無知が与えるかもしれない暴力について
小さい頃、近所に自閉症(だったかもしれない)子が住んでいた。だったかもしれない、というのはいま振り返ってみて推測できるにすぎないからだ。
当時その子は普通学級に属しており、親御さんからの説明も「この子はちょっと変わっているんです」という表現にとどまっていた。そして小学生だった私は、「個々人の脳発達にはバラツキがある」なんて考えたことも、勉強したこともなかった。
高学年の生徒が低学年の生徒を引き連れ登校をする、いわゆる「集団登校」という慣習が私の通う小学校にはあった。その子が入学したとき、私は集団登校を率いる通学班の班長だった。当時近所のお姉ちゃんとしてしっかりと引率することに心を燃やしていた自分。
その正義感ったら、それはそれは、恐ろしいものだった。
ここまで読み、何が起きたのか想像できてしまった人は多いだろう。
「その子」は、集団で登校するということがとにかく苦手だった。班員と後ろに並んでまっすぐ歩けない、途中で止まってしまう、ことあるごとに騒いでしまう。そして、私が取った行動は唯一つ。「なんでみんなと一緒に歩けないの?」「私はあなたのために言っているの」と、責め続けるというものだ。
もしあの時自分に知識があったなら、と振り返るとこの件に関しては後悔しかない。私の言動ひとつひとつが「その子」をひどく傷つけてしまっていたと思う。数年経ち、様々な人と本と出会い、私は自分の見識のなさが引き起こしたことの重大さを知った。
あの行動は、その後の彼の人生にどんな影を落としてしまったことだろう。
それから15年経ち、私にも「左右失認」という脳機能障害があるということを知った。左右の感覚を持っておらず、とっさに判断することができない。それが「普通のことじゃない」と気づいたのは、運転免許取得のために教習所に通いだしてからだ。
それからは指輪や時計を頼りに左右の感覚を補完し、行動をしている。急に言われるとまったく反応できないので、前もって伝えてほしいということを身近な人には事前に伝えて、日々のトラブルを避けている。
「わからないことをわかってもらえない」ことがこんなに孤独だなんて、知らなかった。
「右も左もわからないのかよ?」
小学生でのこの経験があってから「無知であることで誰かを傷つけたくない」という想いが、私の学びへの原動力になった。専攻を深めることも、歴史や文化に触れることも、人とのおしゃべりを楽しむのも、世界のありとあらゆるを理解して、『他者』というものに対して想像できる範囲を増やしたいからだ。
今月末に民間の資格試験を受けるので、黙々と勉強している。資格を取得するという短期的な目標ももちろんあるけれど、この勉強を通じて、より深く分かり合える人が増えていくことが楽しみだし、まだ私が経験したことのない痛みや悲しみに寄り添う力を、身に着けるきっかけになればと思う。
※産業カウンセラーの資格試験1週間くらい前に途中まで書いた記事だったみたいです。その後私は虫垂炎を発症し、それどころじゃなかったのですが、改めてとても大切な文章だと思ったので書き上げました。
読んでくださいましてありがとうございます〜