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何故、ひとりひとりなのか?

 ワンコインPDFミニ本でも触れましたが、矛盾に溢れた今の世の中で、懸命にこころあるひとと連帯しようとしてもなかなかうまくいかない、それでは、権力や覇権に抗えるはずもなく、わたしたちは泣き寝入りするしかないのか?   
そんなことはありません、確かに時間を必要とするかも知れませんが…

何故なら、この世は、わたしたちひとりひとりが、各自、個々別々に認識しているひとりに1宇宙が集まって造られている、一見すると一面、しかし、その中身はバラバラの別々のものです
けっきょく、ひとりひとりが各人それぞれに変わらない限り、集合体であるこの世は変わりません、数であって数ではない
ここで、大切なのは、その集合体は、ある時、一気呵成に反転するかも知れないという希望です

 わたしたちのからだの細胞は日々、新陳代謝していますが、たとえ病気になっても、たったの1%の細胞が甦り再生の方向へスイッチが切られると劇的に復活するといわれています
この世は、はるかな宇宙の隅々まで、同じ法則性で循環、すべては同じ理屈でダイナミックな連携を一瞬一瞬変化させ続けながら永遠に存在しています

ですから、他人のことをどうこうする前に、己のこころに焦点を向けるべきで、遠回りなようでもそれしかなく、また、最短距離でもある
仲のいいひとが集まって世の中を変えようとしても、その組織にはまた、ヒエラルキーが形成され、資本主義の巷で存在意義を持つために、意に沿わない矛盾を抱えることに成り果ててしまう可能性を含んでいます(T . T)

わたしたちは、全員、ひとりひとりちがう現実を生きていることに気づくと、自分の価値基準、判断の尺度は、己の固有のものに過ぎないことに愕然とします…でも、諦める必要はありません、諦めるの本来の意味は「明らめる」明らかにすることといわれます、如実に知ること、コップにまだ半分水が入っているのでも、もう、半分なくなってしまったのでもなく、ただ、コップには水が半分入っていると冷静に観る
不安や恐怖や憤りは、わたしたち自身が感情にゆさぶられて想念したことに過ぎないわけですね

 無用の用という古事成語があります
車輪の輪っかの空洞は無用なのではなく、車輪を車輪たらしめる元である、と
社会を構成する、非力で名もないわたしたち、表舞台には居ない、見えない、まるで存在していないかのように思われる個々が、からだの細胞のように60兆個集まってこそ機能している

何故、あんな政治家が当選するのか!
それが、今の世の中なのですね、泣きたい気持ちにもなりますが、大多数はそういう認識なわけで、泣いてもわめいても結果自体は変わりません
非力だと嘆く前に己のこころに問う…1%のひとが晴明に生きていれば、そのうち変わります、それが、宇宙を統べる法則性の1つですから

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