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21歳わたし怠惰シチュー

 みなさん、シチューはお好き?わたしは好き。とろみがあってすくう度にたぷんとこぼれるあの感じ、煮込みすぎて具材が原型を留めていないあの感じ、口に入れると柔らかい甘みが広がってうっとりするあの感じ、ロールパンの真ん中をほじくってそこに入れてみちゃうあの感じ、好きだなあ。好きなのだけど、ひとり暮らしが始まってからわたしにとってのシチューは変わってしまったの。悲しいけれど、変わってしまいました。
 シチュー。現在21歳を生きるわたしにとってのシチューは「怠惰の煮込み」です。とろとろのにんじん、じゃがいも、きのこ、たまねぎ、ほろほろの鶏肉がシチューの理想像だとしたら、わたしのはもう、もうそれはかわいそう。使いきれなかった冷凍のサケ、同じく使いきれなかったほうれん草、ブロッコリー、缶詰のまめ類、50グラムほどの合い挽き肉等など、日々のちょっとした怠惰をなかったことにするために煮込まれるシチュー。それがわたしの。毎回中身は違う。シチューのルーに全てのおいしさを任せて、これでもかと具材を入れる。口に入れれば笑顔になるけれど、そこまでの過程を思うとちょっと気が引けるなあ。そんなシチュー。
 シチューを半年に1回だけ作る。半年の私が犯したあれこれを隠すように作ります。でも、毎回溢れさせて「ここでも君はやらかすのかね!」とブツブツいいながら片付ける。もたもたした形状だから布巾じゃ拭いきれなくて、結局ペーパーをたくさん使って片付ける。反省はしてますよ、毎回。
 なんでカレーじゃないのと聞かれたことがある。多分それはカレーがカタイからじゃないかと思います。例えると、カレーが背広でシチューが寝巻きみたいな感じ。カレーは「さあ!具材をお入れなさい!ちゃんと均等に!おっと、それを入れるのはちょっとまずいのではないのかね」といいそうだけど、シチューは「お好きなものを入れていいのよ。わたしが全部美味しくしてあげますからね、好きなようになさい、好きなように」といってくれそう。だからカレーじゃダメなのです。
 春夏秋冬朝昼晩、「21歳わたし怠惰シチュー」を愛しているけれど、怠惰を煮込んでいないシチューも愛おしいなと思う。うん、そうだ、今度実家に帰ったら母親にシチューを作ってもらおう。作ってもらった暁には、そのシチューに責任をもってこう名付けることにします。「歳は内緒ママ愛情シチュー」。怒られませんように。

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