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秋が来れば栗🌰

先週、栗ご飯を炊いた(^o^)薬膳の受講者さん宅には、出刃包丁も土鍋もない。
そのうち、まな板も包丁もなくなるのかも知れないね。電気がなきゃ、アレがなきゃ、と便利に慣れると使わない機能は退化する。新しく獲得するのは、コピペやサクサク匿名でひとの中傷をする負の機能だったりしてなんだかね…

夏休みの宿題的に、あまり目的を深く考えないで原稿用紙換算50枚くらいの文章を書き終わったら、あ、ついでにこうすればよくない?と、急に思いついて💡加筆し「50年後の講義ー岡潔先生講義録から」が神業くらいのスピードで書けた。権利関係の確認など問題なければ、そのうち、お目にかけようと思うが、先生が生きてお話になった頃の日本、つまり、わたしが小学校入学付近というのは、いわゆる高度経済成長期と呼ばれる、失われた30年とは対極の時代だった。あの、明治のチョコレート🍫や菓子パンがいきなり倍の価格になったのを子どもごころに、何かすごくない!と記憶している。わたしが、偉大な教育者の存在を知るのは、それから45年近くも過ぎてからだ。
1985年を境にして、1989年以降は加速して、日本は、もう、2度と立ち上がれないくらいに惨めな国になってしまった。わたし的には、明治維新から、すでに古き良き日本の国柄は知らぬ間に消されてしまっていたのだ、という認識でいるので、これまでも、そして、これからもさらにひとりひとり個人の問題と思っているから、停電したらご飯が炊けないようじゃ、ひと様の世話にならなくては生きていられないし、また、そこで文句をいうんだろう。土鍋もなければ、火を起こすスキルもないんだから。
それで、いくらかなんとかしないとマズ過ぎないか、と昔ふうに形容すれば「浅学非才」を省みずにこころ(意識)の真相について書いたりしゃべったりしていて、こんな見知らぬひとの書いたもの見つけたら、きっと袖擦り合うも多生の縁よね、と思うが…岡先生の晩年の講義録を読んでいると、仏教、とりわけ、唯識→光明派→も通り越して、古代からの正統な神道の理念ともしっかり融合して、最終地点まで到達していらっしゃったことがわかるので、アンビリーバブル✨と尊敬しているが、50年前の日本はマルクス(ユダヤ人で、ほんとうは資本主義と偽った共産主義思想)がもてはやされたりしていた時代だったのだし、神などといおうものなら「岡はギガ◯◯た」と変人扱いされ、出版も途絶え、世の中から消されてしまった(T . T)
数学者岡潔思想研究会の横山会長が、先生の死後、10年経ってご自宅を再訪してみると、この10年に訪ねてくれたのは、あなたが2人目です、というありさまだったそうだから、それが、そのままそっくり、国破れて山河あり的な、その後の荒廃を暗示していたのね、まったくね…
社会は、個々人の意識の総和だから、文句をいいながらでもいいから、まず、自分の脳ミソを更新しようではないか、と思うのであります!
(神道には、教義がないなんてウソです)

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