入院記録3(2024/5/25~7/1)
トリンテリックスを無事に開始でき、入院生活にも慣れてきた入院して3週間くらい経った頃、部屋に看護師さんが来て、4人部屋の話しをされた。入院した最初の頃は個室を使えても、新しい患者さんはどんどん入ってくるため、入院してから時間が経つと4人部屋に移動しなければならないのはどこの病院でも同じだ。私は「4人部屋はいや」と看護師さんに言って、看護師さんにも先生にも言ってみるように言われたけれど、4人部屋に移動しなければならないのは時間の問題と思われた。ただ、私は過去のC病院への入院で4人部屋になったことはなかったし、他の病院で4人部屋になったときは4人部屋が嫌で退院したり、同室の他の人が気になって夜眠れなくなったり、調子が悪くなったりしていた。
トリンテリックスの方は問題がなかったものの、睡眠に関するくすりの調整は続いていた。くすりを調整しても、夜寝付きが悪いのや日中眠いということがなかなか改善されなかった。最初入院のときに、先生にどれくらい入院していたいか訊かれたとき、「1ヶ月くらい」と言ったけれど、睡眠の問題が解決せず、入院が1ヶ月より長くなりそうに思われた。そこで私は髪を切りたくて、そのために一回外出することにした。
実は、過去のC病院への入院で入院中に外出や外泊をしたことはなく、今回もできればしたくなかったのだが、やむを得ず、というかんじで外出することにした。先生は簡単にオッケーしてくれて、そしてその外出のあとに、面談をして今後のことを話す、と言われた。
髪を切る、と言っても、私はもう何年も美容院に行っていなくて、いつも家で母に切ってもらっている。だから今回の外出も行き先は自宅だった。私の家は病院から近いので、昼は止めずに午後一で迎えに来てもらって外出した。久しぶりに家に帰ってまず髪を切ってもらって、そのあと自分の部屋ですこし休んでたけど、帰りたくなくなりそうになったので、さっさと病院に戻った。初めての外出は特に問題はなく無事終わった。
外出したのが月曜日で、火曜日先生が来たとき面談のことを訊いたら、木曜日に面談することになった。先生に面談で退院日を決めるか訊いたら、面談では退院日は決めない、と言われた。このとき既に入院して1ヶ月くらいが経っていた。
面談で退院日は決めない、と言われていたけれど、結局面談で退院日が決まった。入院が長くなれば4人部屋になるのは避けられないみたいで、先生が4人部屋になって調子が悪くなった状態で退院するより、個室で調子が良い状態で退院した方がいいんじゃないか、と言ってくれたからだ。私は入院して1ヶ月以上が経って、特に何も無くても入院生活を辛いとかんじたり、早く退院したいきもちになっていたので、先生から「4人部屋になる前に退院」の話しを聞いたときすぐに「退院したい」と言って、その場で退院日が決まった。退院日は次の月曜日になった。前に先生に退院について訊いたときに、急性期病棟である2病棟には3ヶ月までいられるから、という話しをされたこともあって、入院が長くなるかと思っていたので、なんだか急なかんじもした。でも今回は退院の不安よりも、退院が決まって嬉しい、というきもちの方が大きかった。先生は「退院したい」と私が言ったことに対して、「退院したいと思うくらい意欲が出ている」と言ってくれた。また、これは入院のときにも言われたことだったが、「調子が悪くなったときに入院することは悪いことではない」と言ってくれた。
今回の入院で前回と違ったところは、前回は夜間に緊急受診して保護室に緊急入院したため医療保護入院だったが、今回は任意入院だったところだろうか。任意入院だとナースステーションでノートに名前と行き先、時間を書けば、一人で自由に病棟の外に出ることができた。そのため、暇なときは院内外出したりしていた。Tさんに外出を勧められていたというのもあるけれど…。
また、前回までは入院中に他の患者さんと話すようなことは殆ど無かったが、今回は他の患者さんと挨拶やちょっとした会話をすることがあった。これも今回の入院でいままでと大きく違ったところだと思う。ただ、一人の患者さんには、最後まで男子だと思われていたみたいだが…(笑)
それから、入院中にくすりの自己管理の練習をするのだが、くすりの自己管理は初級、中級、上級、名人、とあって、前回初めてくすりの自己管理をやったときは不安だから先生に言って初級(一日分自己管理、ナース見守りあり)で止めてもらっていたのが、今回は名人(一週間分自己管理、ナース見守りなし)までいくことができた。
退院が決まってから看護師さんと話したとき、複数の看護師さんが「最初の入院のときより良くなっている」「強くなった」と言ってくれて、それがすごく嬉しかった。
入院主治医のN先生と最後に会ったのは土曜日だったけれど、退院が決まった面談の次の日、金曜日に来てくれたときにN先生と研修医の先生にお手紙を渡した。お別れするのがすごく悲しくて、最後に会ったときにそう言ったら、先生は「そんなこと言ってくれるの」と言ってくれた。「会ったら声かけてください」って言ってくれた。N先生のことはきっと忘れない。
土曜日はTさんと話せる最後の日でもあって、勤務が終わる5時前にナースステーションに行って最後にお話しした。Tさんに「今回の入院は意味があったと思いますか」と言われた。N先生も言っていたけれど、外来主治医のS先生が言っていたトリンテリックスも始められたし、意味はあったと思う。
退院のときの対応をしてくれたのはKさんだった。Kさんは、私が初めてC病院に入院した日の夜勤で、私の中で特別な存在の看護師さんの一人だ。今回の入院でも、くすりのことなどたくさん話しを聞いてもらってお世話になった。いつも退院のときに書いている「2病棟の職員の皆様」へのお手紙を渡した。荷物の確認が終わって、いつも院内外出するときと同じように病棟の出入り口へ向かって、そこでお別れした。退院、といってもいつもの院内外出のときとあまり変わらなくて、私はKさんに「ありがとうございました」と言ったけれど、これは前回の退院のときもそうだったけれど、案外あっさりしていた。それでも、最低3ヶ月はもうここに来れない、それは誰にも変えられないことだった。
正直、退院してまだ半月ちょっとしか経っていないけれど、病棟が恋しいし、「帰りたい」と思うこともある。2病棟はいつだって、私にとっては「帰る場所」だから。
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