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「祈り」と「遠隔ヒーリング」はなぜ効くのか!? その2

「意味の場」とは

前回の記事では、概念といった情報は時空を超えて人間の行動を規定するということを書きました。

そして、その概念や情報は、特定の意味の場を共有することで、通信出来るということです。

例えばキリスト教では十字架や三位一体の概念が当然のこととして共有され、仏教では寺や線香、仏像、仏陀という概念が当然のこととして共有されています。

そして、共有された意味の場同士だと、コミュニケーションが成立するということです。イスラム教徒同士なら定期的なラマダン(断食)の概念は自然に共有されますが、仏教徒や神道の人々にはラマダンについては互換性がないので、説明がなければ共有されません。

そこで、そもその「意味の場」ということについて、哲学者のマルクスガブリエルの説明から考えてみます。

『なぜ世界は存在しないのか』におけるガブリエルの説明に従って見ていくことにしましょう。
ガブリエルによると「意味の場とは、何らかのもの、つまりもろもろの特定の対象が、何らかの特定の仕方で現象してくる領域です」。
 
例えば、私の左手は、ひとつの手というものとしても、無数の素粒子の集積としても、一個の芸術作品としても、食べ物を口に運ぶ道具としても現象することがありえます。

ガブリエルによると、この相違はどのような意味の場に現われているのかということに基づいています。

つまり、左手一つにとっても、

1.肉眼で見る現実的な認識:肉体の手

2.素粒子物理学的な認識:無数の素粒子の集積

3.芸術作品としての認識:作品

4.道具や機能的な認識:食べ物を口に運ぶ機能

というように複数の意味の場があります。

カテゴリーエラー

それらは見る観点と抽象度の違いによって、意味は異なってきます。そして、それぞれの認識はもっと沢山あるのでしょうが、それぞれの意味において優れている、正しい、間違っている、と評価できません。

例えば3.芸術的認識と4.機能的認識はどちらが優れているか、正しいかという論争があったとします。

しかし、その論争は、意味のあるものでしょうか?論争自体が無意味です。こうした観点同士の誤認(エラー)をカテゴリ―エラー(範疇錯誤)と言います。

日常生活でのコミュにケーションでは、しょっちゅうカテゴリーエラーからの摩擦と喧嘩が起こっています。そうしてストレスを溜めこみ、障害や病に発展する場合が少なくありません。

話が脇にそれましたが、つまり、私たちはどのような認識を持つかによって、その意味の場の世界を生きているということになります。

シンボルの認識と生体反応

認識による様々な様式は、宗教のように、後天的に学習されたものです。キリスト教を学習していなければ、十字架を見てもただの形ですし、神道を学習していなければ⛩を見てもただの何かの記号です。

私たちは、何かの意味の場を学習することで、それに伴ったシンボルの意味が分かります。そして、そのシンボルは実際に意味の場を共有している世界で初めて力を発揮します。

「⛩」のシンボルを見て、網膜から後頭葉の視覚野に情報が到達し、前頭前野で、その意味が介されることで、神様とのコミュニケーションが心身ともに準備される生理状態になります。

具体的には、神社と⛩を見て、おごそかな気持ちや、安心感、と言った感情と、それに伴った脳内ホルモンなどが分泌られる生理現象にいたります。

この場合、視覚からの情報処理を例にとりましたが、聴覚(読経や鐘の音など)、嗅覚(線香や、協会の匂いなど)の認識チャンネルでも同様のことがおきることは簡単に想像できます。味覚や触覚も同様です。

そして、この情報処理は時空を超えるということは、前回の記事にも書いたとおりです。

無意識の意味の場

これまでは、主に言語を介する年齢以上の、意味の場における情報処理についてでした。

言語を介するぐらいの年齢にならないと、つまり生後1年程度の幼児では、宗教の意味の場を共有する程脳と心の発達が出来ていない為、このような通信が出来ません。

裏を返すと、宗教という意味の場はおもに言語を介する人間独自の意味の場ということになります。

では意味の場を形成するのは、人間だけでしょうか!?

考えてみればそれはありえません。犬を飼っている人はわかるように、人間と犬は明らかに意味の場を形成します。

犬の名前を呼べば来るし、芸をしつければ理解できるし、主人かそうでないかを犬は確実に理解しています。

昆虫の蟻はお互いの役割分担を行うことで、コロニーを形成しています。

昆虫が木の葉に擬態したり、毒がない魚が毒があるような毒々しい色を付けて捕食者から身を守る生態は、天敵に「私は食べても意味がない」「私を食べると毒で死ぬぞ!」というサインを送っているということです。

また、植物は花を咲かせて蜂に蜜を取りに越させて受粉の媒介をさせます。花というシンボルを、用いて昆虫を媒介して受粉するのです。

こうしたやり取りは、種を超えた意味の場を介したコミュニケーションであるということです。

つまり、意味の場でのやり取りは人間特有のものではなく、生命現象がもともと持っていた機能であるということです。

そして、それは言語を介する前から、生命現象の無意識の働きとしてもともと私たちが持っている能力であり、機能であるということです。

人間も生命現象の一部ですから、もちろんそのような機能を持っています。例えば、言語を解さない赤子が、お腹がすいたら泣くという行為は、母親に対してサインを送っているということです。

ホメオスタシス

また、もっと原始的なコミュニケーションの例を挙げてみます。

私たちは寒いところに行くと、温度を上げるために震え、反対に暑いところに行くと汗をかいて体温を下げます。

これは恒常性維持(ホメオスタシス)の原理で、自身の体温を一定に保つための原理です。

この例は外の気温と体温という物理的生態環境のホメオスタシスですが、このホメオスタシスの働きは、情報空間にまで伸びて働いています。

何故なら、物理空間は情報空間の連続体の、ほんの一部分で繋がっているからです。

先ほどの神社で参道を渡る時に本堂にお参りする行為や、それぞれの宗教によって、伝統的な儀式や作法をしないとなんだか違和感があったりするのは、心(情報空間)のホメオスタシスがそうさせているからです。

同じ神様だからと言って、神社でアーメンと唱えないのはホメオスタシスの原理から、強烈な違和感があるから通常はそのような行為はやらないし、違和感が生じて出来ないのです。

こうして、心(情報空間)でホメオスタシスを一定に保つために、私たちは決められた行動規制を守り、保っています。

そして、それは宗教という領域のみならず、家庭や学校や会社、政治、社会、国家といった情報空間にまで伸びているということです。

だから家系や企業、国によって文化や風習、さらには気質までが異なるということは、このような強い無意識の意味の場の共有化による、ホメオスタシスの原理からになります。

通信:祈りと遠隔ヒーリング

♰を見るとキリスト教。⛩を見ると神道。昆虫の蛾が目のマークを付けて捕食者から逃れ、植物が他の植物に擬態したり、花を咲かせて蜂に受粉を手伝だわせる・・・。

この異世界は動植物から人間まで、様々なシンボルに満ちています。

シンボルとは、自分以外の他者に意味を伝えるためのものです。

シンボルは認識されると同時に、意味の場が形成されます。その意味の場の種類は、マルクスガブリエルの「左手の例のように」その時の「理由と目的」という状況によって多岐にわたります。

何らかの場があって、そこに情報の発信者はシンボルを提示し、それを認識したものが相応の行動をとります。

つまり、単純にそれは「通信」しているということです。

通信:コミュニケーション

通信とはコミュニケーションのことで、主に電磁波を持ちて行います。

『私たちが肉眼で見ることができる「光」は電磁波全体のごく一部でしかありません。レントゲンなどに使う「X線」、日焼けの原因になったり消毒などに使われる「紫外線」、我々私たちの普段目にする「可視光線」、リモコンや暖房などにも利用される「赤外線」、そして携帯電話やテレビなどの情報を遠くへ運ぶ為に使われる「電波」。可視光線以外は私たちの目には見えませんが、すべて光と同じ「電磁波」の仲間です。』

シンボルは視覚通信なので、電磁波の中の光を媒介にしたものになります。

では、情報とは電磁場なのでしょうか!?物理学で言う、光子や波動のようなものなのでしょうか!?

いや、それは考えにくいでしょう。

この前の記事の「その1」に書いたように、知識や知恵といった情報は過去や未来といった時空を超えるからです。

先ほども書いたように、物理空間は、情報空間のごくわずかな一部でしかありません。

電磁場も情報空間の一部の現象でしかありません。

意味という情報を伝えるのは、電磁場はその一部であり、本質的には時空を超える粒子と考えられます。

このあったりからオカルトっぽく聞こえてくるかもしれせんが、もう少しおつきあいください。

それは生命素粒子と言われる時空を超える粒子があり、それが意味の場を形成し、情報伝達しているということです。

昔から言われる、霊界のような場があり、生命素粒子は、その場を形成する最小ユニットとして考えられるかもしれません。

そして、情報伝達は、ホメオスタシスの原理で無意識にも常に情報のやり取りをしています。

無意識に全ての生命と繋がって常に情報のやり取りをしているのですが、人間の顕在意識の認識枠が非常に狭いので、ごくわずかな一部しか感知できません。

そこで、ヒーリングや祈りの際に、対象者の状況を認識すると、同時にそこに意味の場が形成されます。

その意味の場に、対象者(癒しが必要な状況や人)の状態が改善されるための祈りや思い、つまり情報を送ることで、意味の場でつながった相互間でコミュニケーションが無意識下に起こっていることになります。

生命現象は、傷つくと治癒し、病にかかると治る方向に、そして問題のある状況だと解決するように運命づけられています。

そこで、意味の場で対象者と施術者が一つの場を共有することで、対象者の状況が改善するように、ホメオスタシスの原理で生命場が機能します。

これが、遠隔ヒーリングや祈りの効果が生じる原理だと考えます。

怪我や病気があれば直接病院で治療します。問題や悩みがあればカウンセラーやコーチの所で直接解決することが出来ます。

それは、目の前に問題や課題があると、人間を含む生命現象は解決しようとするホメオスタシスの原理があるからです。

その時医師やカウンセラーは、生命場の働きを、個人的な「なんとかしてあげたい」という気持ちや、やりがいとして体感するかもしれません。

しかしそれは、非二元的な全体の一つの命の観点からすれば、生命場の働きの結果として、そのような気持ちが個人的に湧き上がってきたように感じるだけです。

病院やカウンセラー、コーチの役割は、そういった目に見える形での役割です。

遠隔ヒーリングや遠隔での祈りの効果は、これが直接ではなく、もともとある生命現象の力を行使して行う現象です。

だから、厳密に言えば医師やヒーラーが、対象者の病や障害を治した、という表現は誤りだと言うことになります。

むしろ「私が治した」、「私には癒しの力がある」という錯覚が強まれば強まるほど、本質とは逆行するので結果は出にくくなります。

究極的には、わたしたちに出来ることはなもなく、生命現象の働きを邪魔しないことが最も大切なことになります。



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