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名残りの桜に

先日、ここならまだ桜が咲いているかもと思いつき早朝の列車に乗った。すでにソメイヨシノは終わって蛍光色のきれいな黄緑の葉にバトンタッチしていたが、種類のちがうマメザクラやピンクの濃い八重桜は咲いていた。ガラス越しに写メすると、パステルで描いたような雰囲気になった。もう何十年も前、父母と夜行のイベント列車に乗り、ここから霧氷と初日の出を拝んだ記憶がある。

パーソナリティを務めるFMラジオの番組で、春のスペシャルトーク「シンクロニシティと情の真相①②③」をやっていて、2日前に②を済ませたところでもあったのでお疲れさんのご褒美も兼ねていた。わたしの場合、半日で終わる出張に+2日の遊びが付帯するパターンになりがちで、出張の際には昼間から新幹線や列車で堂々と飲酒しても良い(社内規定)となっているので、側から見れば良いご身分に見えるかも知れないが、ひとり会社の社長兼従業員なのですべての責任は負っている。誰にも何もいわれる筋合いはない。ワクチンもけっして打たない。

今から30年近く前、歩合の高い営業職に就いていて、離職前には、国の資格も含めて業界の試験にはすべてパスしていたから資格手当を26,000円/月いただいていた。当時は、別に気にしていなかったが、今にして思えば破格の待遇のようにも思える。わが国の空白の30年はまさにそこからはじまったのだが、同時期に自営の道に進んだので、世知辛くなっていく変遷は知らずに済んだ。
何故、自営に転じたかというと、お金の多寡と仕事への愛着ややりがいは=ではない、と感じていたから。しかし、実際にやりたいことをやってみるとまったく食えなかった。それで、予算がなくひと様に外注できない作業も、たとえクオリティが低くても自分でやるしかなく、まぁ、大きな事業でもないし、恥ずかし目を受けたとしても自分だけなのだからと諦めてやってきたが、ふしぎなことにある時期から「アレもこれもできてすごいスキルがあるよね」といわれるようになってビックリしてしまう。必要は発明の母、背に腹は変えられない例に過ぎないが、いくらか身についたものもあったのだろう。それを実感したのは、一昨年、町内の役(会計と組長)を2つ掛け持ちした際、前任者がワープロで美しく仕上げた帳簿を元の手書きのダサい記帳に戻し、さらにコピーして数字だけ記入すれば良いカッコ埋め方式に勝手につくり替えて申し送りをした。町内の年寄り家庭にはパソコンもプリンターもないのだから、こんなのわたしにはできないなんて追い込んでどうするのか。幸い、コロナ禍で行事もなかったから募金もいちいち回収せず勝手に町内会費もすべて組費から捻出した。後任の会計係は、案の定、会計などしたことがないとやたらに不安がるから、いえいえ、大丈夫、数ページにしかならないし、たいした額でもないと伝えた。

人生には、瞬時に判断しなければならないこともある。その時、尻込みせずに、えぃ、っと…責任を真っ向から受ける覚悟で対峙できるか、サラリーマンでこれができるヒトは少ない。自覚はないが組織の庇護でカバーされていることも多いし、第一、予算が確保されているのだから、それもこれも自分ですべてまかなえなんて境遇にはないのだから、ありがたいよね。
わたし自身は、30年前に、ギアを切り替えていて正解だったと思う(^O^)v

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