町は廻る①
「かみさま」。どこかで声がする。
周りを海に囲まれた島のちょうど真ん中。そこには街一帯を見下ろせるくらい高い高い塔がある。ある程度発展した街には少しだけ不釣り合いだと言うこと以外にはなんの変哲もない石造りの塔のてっぺん、そこが「それ」の特等席だった。
「それ」は確かになんらかの生き物だった。にんげんのような頭があって、二本の足で歩いてなんらかの言葉も話す。しかし、「それがいったい何者であるのか」と問われればみな返答に困った。ある人は少女のようだと言う。またある人はそれはたしかに老人だったと言う。勇ましい兵士のようだと讃えられることもあれば、臆病な少年のように慈しまれることもある。要するに「それ」としか形容のしようがないいきものがそこのてっぺんには居座っていて、今日もてっぺんの窓枠に二本の足をだらりと垂らしながらあちらこちらに目を向けていた。いつもそうして街の様子を眺めている。
彼でも彼女でもあの人でもあの子でもないいきものについて確かなことは一つだけ。島に生きる人々はみな「それ」を愛していて、「それ」もまた島に生きる人々のことを愛している。
「それ」は眼下に広がる大通りを眺めていた。この街で一番大きな道路を走る自動車のライトがどんどん連なって洪水のようだと「それ」は考えている。塔のてっぺんは風が強くて、「今自分がここからあの洪水へと飛び込んでしまったら」と恐ろしくなりもした。下に垂らした足をしまいかけて、やっぱりやめる。なんだかんだ高いところで足をぶらぶらさせているのが好きなのだ。たまに歩道を歩いている人々が自分たちを見下ろす「それ」に気づいて大きく手を振ってくれるのが嬉しくて、自らも大きく振り返す。手を振り返された人々はみな、おじぎをしてそれぞれ目指すところへと向かっていった。
夕焼けが辺り一帯をオレンジ一色に染めていたのもつかの間、気がつけば街には夜のカーテンが降りようとしている。少しずつ紺色に侵される視界に明るいところを探しながら、「それ」は家路を急ぐ人々の営みを見つめていた。また一人、白いワンピースを着た少女が「それ」の姿を目に留めて顔をほころばせた。
彼女は両手に持った大きなひまわりを塔の住人に見せるように頭上に掲げ、何事か声をかけようとして、次の瞬間に花びらが散るように姿を消した。爪先から糸がほどけるようにしてその形が保てなくなり、きれいさっぱり消えてしまった彼女を見て、「それ」は手を振った。少女も残った手を振ろうとしていたようだった。
「ああそうだ、今日は夏が終わるんだ」
それは悲しみからは遠い、なにかを慈しむような声色だった。そうして他の人々も同じように少しずつほころび姿を消していくのを見て、「それ」は彼等にもそっと手を振った。餞だとでも言わんばかりに塔の花瓶に飾っていた花をむしって窓の外に投げたりもした。黄色やピンク、真っ赤な花びらたちは地上に辿り着く前に姿を消した。人の気配が消えた頃に地鳴りのような低い音がし始める。ややあって全体の地面がぬかるんだように不安定になる。
この街はめまぐるしくその様相を変える。産業が発達して街の様相がすっかり変わってしまうという長い年月を要する変化ではなく、言葉通りある日突然なにもかもが消え、またあらたに街が生まれるのである。
「それ」が日がな一日座っているその高い塔だけを取り残して、昨日パン屋があったところが次の日の夕方に聳え立つ高い山になっていることもあれば、一昨日スーパーマーケットだった場所に突然ベルサイユ宮殿のような豪奢な建物が建つこともあった。地殻変動、というにはやや大げさかもしれない。しかし、模様替えということばでは足りないほどの大幅なお色直しを幾度となく繰り返し、ひょうきんな人間がころころと表情を変えるように街はその姿を変えていく。あるときは古代ギリシャ、あるときはビル街、またある時は深い深い森。
今こうしている間にも夕食の匂いが漂う住宅街が突然蟻地獄に飲み込まれるように沈み込んでいく。ややあって、跡地には水が湧き出て海となった。次いで海の底からぷかぷかとテトラポッドが浮かび上がってきてどういう原理か規則正しく積み重なって、高波から人の生活を守る防波堤となる。そうして遠くの沖からおもちゃみたいな船がだんだんと港に集まってきて、様々な建物が生まれていく。次の日の夕方、街は「貧しい港町」へと新たに姿を変えた。
なにかの歯車が噛み合ったとしか言いようのない瞬間に、街は変化を止める。そうして、どこからか人間が生まれてそこでまた営みを続けていく。ぐにゃぐにゃと変化を遂げる街を、「それ」はじっと見つめ続けている。何日前からか、何年前からそこにいるのかは誰も知らない。ただ、この街が賑やかな遊園地だったときも、そのひとつ前の城下町だったときにも、「それ」は塔から街の景色と人々の営みを見下ろしていた。
「かみさま、おはよう」
短い音へと視線を向けるとそこには新たな人びとが立っていた。彼らに「かみさま」と呼ばれたそのいきものは、小さなその声に頷いて真摯な二つの目を向ける。
「おはよう」
その声に彼らは心底安心したように、自分の家へと帰っていく。初めて行くはずの自分の家へと、もう何十年も住んでいるのだというように、それが当たり前だと言う風に帰る。
夏の終わりを告げる冷たい風が、「かみさま」の鼓膜を振るわせる小さな鳴き声を届けた。そちらへ顔を向けると、港の近くに新たに出来た小さな教会の前で、赤子を抱いた女が立っていた。彼女は泣きじゃくる赤子の頬と瞼に一回ずつキスを落として、教会の扉の前に赤子を残して港へと去っていく。彼女は子を捨てこの街を出て、沖で船ごと姿を消した。
しばらくして彼とも彼女とも未だ分からない小さな人間は、新婦の腕に抱かれていく。「かみさま」はその様子をじっと眺めて、あの赤子がこの街を生んだのだと確信した。
「大丈夫、どうなろうともきっとわたしが見ている」
次々に生まれ死んでいく街で、何一つ変わらない「かみさま」はそれを余すところなく眺めては、今日も人々の営みを愛している。
これからあなた方が読むことになるのは「かみさま」の記録である。いとおしいものを忘れまいとする「かみさま」の奮闘の痕跡であるが、なんせ記録は今もなお続いているので我々が生きている間に全てを把握することは難しい。お気に入りの街がいくつか見つかればどうか末永くそれを愛してほしい。知ってほしがりの「かみさま」は、いつだってそのことについて話したがっている。
つづく
(執筆者:まちやのこ)
あとがき
こんばんは。おはつにおめにかかりますまちやのこです。noteの編集の仕方が一切わからずなんでこんなに改行の幅が大きいのか怯えています。わからない。小説をちゃんと書くのが久しぶりでもしかしたらめちゃくちゃかもしれません。今後に期待です。
「うわごと」では前からやってみたかった「町」をテーマにしたなんとなくシリーズらしいものを書いていきたいです。別名サビだけ2000字程度小説。港町の登場をお楽しみに。がんばります。新社会人になってからこの言葉しか吐いてない。