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黄色いバラの花言葉

きょうは、母の7回忌。いとこが、バラ園に連れて行ってくれるというので、朝から弁当をつくって出かけた。五月晴れの青空に色とりどりのバラが映えている。しばらく散策して、おもむろに、つるバラのアーチがかかったベンチでおばさん2人で堂々とランチをした。2日前、法事はGWに済ませたので誰も来ないのだからこじんまりお飾りをしようと、母の好物(チョコレート&*千鳥饅頭)と小さな花束を買って、夕刻からの打ち合わせに提げて行った。流れで食事をしたお店は、あの新年早々の火災で焼けてしまった食堂街のおなじみの店だったので、新天地で再開オープンのお祝い花輪から好きな花を抜いて帰ってください、といってもらい、遠慮なく大輪の百合やバラをいただいて、思いがけず豪華な花飾りになった。そのいとこの誕生日が近いので、おすそわけの小さな花束をつくった(彼女の義理母さんにも真紅のバラ🌹とカスミソウ)…きっかけは法事だがわらしべ長者のように祝いのお花もプラスされ、それがひと様に喜ばれるきっかけになるなら、ちょっとした気持ちの循環がうれしい。母は花が好きなひとだったし、花はこころを和ませる、香りが漂うから部屋はいつもとちがう空間に変化する。生き物の生気みたいなものがあふれるのかも知れない。
さて、その黄色いバラ、「伊豆の踊り子」だから国内で品種改良されたのだろうが、何故、そのネーミングなのかまでは記載されていなかった。他にもベルサイユのばら、オスカル、アンドレ、アントワネットと勢ぞろいしていて驚く。ベルサイユの真紅のビロードっぽい花弁のバラが、昔、漫画の表紙で見た赤いバラと酷似していた。母の日にはカーネーション、父の日には黄色いバラを贈る習慣があるそうで、その花言葉は「友情」「幸福」「やさしさ」などとあったが、こうして、色とりどりの花を見ていると、まさに、色は周波数、さしずめここは、虹色の周波数の循環フィールドだと実感する。
弁当を食べ終える頃には、やや年齢層の高い2人連れが増してきて、広い芝生の広場にはベビーカーをひいた家族もいた。平日だが、三々午後の休日といった感じ。わたしは、毎日が仕事で毎日が休日のように暮らしているので不足はないが、やはり、昔のクセが出て、効率的というワードに無意識に支配されているナと認識する場面が多々ある。
古代の人々は、いや、イエス様のいらした2,000年前だって時計なんてなかったし、今でもアマゾンの奥地で暮らしていれば1日がつくられた24時間であるはずはない。人工時間の概念に追われ、全てをお金で換算されて生きるのがふつうと思っているのは、本来の目の前の事象の1つ1つにしっかりと対峙して暮らすことの対極だろう。まさに、敵の思う壺じゃないか。
夕方、そろそろ、蛍が飛ぶかしらと、近所の友達に連絡すると、パートが19時過ぎまでというので、また、彼女に即席弁当をつくることになった。パート先で弁当を食べてもらい、待ち合わせた用心棒のご主人と3人暗がりの川沿いを歩いてそちこちに光るいのちの輝き✨を見た。母と、つい先日亡くなった友達(彼女の妹でもある)の笑顔を思い浮かべながら。
*千鳥饅頭 九州銘菓

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