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生きるとは何なのか。(戯言)

って何となく思ったし
やっぱり人って生きるってなんだ?
が無いことには始まらないのかもしれない
生きて欲しいと生き残らされた人々の中に
託された何かをそれなりに全うできた人なんて
どのくらい居るのだろう?
"長生きをする"ってのは
《誰かに託された何か》を
《やり遂げるまでの期間は何がなんでも生きなさいね》
って意味であって
現代における過剰とも言える延命治療
治療とも言えないような
ただただ肉体を生きた状態に保存して
いつかできることなら
意識が戻って以前のように語り合いたい
みたいな希望を抱いてしまう
魔境に迷い込んだような人々が
多くいるのではないのか?

なんて
思ってしまったんだよね

まるでピラミッドの時代の
転生した時にこの肉体が無いと困るから
朽ちてしまわないように保存しようとした
ミイラのような扱いな気がして
生きたままミイラ化している人々が
どのくらい居るのだろう?と
ちょっと変なことを思ってしまった

肉体は壊れるし治せなくなるし
戻らなくなったら捨てるしかないし
本人の意思があればできることも
本人の意思がなかった場合はそれも選べないわけで

でも
戦や何かで落とす命は誰かに何かを託す
なんてこともありうるしそうやって人々が命を繋いできたことは間違いない

が!
が!なのよ。


この戦のない時代
事故や病気や寿命が来ない限り
死に行く機会というのが無いという
これまた不思議なことが起きてるような気がする

生きる選択肢以外認められない時代にしてしまったのに、高齢者福祉やら障害者福祉と言ってはあれこれ手を尽くしたふうに見せて
実は不要な人の延命というエゴでしかないのではないか…なんてことも思ったりもして…

偉そうに何も言えたギリはないんだけど
どうしてこんなにも
人は何かを求めたがるのか
生きてる限り答えは見えてこないというのに
分かっちゃいるけど辞められない
これも生きるサガってやつなのか
なんなのか

過去の偉人にかこつけて
あれこれ脳足りんやつが講釈たれても
誰の心にも何も起こせない
そんなことは分かりきったこと
分かりきったことだからこそ
こうして書いてみるのも
ありなんじゃないだろうか


なんて
思う1月の終わり

こんなのと

こんなのを

見たあとの嘆かわしい戯言
失礼致しましたm(_ _)m

感想ではない
ただの嘆かわしい戯言です
歴史的解釈なんて微塵もございません
演劇理論もない
なんとも嘆かわしい戯言なのです
語らうような何かは持ち合わせておりません故
お許しくださいますように。

注意書き置いときます

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