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私の子育て 二男編①(熱性痙攣・反抗期)

次は、二男についてのお話です。
二男は赤ちゃんの時に、2回熱性痙攣を起こしていて、その後は熱が出る度に、痙攣予防の坐薬を入れていました。

本当に毎月の様に40度近い高熱が出て、しかも一度出るとなかなか下がらず、平熱になるまでに一週間かかることが殆どでした。

そんなことで、6歳頃までは心労が絶えませんでしたが、それでも小学生になってからは、体力もついて、熱が出る事も少なくなりました。

学校の勉強の方は、あまり好きではなかった
ようなのですが、私としては、小学生の間は、元気でいてくれればそれだけでいいと思っていました。

しかし、その頃は、実家で両親と暮らしていた時期で、私の母に、毎日のように「宿題やったの?」「〇〇したの?」と口うるさく言われ、段々と反発するようになっていきました。

「放っておいてもちゃんと自分でやるから言わなくていいから」と、何度も母にお願いしたのですが、それは私達が家を出るまで続きました。

そんな事もあってか、時期だったのか、5年生から6年生の頃は反抗期で、結構凄まじかったです。
襖や障子を何度も破る、タンスにマジックで落書きする、物を投げる、物を壊す、眼鏡を折り曲げる等(泣)
(それも、今となっては、笑い話として話せるのですが…。)

そんな二男の反抗期の時、唯一頼りになったのは長男でした。
私や私の両親のいう事は聞かなくても、長男のいう事だけは素直に聞き入れてくれました。
6歳離れている事もあり、長男の事が怖かったのと同時に、その時から長男の事が大好きだったからだと思います。

長男が父親代わりになってくれて、本当に長男には感謝しています。
長男がいなかったら、私は心が折れてしまっていたかもしれません。
毎日続く反抗に疲れて、ほんの一瞬ですが、「死んだら楽になれるのかなあ?」って、
思ってしまったことがあります。
そんな事を思ったのは、後にも先にもこの一度だけで、自分でも驚きです。
時々思い出しては、あの時死ななくて本当に良かったと思います。

そんな反抗期も、中学生になる頃にはすっかり落ち着いて、後で思えば、早い時期に反抗期があってよかったかなと思います。

中学校、高校と友達にも恵まれ、元気に学校生活を送り、高校卒業後は、県外の専門学校へ進学しました。
そして、初めての一人暮しがスタートしたわけです。

このまま楽しい学校生活が送れる、と信じていたのですが…
                 続く

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