見出し画像

「ただ在ること」の表現者:瞑想するピアニスト、ウォン・ウィンツアンさん

20年前TM瞑想と出会い、瞑想の背景知識とスピリチュアルの知識を理解し、「ただ在ること」の価値が最も素晴らしい、と気がつきました。

私たちは、一見、学校で様々な科目を学び、点数と偏差値がつけられ、進学できる学校がふるい分けられ、就職先がふるい分けられ、年収がふるい分けられるというテンプレートの中に生きています。

年収によって住む家や医療の質、余暇、趣味、娯楽の質が変わってくるように見えます。

こうした物質的な生活のテンプレートでは捉えられない、目に見えるものよりももっと大切なものがこの世にはあるという気づきから、スピリチュアルのテンプレートも存在することに気がつきます。

質の良いスピリチュアルを体験するには、より浄化を進め、波動を高め、心身バランスを取り、スピリチュアルなワークや瞑想、ヒーリングなどの知識が必要です。

そのためにスピリチュアルな教師やマスターに教わる必要が出てきます。

日常的なテンプレートも、スピリチュアルなテンプレートもいつの間にか「目的」を忘れ、点数、偏差値、学歴、職歴、お金、浄化、波動、瞑想法、ヒーリング、マスターという手段を求めることが目的になるということは

よくある「あるある」な事柄ですよね。

その目的とは何だったのだろう・・・と遡ると、ひょっとすると誰もかれもが忘れてしまっていて、知りもしないということもよくあることです。

探してみると、数世代遡っても分からないことになります。

しかし、それは誰も隠していることではなく、常にすでにある、「ただ在ること」です。

文章で表現すると禅問答のようになり、もどかしいものです。

さっき、住んでいる地区が停電になりました

この記事を書いているついさっきまで、突然停電になりました。

停電なんて、何年も前にあったかな?というぐらい久しいです。

突然、電気、水道、クーラーがつかなくなりました。

洗い物をしていて、洗剤を使っていたので、困りました。

シャワーに入っていたらもっと不便でしょう。隣には老人ホームがあるのですが、管理者さんが慌てて外に出て、周囲の人と相談していました。

そのような施設であれば、深刻な事態に繋がらなければ、という考えがよぎります。

管理会社に電話して対応してもらい、比較的速やかに普及したので、そんなに私の地区の停電は大事にはなりませんでした。

しかし、私の家にはハムスターを飼っています。ハムスターは熱に弱いので、弱いクーラーをいつもつけて快適にしています。

今回の停電の場合、住人が家を留守にしていると、40度近い気温の中、ハムスターはだんだんと熱が上がる中で過ごさなくてはなりません。

たまたま私が家にいてよかったです。

こうした予期せぬことが様々な家庭であるのだろうな・・・と考えました。

今回の停電は、ちょっとした体験でしたが、貴重な学びでした。

というのは、電機や水道といったものはもはや当たり前すぎて、その貴重な価値に気がつくことがあまりありません。

無くなって初めてその価値に気がつくことが出来ます。

命に関わるもの、お金で換算できないもの程身近にありすぎて、その大きな価値に気がつきにくいものです。

貴重なもの程その価値に気がつきにくい

停電という現象から、あるのが当たり前と思われていた「水」「電気」の価値を思い知らされました。

「ただ在ること」の価値も同じようなものだと思います。

「ただ在る」という体験はありふれ過ぎて、いつでもどこでも味わうことが出来るのですが、何とも比較も対象もできないので、その価値に気がつくことが非常にむずかしいです。

「ただ在ることの価値」をすぐに理解し、体験する方法として、「QE」という方法があります。

この技法はすぐにマインドフルネスの状態に陥り、ただ在ることの感覚を味わえることが出来ます。そのため、よくカウンセリング場面でクライアントさんに伝えさせてもらっています。

しかし、急に「コップ一杯の水」を渡されてもその貴重な価値が分かりづらいように、

一瞬で「ただ在ること」の体感を経ても、よくある「水」だよねという経験から、その価値を忘れてしまうことが殆どです。

「水」はたいそう奇跡的な物質で、まだ科学者でもわかっていなことだらけだったりします。水だけで本が何冊もかけてしまいます。

「ただ在る」ということの価値を古来から宗教、スピリチュアル、芸術、学問、哲学で、人間は常に探求し表現してきました。

その人それぞれの状況と才能で、その価値を表現しています。僕の場合は、カウンセリングセッションや、こうした文章で表現しています。

音楽や映画で表現された作品に出合うと、その「ただ在ること」の価値を思い出します。

その経験は、子どもの時に味わった懐かしい感覚、静けさ、静寂、至福、喜び、感動、淡い心地よさ・・・といった感覚として味わいます。

表現者により、それだけ正確に表現されるかが決まる

東京の水道水は、これだけ世界でも有数の大都市ながらも、普通に蛇口から飲める水が出てくるということは、世界でも奇跡的なことのようです。

これは水道局の技術の高さとしても評価されます。

海外旅行に行くと、水道から直接水を飲むことは危険ですから、正に奇跡の国です。

つまり、水は地球上多くの場所にどこにでもあるものですが、その純粋性を保って、水の価値を、人に手渡すには、それなりの知識と技術、そして能力が必要になります。

知識、技術、能力が伴わなければ、水道水からは泥水ばかりが出てきます。

そうなると、炊事、洗濯、健康というすべての領域にネガティブな影響が及ぼされてしまいます。

「ただ在ること」という価値を、人に理解してもらったり、素晴らしい体験をしてもらうには、上記の例えが当てはまります。

そこには知識、技術、能力が提供者には必要になってくるからです。中途半端な知識や技術だと、かえって人の人生をゆがめてしまったりしてしまいます。

その影響は直ちに出るわけではないので、分かりづらいのです。

「ただ在ること」、言い変えると「意識」については、

古来から優れた芸術家、科学者、宗教家が表現してきており、その恩恵を時空を超えて私たちは享受しています。

モーツアルト、バッハ、ゴッホ、アインシュタイン、ホーキング、仏陀、キリスト、これらの偉大な先人たちは、蛇口であり、素晴らしい水を提供し続けているとも言い変えられます。

私自身も彼らが残したような、素晴らしい作品を作り多くの人に「ただ在ること」の価値のすばらしさ、壮大さを味わって頂きたいなと思います。

「ただ在ること」の表現者:瞑想するピアニスト、ウォンウィンツアン

ウォンさんは、その世界を表現するピアニストです。

プロフィールによりますと1987年にインドの瞑想に出会い、より深い自己の精神性を追求しはじめ、翌1988年瞑想を通し音楽に不思議なエネルギーを体感、ピアノソロ活動を開始されます。

ウォンさんの音楽を聴くと、瞑想した時の心地よさ、感謝、至福、静けさを思い出します。

理論物理学者マックス・テグマークは、

「この宇宙は数学であり、すべてを説明する方程式はいたるところにある。方程式は宇宙の窓である。」

と言いました。

ウォンさんの音楽を聴くと、その音楽は正に純粋な美しい水を提供する蛇口でもあり、

そして、純粋な宇宙の方程式という「窓」を提供してくれるかのようです。

ウォンさんの音楽を聴くことは、その「窓」をのぞき込むことであり、

その窓からは、静寂、至福、美しさ、なつかしさといった感覚に浸れます。

そして、それらはいつもすでにあったことを思い出します。

そうして、それらは自分自身、自己そのものであったことに気がつき、

唖然としてしまうのです。

是非、聞いてみてください。

フレグランスという言葉の意味は「芳香,良い香り」のことです。

このフレグランスという曲は、伝統的なアドヴァイタヴェーダンタ哲学の中にある寓話を思い出します。

『ジャコウジカはその香りで有名だが、ときに自分自身の強力な香りによって正気を失うことがある。それが自分自身の香りだと気づかず、ジャコウジカは強烈なにおいを追って、そこら中を走り回るのだ。香りの基はシカ自身なのに。そのことに気づいていないから、それがどこからきているのか探そうとする。弟子も誰か(たとえばマスター)がやってきて悟りをもたらしてくれるまで、このジャコウジカのように振る舞う。そして、「この香りはあなたから漂ってきます」と言う。
あなたが根本原理で、マスターだ。
あなたはすべてだ。あなたは無制限だ。

ニサルガダッタの直弟子ラマナカント・マハラジ 「自己なき自己」(ナチュラルスピリット刊 p86より)







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?