そんなものも書けないのか?と怒られた記憶の話
小学一年生の時
夏休みの宿題か何かで
ポスターを画用紙に書いていく
と言うのがあった
私は絵を描くのが好きだった
空想の絵を毎日書いていた
理想の家や空や虹を…
そんなある日
宿題のポスターを書いていると
父親が覗いて見てきた
そしてひとこと
お前こんなのも書けないの?
簡単じゃないかポスターなんて
こうすれば良いんだよ
と
スラスラスラっと横から手入れされた
私は一瞬何を言われて
なにか起きたのか分からなかった…
構図はこう
文字列はこうして
みたいなアドバイス?
もうほぼ父親か書いたようになってしまった…
私は、それ以降父親のいる所では
絵を描くことはしなくなった
勉強もしなくなった
後に私は
父親の通っていた中学に通うことになった
父親の後輩になった…
図書室にある卒アルに父親の名前を確認した
私の在学中の校長が私の父親の担任だったらしい…なにかの時に、父親がポスターのコンテストか何かで賞を取ったことがあった話をその校長からだったか記憶は定かでないが聞いた…
私は、小学一年生の時のあの得意気に手直ししながら私を貶した父親の意味が分かったような気がした。
俺は、絵が上手いと褒められた
だからお前にもできて当たり前
とまぁそんなところだろうな…と。
それに引替え
母親は全く絵心のない人でした
勉強も出来ない人
私…
父親の事好きでも嫌いでもないんだけど
父親が私の事嫌いだったって
まぁなんか分かるけどさ
父方の爺ちゃんは好きだったよ
臭くて汚かったけど雰囲気イケメンの自由人間だったからなんかカッコよかったんだよね…
父方の婆ちゃんはそんなに好きじゃなかった
愚痴ばっかり…
爺ちゃんの悪口
私の母親の悪口
戦争の話
戦争で兄弟が亡くなった話
なんかそんな記憶ばかり
お小遣いを沢山貰えたから
そこだけありがたかったけどね
でもなんか
そんな問題も解けないの?
みたいな事言う人ばかりだったな…
あの一族は…
という記憶。
なんだったんだろ?
多分私のネガティブの塊はあの人たちの刷り込みなんだろうな…
田舎なのに珍しくその時流行ってたアーティストがライブに来ると、父親の姉の娘が私を誘ってくれて叔母と従姉妹と私で行く事になって
私なりのライブに着てく服はこんな風
という服を用意していたのだが
それで行く気なの?
ちょっとそれじゃ私達が恥ずかしいから、別な服買ってあげるからそれを着てちょうだい!!
って血相変えて言われてね…
着せ替え人形になった挙句
私の好みと真逆の路線の服
を身にまとい
ライブへ行ったのだけれど
その、服の一件の事しか覚えてなくて
ライブがどうだったのかの記憶が無い
その服は
こんな服買ってもらったけど
どう?
って…母親に見てもらう
ネタ
になったのは言うまでもなく
あの人たちらしいわね
って母親は笑って終わらせてたけどね…
ひらひらのレースのある
カントリーっぽい?なにそれ?
分からないけど
私ってなんなの?ね?
なんか、
noteのタイムラインに流れてくる
絵描きさん達の絵を見ていたら
そんな記憶の欠片を思い出したので
書いてみました…
絵心のない私の話と言うよりは
私の絵心を削ぎ落とした人達の話
でした
お読みいただきありがとうございました🙏
感謝🍀
またつまんないこと書いた…
反省😑
面白いと思えたらお賽銭気分で投げ銭よろしくお願いします☺️👍