スウェットロッジセレモニー その1:自然と分離した私
先日、5年ぶり人生2回目のスウェットロッジに入りました。
私の中で起こった気づきを、少しずつ、残しておきたいと思います。
2017年12月、はじめてスウェットに入りました。
*スウェットロッジセレモニー:ネイティブアメリカンに伝わる、死と再生、生まれ変わりの儀式
あれから5年、その間、お手伝いで参加することはあったものの、スウェットに抵抗が生まれている自分も感じていました。
あるとき、私は変わりたくないんだ、と気づいた時がありました。
心の学びもしはじめ、色んな人と関わる中で、自分がマスクをかけて偽りの自分を生きている、演じていることに、気が付き始めていました。
パートナーに、今回のスウェットの話をしたら、「スウェットが飾りじゃなくなったんだね。」と言われました。
そう、5年前、純粋な気もちで参加したスウェットは、飾りものでしかなかった。
全てではないにしても、私は自分を生きたいと言いながら、本当に自分を生きる覚悟や、祈る覚悟も、知りませんでした。
本当には、変わりたくなかった。
いろんなことを、知らなかった。
特に自分のことを、全く知らなかったのでした。
今回参加したいと思ったのは、
今の私がスウェットに入ったらどう感じるのだろうか、ということと
今の私で祈ることをしてみたい、と思ったから。
そして、どこかでスタックしている自分がいたからでした。
しかし、参加を考えながら、ものすごく抵抗があり、「どうせ何も変わらない」という声が頭の中を駆け巡っていました。
神や、大いなる存在に憧れながらも、そんなのいるわけないと思っている自分。
その存在を拒絶し、嫌悪する自分。
人と、自然と、つながりたくない自分。
私の中には、祈りとかけ離れた自分がいるのでした。
スウェット前日、それでも参加を決めたのは、純粋な祈りが私の中にあることを、私自身が知っていたからかもしれません。
私は、自分を許すということを求めていたような気がします。
こんな私が、それをする資格があるのか。
これは、スウェット前のワークの中でも出てきた、ワカンタンカ(大いなるもの)への、私の質問です。
スウェットの中で、この問いの答えをいただいた感覚がありました。
涙があふれてきました。
土を嫌悪する私
人を拒絶する私
自然から分離した私
それでも消えることのない、私の本当の望み
具体的なことは覚えていないのですが、祈りの中で、”YES” その感覚だけを、はっきりと覚えています。
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