『近代心理学の根幹にはスピリチュアル(精神性/霊的)な伝統がある』 ーその1―
『近代心理学の根幹にはスピリチュアル(精神性/霊的)な伝統がある』
『近代心理学の根幹にはスピリチュアル(精神性/霊的)な伝統がある』という言葉は、私個人の見解ではありません。
「現代で最も重要な思想家」であり、「意識研究のアインシュタイン」とも呼ばれている、ケン・ウィルバーの著書「インテグラル心理学p34」からの引用です。
スピリチュアルという言葉はかなり曖昧な言葉で、特に日本の学問領域ではあまり用いられることは少ないと思います。
一般的なスピリチュアルの認識
一般的なスピリチュアルな認識では、
初見の段階では、 チャネリング、タロット、占い、ヒーリング、オーラ、気功、心霊現象、予言、オカルト、UFO、超古代文明、臨死体験、死後の世界、輪廻転生、神、精霊、天使・・・などの分野が有名です。
これらに長く関心を持っていると、中堅の段階に入り量子物理学、ホログラフィック宇宙論、プレーン宇宙論、パラレル宇宙などの最新宇宙論と上記の概念を結び付けて理論展開したりします。
上級の人々は、実際にスピリチュアル(霊能力的)な才能を交え、これらの見識を交えながらヒーラーとしての能力を国内外の有名な先生に弟子入りし、実際にヒーラーやリーディング、チャネリングを行いながら生計を立て、本を書いたりセミナーをやったりします。
それらのメッセージは、自分が神そのものであり、スピリチュアルの探究過程は自分が神であることを思い出すこと、というようなフレーズにまとめられます。
その過程の副作用で、個人的には自分の波動が上がる、ブロック(カルマ)が解除される、浄化が起こる、天使や龍神、宇宙存在などの高次元の存在とのつながりが出来る、ヒーリングやリーディング能力が上がるという現象が起こります。
そして、その過程を経ながら死後の世界も続くスピリチュアルヒエラルキーの階梯を上がっていく。
集団的には、地球の波動上昇を個人と地球の相互作用で上げていき、望むパラレル地球へシフトする、地球と宇宙のアセンションへの貢献につながる、というような全体像があります。
現在は宇宙的にも地球の波動上昇に注目が集まっており、その見学と体験をただやりたいがために地球に転生している存在も多くいるといいます。
上級の人々はそのサポートや見守り、と言った立ち位置でいらっしゃる場合が多いように感じます。
近年のスピリチュアルの動向
昔はTVで、江原さんと三輪さんが「オーラの泉」というTV番組で芸能人の霊視鑑定を行っていました。その背景理論は、英国発祥の「三大霊訓」をもとに展開される、先に述べた霊的成長過程をベースにしたものが中心だったように思えます。
そのため、霊視の最後は先祖や親、周囲への人々への感謝と、そこから生じる今後の人生で人助けに繋がる活動が推奨されます。スピリチュアルカウンセリングは、最後には道徳的な結論に収束していたように思えます。
しかし、2000年から徐々にスピリチュアル界隈にも徐々に変化が起きているようになります。
というのもこれまで世のため人の為、神の為にスピリチュアル階梯を上がっていくストーリだけで納得できる事例が少なくなったこと、単にインターネットの普及による情報流通速度が上がったために、そのような霊的人生論が飽きられてきた、という背景があるように感じます。
そのため、スピリチュアルでは「前世のカルマの清算」、「まいた種は刈り取らなければならない」、というような論理に虐待やいじめ、大病や障害、戦争、理不尽な事件・事故、大災害などについて、大雑把に説明してしまう原理よりも、
「引き寄せの法則」、「パワースポット」のようなお手軽でありながら、近代科学や認知科学の見解に重なるような理論が流行るようになります。
瞑想・非二元・ノンデュアリティ
そしてそれも廃れていくと、日本社会ではオウム真理教事件で忌み嫌われていた瞑想へのアレルギーが減ってきたことも手伝ってか、瞑想が徐々に流行ります。
この背景には、海外での臨床現場でマインドフルネス瞑想の効果が確かなものであることが輸入されてきたことも影響として挙げられます。その流れから、医療、福祉、企業でマインドフルネスがもてはやされます。
日本でも瞑想という言葉が以前よりも怪しげな行為であるという認識が薄れてきました。そして、同時に「非二元」、「ノンデュアリティ」という書籍も精神世界の中で見直されます。
もともと日本発祥の「禅」という言葉と概念が海外から逆輸入される形で広がって、渋谷のど真ん中でフィットネスクラブの一貫として瞑想が取り入れられるなど、一般社会でもその認知が定着しています。
アカデミズムにおけるスピリチュアル
学問、医療、ケアの領域で国際的に使われている、「スピリチュアル」という言葉は、上記の一般的な意味合いでは使われていません。
トランスパーソナル心理学/精神医学会会長、臨床心理士である石川勇一氏の著書「心を救うことはできるか」では、「スピリチュアル」「スピリチュアリティ」の意味について、
1.宗教性 2.人間の究極的な発達 3.崇高な価値やそれにもとづく体験 4.神秘体験やその時の意識状態 5.実存 6.全体性
としてまとめています。
それぞぞれの解説は本書に譲るとして、これらは「偽りの霊性」から真摯に冷静に距離を取って、培ってきた見地であるように感じます。
そのため、安易な解決策やエゴが喜ぶような情報ではないため一見地味に感じるかもしれません。
また、そのような見識でなくとも、今切迫していて救いを求めている、という現場の状況下においては、上記の概念は机上の論理としか映らないでしょう。
さらに、これらの概念を理解し、応用できる人間はそれ相応の識別能力とIQがあることが前提です。
その様なわけで、スピリチュアルというアカデミズムの概念は臨床現場や日常生活においては実際的ではなく、一部の関心があり能力と状況に恵まれているものにしか縁がない概念となっています。
これが一般社会でスピリチュアルという概念に漂う怪しさをぬぐいきれない要因の一つてもあります。
現状では、機会とお金があれば安易に救済がもたらされる可能性を示唆する「偽りの霊性」であるスピリチュアルが大きな影響をもって現在でも問題になっています。
一般的な安易なスピリチュアルにはびこる「偽りの霊性」
「偽りの霊性」は、幼稚な子供(エゴ)の遊びとも言えます。「偽りの霊性」とは、本書「心は救うことが出来るのか」によれば、
<偽りの霊性>
ニューエイジや精神世界に心酔する人々の中には、現実的な問題から逃避するために、安易な癒しを求めて、スピリチュアルなものにすがるということがしばしばみられます。 劣等感やコンプレックスを克服するために、現実的な努力をせずに、耳障りのよいスピリチュアルな言葉を信じて、苦しみから逃避しようとする場合もあります。 スピリチュアルな言葉で自分を正当化したり、意味のない出来事に大げさな意味を見出したり、自己中心的な物語を作り出して自己を神聖視するなど、自己愛的な世界を構築してしまうのです。 これを自我肥大といいます。自我肥大を起こすと、実際は努力不足や実力不足で問題が起きているのに、やるべきことをせずに、現実を見ずに、私は宇宙的な使命を背負っている、人類の意識進化のために戦っている、悟りを開いている、霊性が高いから迫害されているなど、都合のよい自己愛的・誇大的な妄想に逃げ込むのです。 これは明らかに「偽りの霊性」であり、心理的・社会的にさまざまな問題を引き起こします。
歴史的背景から(カルト宗教、オウム、宗教戦争)などの大きなリスクから、合理的な心理学が生まれた
こうした「偽りの霊性」は人類史に常にはびこっていた現象です。
有名なところでは、「中世の魔女狩り」、「ガリレオガリレイの宗教裁判」、「現代までにおける宗教と政治の癒着」・・・
こうした現象は、人間のエゴが生存欲求をかけて自己防衛した結果として、スピリチュアルを利用して事による悲劇が起こっているのですが、
その根底はエゴの暴走です。
エゴの暴走は、感情的、思考的、認知的な側面で常に自分を防衛し、尽きない不安と恐怖から、尽きることのない拡大と支配を試みる現象として現れます。
それがマクロでは戦争、社会的なスケールでは虐待、いじめ、パワハラ、ミクロの個人単位では、自己卑下、自傷行為などとして表現されます。
―その2―につづく
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