさ
そこを極めていく工程等が
味わえるかもしれないので
こだわりがないことだけが
いいのだとも思いません
嬉しさをもたらすこだわりは
置いておき

何かにこだわること、というのは
自分を大事にすること
素敵な何かをもたらしてくれることでもあれば
それがあることで
心地悪さが生まれる囲いとなる場合もある

心地悪さが大きいなら
時には
そのこだわりの囲いから出たり
壊したりすることで
もっと大きな心地よさや自由が
生まれることもあるのだな、と
思ったのでした

お読みいただきありがとうございます🌟

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