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目の前にはその人がいて…

珍しくブログと同じ記事を載せておきます。




もしたくさんの方々を救っている医師がいたとして
その人は救っているという意識があると思いますか。

救いたい。その想いはあると思います。


もしたくさんの方々を救っている医師がいたとして
その人は救っているという意識があるでしょうか。

もし、たくさんの人を救っている医師がいたとして
間違いなく、
その救っている数の数十倍、数百倍の人を救えなかった…という
現実に直面しているはずです。


そんな人生を生きている人が
救っているという意識があるでしょうか。

もし、救っているという表現ができる人がいるならば
きっとそこには、
何かしらの《基準》と何かしらの《排除》があることでしょう。


「相手を変えようとしても変わらなかった。
それは、相手が変わろうとしていなかったのだ。
変わらないことにメリットがあったのだ。
だから、私のせいじゃない。
私はベストを尽くした。」

こういう考え方をしている方が多く見受けられますが
これも、この排除にあたると私は感じています。


きっと、たくさんの方々を救っている医師がいたとしたら
その人は、このような形の正当化はしません。

それは、自分中心の考え方をしないからです。



多くの人に関わり活動をしていた方が
自分が楽しいこと好きなことを始めるという姿があります。

きっとそれは、
助けることができなかった人を


「変わらない人は、変わらないことにメリットがあり
それを自分自身が選択している。
結局、自分自身の選択で人生は動くのだから、
自分の人生、自分が楽しまないと。」という理屈で
今まで関わった人を見ているからなのかもしれません。

私も初期の頃は、そういう現実をたくさん見てきました。


しかし、どう考えても
「変わらないほうがメリットがある」という説明ができない現場を
たくさん目の当たりにしてきました。

それは、自分のサロンで向き合うよりもその人の住む地域で
その人の自宅で…向き合ってきたからこそ観えてきたものでした。



動けない。
変化できない。

何がその人をそうさせるのか。

そこには、過去の経験も、親からの影響も
その人の感情も関係がないことがわかってきました。

思考では、今の状況がメリットではないことは充分にわかっているのに
動くパワーが出ない。

そこには、何があるのか。



それをお一人お一人微細に感じていくと
その人のオリジナルな動き(反応)が観えてきました。


思考では理解しているけれど
その動き《本質》がそれを握れない。


そもそも本質というものは、メリットに反応しません。

メリットデメリットに関係なく、自分らしい反応ができるものを求めます。


自分らしい反応というのは、もちろん
メリットデメリットではありませんから、
好きなことではありません。
楽なことでもありません。


きっと思考では、
メリットデメリットでしか物事を見られませんから
今この文章を読んでも、「自分らしい反応」という言葉を
メリットデメリットに置き換えてしまうでしょうけれど…



その『本質の反応』



それは、何かから影響を受けたものではありません。

その人そのものの反応です。


その、その人そのもの《本質》が握れるもの。

メリットデメリットではなく、《本質》が握れるもの。


それを照らすことで、その人が動き出す体験をしてきました。


本質は、好き嫌いでも得意不得意でもありません。

メリットデメリットを選択しません。


ですから、その《本質自体に選択肢》を与えれば
今まで全く興味がなかったものに急に興味を持ち始めたり
今まで何度やってもできなかったものが、急にできるようになったり
好きになったりします。


そのような体験をした方々がたくさんいます。


しかし、私にも
関わりきれなかった方々がその数十倍はいます。


先日、セッションを受けてくれた方は
知り合いの亡くなってしまった旦那様のブログを偶然見つけ
そこには、私のセッションでのやりとりがあり
その言葉が響いたということで
私に連絡をくれました。


命を助けることが救うことではないけれど
生前こうしてブログに私のことを書いてくれた方も
もういません。


その方が、
自分自身の人生を感じてくれていたことを祈るしかありません。


その方々を想い
私は、向き合う人の本質が
その人自身の人生を選択できるように関わり続けます。


私は向き合う人が、
選択ができないことを
諦めの中で見ていたくはありませんから。

その人の人生はその人のものであるからこそ
その人自身が、
自ら選択できるようになってほしいのですから。


そら:山本博



救うという言葉が嫌いな人がたくさんいます。

救うのではなく寄り添うんだ。

そんな言葉を変えてみたところで意識の上では何も変わっていません。

救うでも寄り添うでも後押しでも言葉なんて何でもかまいません。

そこに排除がないか、自分にできることという制限がないか。

そこを見つめていただけることを願っています。

そもそも、人に関わる上で役割など何もないのですから。

目の前にはその人がいて

その人に私は何をしたいのか。

それしか無いのですから。



私について
https://note.com/sora_ni/n/n773d4f893f4d

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