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時節とタイミング

花は、菖蒲からハスや水蓮にバトンタッチかな、紫陽花は今花盛り。
木星が双子座に入って、秋には本格的に水瓶座支配の20年になる、と。若い頃、あなた変わってますね、と真顔でいわれ続けていたわたしは水瓶座、しかも、数え年還暦なので、水面下で何かが動き出している気がする。よかった、人生後半生で、自分らしくいればいいのは楽ちんだよね。えっ、いいのソレで!へぇ、みたいな。いつも仕事の現場では、涼しい顔をしつつ、水面下で白鳥が必死に水かきをフル稼働させているように大脳前頭前野を使っているが、ものごとは、目に見える現象として現れる前に、潜在意識下ですでに動きはじめているから、ここで、焦って下手な欲も不安も表出させてはいけないんだよ(と、自分に云い聞かせる)。時節が到来すれば、トースターからパンがポン!と出るように状況が変わってしまってびっくりするハズだから。

4年くらい前にだいぶ年上の友達に頼んで彫ってもらった文殊菩薩像。その厨子にと購入した小さな仏壇を結局使わずに保管してもらっていたところ、5月に亡くなった(離婚して)独身の友達に遣えばいいんじゃない?と思いついた。生前、もしもの時、ソレ使う?と聞き損ねたままのやつ。双子の姉は、一も二もなくOKというので、受け取りに行って、仏壇は彼女の実家に、ずーっと日の目を観なかった文殊様がウチにきてくれた。なぜ、このタイミングだったのかは知らないが、そういうことだったんだろうナと妙に納得した。わたしが、たったひとつ亡母から相続した田舎の猫の額ほどの畑地角には、中身は石🪨があるだけの祠があり、文殊様と呼ばれているが由来はよくわからない。相続したのだからそれもセットだろう、と柘植の木で像をこしらえて安置しようとしたものの、祠の入り口が狭過ぎて入らなかったというおバカな顛末…そうして、文珠師利(マンジュシュリー)菩薩様はウチにきた。3人寄れば文珠の智慧でおなじみの。この菩薩様は、実在の人物といわれていて、普賢菩薩様とセットでお釈迦(如来)様の脇侍でおられる。修学旅行で薬師寺の釈迦三尊像を見た記憶があるよね。面白いのは、わたしの生まれ年の守本尊が普賢菩薩様といい、こちらは象に乗っているお姿で、文珠様はふつうは獅子に乗ってるが、祠の入り口が狭いので、立ったお姿で彫ってと依頼したので、ウチの文殊様は獅子にはお乗りになっていない。つまり、3つそろったわけ、宇宙を統べる、わたしは尊敬して神様とお呼びしている存在と。

自分にしかできないこと 〉 自分なら上手くできること 〉 自分でもできること…いろいろあるが、どれも尊い。自分が、といっているのだから、当然、ひとが、ひとにももある。主語を代えてもエネルギーは同じもので、見る視点がちがうだけ。そう、わたしたちは、肉体の目と脳を持って、見るためにわざわざ生まれてくる。お姿のない神様が自分を見て、一緒に楽しむ存在をつくろうと思ったから。あんたね、そういう話を宗教っぽくなく書いたりしゃべったりしなさいよ、と文珠様がおっしゃっている気がする。わたしの話などあまり有難くはないだろうけど…

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