見出し画像

特異な意識状態や、非二元の意識状態だけに囚われれることの罠

日常の意識状態と、特殊な意識状態

人間には様々な意識状態が存在します。

最も日常的な意識状態は、・目覚め・夢・眠り、といった意識の状態でしょう。

しかし、この「目覚め」ている意識状態においても、人は様々な状態が存在します。例えばリラックスしている時と、スポーツに興じているとき、また、眠りと目覚めの間のまどろんだ状態や、学習に集中している時・・・など様々です。

それらの状態の脳波は、α波、β派、Θ派、ミッドα波など様々です。ちなみに熟睡時はΔ派という波形が流れています。それぞれの波形の時には肉体の状態が異なるとされており、Θ派の時は、細胞が修復しやすい波形だと言われています。

こうした一般的な状態の脳波と意識の状態はよく知られていますが、日常生活では味わえない、極限状態の意識状態や、普段ではありえないような意識状態というものも存在します。

例えば、事故にあった時に、生まれたときから現在までが走馬灯に流れる現象や、幽体離脱現象、臨死体験、自身の意識が体から抜け出て、宇宙外から地球を眺めるような意識状態を体感する状態(オーバービューエフェクト)など、トランスパーソナルな意識の状態というものは、事例は少ないのですが、存在はしています。

このような意識の状態は人生観を一変するといいます。どのように一変するかと言えば、その意識状態を経験する前と後では、他者や世界、そして地球に対する思いやり、謙虚さが増大し、自己中心性が減少するという傾向です。

つまりざっくりいうと、自他にとって好ましい意識の状態に変容するということです。

この傾向を促すために、古来から瞑想による修練が積み重なっていました。

そして、現代では「ヘミシンク」という音響技術や、無重力を体感するタンクなどが科学的に再現される技術として開発されています。へミシンクはヘッドフォンから流れる左右音に、音のうねりの差を生み出すことで、対外離脱を行う変性意識を作り出すというものです。

ちなみに私は、「ヘミシンク」については、何枚もCDを持っておりよく聞いていました。書籍では死後の世界や、地球を飛び出て他の惑星の精神体と交流したりと、かなり刺激的な内容が書かれていましたが、私はだいたいが眠りに落ちてしまい、面白い夢を見るというような経験ぐらいしかできませんでした。

個人的には、瞑想や集団での意識変容のワークで、体が消えたと感じる体感や、不思議な光景が見えたりした経験はありますが、体外離脱や地球外に意識が飛んでしまうという経験は、興味深いですが経験は今のところありません。

実際に、そのような意識の状態を経験している人を何人か知っています。ビッグバンから宇宙が拡大し、最後にまた縮小に転じる光景を眺めた、というような体験です。

体験談を聞くと、嘘を言っている様子ではありませんでした。確かにそのような体験は人生を一変させるでしょう。

意識状態の変化

コップに入った水は、温度が0度を下回ると凝固し始め氷になります。0度を超えると氷は融解し、液体になり、40度前後でお風呂の温度に。それ以上は暑くて入れません。

さらに熱すると、沸騰し始め、100度で水蒸気に転じます。水蒸気はコップからどんどん飛び出ます。

そして、水蒸気をさらに熱すると、これはあまり知られていませんが「プラズマ」という状態になります。普段あまり目にすることはないプラズマですが、実は「宇宙で最もありふれた物質」とされ、宇宙の物質の99%はプラズマの状態にあるともいわれています。

地球上ではプラズマは、雷やオーロラとして観測されます。

氷でできたコップに入った水は、熱するという環境からの刺激によって、個体→液体→気体→プラズマ、という状態を経ます。

これを意識の状態になぞらえると、個体や液体という状態はよく普段経験する意識の状態と考えることが出来るかもしれません。

自然界では海、川、湖、雨というように液体の水はよく見かけますし、北半球に行けば年がら年中氷は存在しています。

人類が火を用い、熱するという行為を覚えたことで、水が水蒸気という気体になるということを、それまでよりも格段に経験することが出来るようになったように思えます。

人類が火を扱えなければ、水蒸気という現象は地球環境では、火山や温泉といった地域では観察されました。つまり、水蒸気というその現象はあまり知られていなかったかもしれません。

まして、プラズマという状態は近代以降になってからの知識でしょう。

氷や液体といった状態は人間の普段の意識状態になぞらえ、脳派で言えばα波やβ派の波形の状態かもしれません。水蒸気という状態は、Θ派ぐらいの波形の状態です。

水が熱せられるということは、よりH2Oの分子の振動が大きくなっているということです。氷のコップに入った水がコップから飛び出ていくように、熱を持ち振動数が高い方が、より自由度が高まるということです。

水蒸気は、もはやコップという枠を飛び越えて、部屋というスケールで存在します。氷のコップもとうに解け消えています。

そしてプラズマは、部屋というスケールをも飛び出します。

こういうわけで、意識の状態によって、肉体がコップという容器であれば、水蒸気のようないしきの状態が幽体離脱や臨死体験、オーヴァービューエフェクトのような状態なのかもしれません。

そして、プラズマという意識の状態は、万物との一体である非二元の状態であるということです。

意識の状態にこだわった罠

このように臨死体験や幽体離脱、非二元の意識状態とは、得意な状態で古来の賢人や聖人が経験してきた意識状態としてあがめられてきました。

現代でも、ノンデュアリティや非二元、そして臨死体験や幽体離脱の経験を扱った書籍は売れており、その内容は夢や希望、そして生きる指針さえも示してくれるような感じになります。

非二元、ワンネスという意識状態のメッセージは、「すべてがあるがままで完璧。だから自分が欠点や未熟なものだと錯覚して、より良い人生やより良い自分を追い求めることはナンセンス。何故ならあなたは今・ここで完璧で、神だから。」

というような感じです。

だから、ネガティブな情動があっても、それは起こるべくして起こり、現れては消える空に浮かぶ雲のように、一時の現象であるというわけです。

つまり『ネガティブな情動を追いかけて、消そうとしたりコントロールしようとすることは、蜃気楼を追いかけることと同じで無駄に終わる。案ずることはない、常にあなたはゴールにいるのだから。』

というわけです。だから知識や方法論は、蜃気楼を追いかける過程の物だから獲得する必要はないし、捨て去りなさいと言うわけです。

彼らの話は最初は興味深いのですが、常に「意識の状態」について話をしているだけだということに気がつきます。

上手くサッカーが出来る方法、料理をおいしく食べる方法、異性と上手く付き合う方法、子育てで上手く関わる方法などの方法論については全く語りません。

極端な例ですが、例えば若い母親から、「赤ん坊が泣き止まない」という相談があったとして、非二元論者は「あなたも子どももいない」というようなことを比喩を用いて話します。

しかし観る人が観れば、そては単にオムツを変えていなかっただけだ、ということが分かるかもしれません。その「知識」が無ければ、赤ん坊は自分の排泄物で皮膚がかぶれ、ますます泣き止まなくなり、大人への潜在的的な不信感を学習するかもしれません。

ノンデュアリティのスピーカーは非二元というまれな意識状態(水で言う状態で言えばプラズマ)の状態について繰り返し話をします。確かに繰り返し話をすることで、自分が氷のコップだと同一視している錯覚から抜け出る可能性が高まります。

しかし、その話している内容は「意識の状態」だけです。

それで問題は当然ですが解決はできません。非二元の意識状態に到達したとしても、明日の試験は勉強しなければ赤点をとって落第する確率は変わりません。

非二元では、それを「問題」とそもそもみなさないから出会って、起こることは淡々と起こっていきます。

それは社会でも世界でも同じで、問題とみなさないかどうかで、差別を起点とした政策や戦争、格差という現象は起こることは起こります。それを問題とみなすかみなさないかですが。

しかし「問題」は悪いものではありません。成長過程における、乗り越えるべきハードルであるということです。

氷のコップの例

沢山の種類の氷のコップがあると想像してください。氷のコップはそれぞれに大きさや形が違います。丸い形や三角、六角形、花瓶のような形やお皿のような形、無限の種類があります。そしてそれぞれの氷のコップにも色がついています。

そこに氷水を入れます。

水は0度に近ければ、コップはすぐに解けることはありません。自分が氷のコップに入った水だと仮定して、その氷のコップの中から外を眺めてみます。

コップの色と形に添った光景が見えるはずです。

気温や、理由は得分かりませんが、外からの予測できない環境の刺激で、ある一つのコップの水がどんどん温度が上昇します。

温度が上昇したコップの水は温まり、少しづつコップの形を溶かして変えていきます。それに伴って中から見える光景も変わってきます。

「意識の構造」と「意識の状態」

この例えでは、氷のコップの形や大きさ、というものは自身の体格、性別、能力といった遺伝的、肉体的なもののです。また、コップの色や模様は、文化、風習、価値観、宗教という慣習的なものとしてこの例では考え、それは思考を形成します。

そして、氷のコップに入った氷水は意識の状態です。環境からの刺激によってその状態は個体→液体→気体というように変化していきますが、その眺める光景はコップの容器の大きさや、色によって変わってきます。

容器の形や色は「意識の構造」で、中身は「意識の状態です」。

伝統的な変性意識や非二元意識のみを狙った修行や教え、というものはコップの中の水の状態にしか興味を示しません。

彼らの話を聞くと、それが悟りに最も必要で、他は無用な幻想であると切り捨てるように聞こえるか、全く関心を示さないように見えます。

だから彼らは国家の政治システム、宗教、文化というものにあまり関心を示さず、日々淡々と自分の意識の状態にのみ関心を示します。そして人里離れたところで修行のみを行います。

誤解を恐れずに言えば、大乗仏教と小乗仏教(過去の表現形式ですが)の在り方のような感じです。

自分の意識の状態が変われば、コップの中から眺める光景も変わると考えています。

それは半分は正解ですが、コップの容器の形や色が外を眺める光景に大きく影響を与えているという視点が無視されています。意識の構造も状態と同じように自他に影響を及ぼします。

サングラスをかけていれば、風景は黒いのです。

コップの容器の形や色は、政治、文化、宗教、学問体系で構成される思考という認識フレームのことで意識の構造です。

意識状態と認識フレームの相互作用で「私」という存在は構成されており、どちらか一方ではありません。

「主観的な体験は、間ー主観的な構造によって生み出された空間の中で生まれる」(インテグラル心理学 K・ウィルバー著)

ここでいう、主観的な体験というのは、この記事で言う意識状態のことで、間ー主観的な構造というものは政治、文化、宗教という価値観のことです。

『私たちは、自分の好きなことをなんでも「自由に」考えているわけではない。言い変えれば、主観的な思考は、文化的な世界観という間ー主観的な構造によって生み出された空間ないし場所の中で生起している。』(インテグラル心理学 K・ウィルバー著)

文化的な世界観が独裁国家やカルト的宗教、極端な拝金主義、共産主義であれば、そのような思考を持つ、非二元の意識状態を持つ者が誕生しているということです。

あまり目立たないことですが、実際にインドの非二元の優れた教師と言われる人が、当時のインドの風習どおりの極端な男尊女卑的なふるまいを行ったり、

宗教の教祖が高次の意識状態を経験しているのは確かなのに、幼い政治様式や思考から、信者ともども問題を起こす集団に発展いくという背景には、このような問題があるからです。

しかし、高次の意識状態を経験した者に対する、大衆の期待や偏見からこのような問題の事実はあまりクローズアップされません。

非二元やトランスパーソナルな意識状態は、どのようなコップの容器(肉体、文化、宗教、価値観)においても経験可能です。

しかしそれの意識状態が、暗黙の内に進化の頂点であり、ネガティブな感情との決別であり、ある種の成長の最終段階ではありません。

水蒸気になると、コップの容器を飛び出し、活動範囲を部屋というスケールで行います。プラズマは、万物がその活動の場になるということになります。

コップというフレームを飛び出し、他の水蒸気と協調しながら部屋の中を飛び回り、プラズマとなって万物と一体になって存在するならば、風の時代と言われる現代はちょうどコップから飛び出て、様々な存在と繋がる時期なのかもしれません。

その時には、新しい空間を形成するフレーム(コップなのか、部屋というスケールなのか、そしてそれはどのような形と色なのか・・・)が議論されます。

良いか悪いか別として「グレートリセット」、「ベーシックインカム」「sdgs」、「半減期UBI」と言ったワードがよく見受けられるのは、人間の意識の状態の変化の印とも言えるのではと思います。

それらには賛否両論ありますが、様々な視点を以て一人一人がどこに意識を向けるかで、世界のシステムの流れと方向性が決定していきます。

私たちは、常に「間ー主観的な空間」つまり社会文化的、政治的な空間に存在ししています。それらは自分が作ったり選んだものではなく、過去の人々が選んだ結果の物が殆どです。

それらに意識を全く向けないということは、他人が作ったレールを生きるということです。

繰り返しますが、どの意識の構造(文化、風習、政治システム)にいても高次の意識状態(非二元など)は経験可能です。

では、より汎用性のあるシステムやルールを認識し、その意識の構造を選ぶということで、よりダイナミックな経験が可能になると思えます。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?