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20210619 普通に存在する風景から・・・

今日の午前中は、リハビリでかなりの負荷をかけたので、疲れ切ってしまった感がある。
カメラを持って出ていたけれど、結局触らずじまい。
持って出ていただけ、荷物になってしまった。

そんな時は、以前に撮影したものを見直すことが多い。
表紙に貼り付けたのも、今更ながら良い瞬間を撮れているなぁと感じた次第。

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ここの踏切もあと10年ほどで無くなる。
かれこれ30年ほど、ここの踏切を使ってきただけに、この踏切の表情を残しておきたい気分になった。
我が街は、本当にありとあらゆるところで工事が進められ、10年で街の姿が大きく変わろうとしている感じがある。

見た目は良くなるのだろうけれど、それが厚化粧でないことを祈らずにはいられない。
人が手を入れてしまうことで、本来は自然と本能的に気をつけていたところが、見えなくなってしまう恐れがある。
世代が入れ替わることで、過去の教訓が途絶えてしまうことはよくある話だが、見た目が変わることがそうしたことを誘発しやすくしているのもある。

そういう意味では、原爆ドームや野島断層、奇跡の一本松、大川小学校などというものは形として残っているだけで、語り部となるものだと思う。

この写真のこの場所。
ブラタモリ的に見れば、段差があるわけだけれども、実はここには断層が隠れている。
いわゆる断層崖。
交通の流れを円滑化、踏切などの事故を減らす安全性のためにということで高架化される。
しかし、ここに断層があって地震が起こる可能性がある時、高架がダメージを受ける可能性を否定できない。
それよりも、地上を走っている限り、復旧は簡単に済ますことができる。
ましてや、コンクリート構造物は必ず劣化し、手入れし続ける必要もある。
今後の持続可能な社会をと考えたら、このまま地上を走らせておいた方がいいと思うのだけれど、どうなんだろう?

そんなことを、ここの踏切を撮影して思ったりした。

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