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2024/07/02

オンラインで面談をした

人とオンラインで話をする事は
あまり得意では無い
まずカメラに映る自分の姿が嫌いなのだ
鏡で見る自分の顔が嘘なのだろう
自分の理想がそのまま見えるのが鏡
だとするのならば
カメラを通して見える私の姿は本来の私なのだろうと、そんな理解の仕方をするのが私の特徴である。

ってこんなところで自己解析したところで
こんな無名のたった個人の私のことなど
興味のある人は居ないだろう

誰も知りたがらない私の事

書いていて虚しくないのか
なんなんだ
なんの意味があるのか
それで賞賛されたいのか

まず基本は
読まれないだろうことが前提である

こんなに読みにくい文章にもならないものを
好んで読む人など私以外にいないと思う
私は時折昔書いた自分の文章を読み返しては
「面白いこと書いてるな過去の私」
と自己満足して賞賛するのだが…
共感は誰からも得られないのだろうな
それが目的ではないから良いのだが


このような自己分析のような事は
かれこれ40年近く続けているので
私には苦では無いのだけれど
普通に生きてる人たちはそんな事はしないらしいのだ
そしてその言葉を聞く度に思うのは
「この人はなんのために生まれてきたのか?」
ということ
よく生きてることに理由はいらない
などと言われたりするけれど
ではなぜ私はそこが気になるのか?
理由も無く存在して消えて行く?

人は生まれて死んでいく
全ては無から始まり無に還る

そうだろうな
意識や思いなどはどこへ消えるのか
全て幻なのだろうか
考えれば考えるほど
分からないのだが分からないから
また考えてしまうわけで

愚か者な私をなんとなく緩っと笑う

という話の脱線をやめるには
何をしたらいいと思いますか?
オンライン面談をした際に
ライターの仕事が向いてるとか言われましたが
これでは仕事になりません

学のない私なので
知識もなく書くからいけないのだけれど
これを構成し直してくれるような
誰かもいないので


どうしたら良いものか…

ここに置いてても読まれないもんなぁ
(´▽`*)アハハ


この箒で履いたあとみたいな
かすれた雲が好きだったりします


嫌われる勇気とか聞いてるけど
だからなんだよ〜と
無に還る事を思うと全て解決する
日々のひとコマだったりします


自然の美ですね
美しい緑です

面白いと思えたらお賽銭気分で投げ銭よろしくお願いします☺️👍