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ロングヘアは“女らしさ”の最後の砦だった話

昨日、髪を切った。
胸まであった長さの髪を、マッシュと言われる長さまでバッサリと。
ショートヘアにするのは初めてではないが、今回は特別な思いがあった。

ロングも好き、でもショートも好きなんだ

私は髪型をよく変える方だと思う。
2、3年に一度ぐらいのペースでショートカットにし、そこからまた伸ばしてロングヘアにするというのをずっと繰り返している。
ロングも好き、でもショートも好き。それぞれに良さがあるから。

ロングは何より“髪を巻ける”という良さがある。
ショートで巻けないこともないが、巻いた髪が自分の胸元に見えているというのが好きだった。そして、髪を結うことができる。アレンジの幅が広い。

ショートは顔が小さく見える、そして楽。
“楽に髪型が決まる”これはもう最大の利点。セットがしゃしゃっと終わる。
そして、髪を洗うのも乾かすのもすぐ終わる。最高すぎる。

どちらも楽しみたいから、切っては伸ばすというループを繰り返す。

私はロングヘアの自分が好きだ、
でもショートヘアの自分の方が好きなのかもしれない。
似合うのはショートヘアだということは自覚している。

ロングヘアこそ“女らしさ”?

今回バッサリと髪を切るまでに、前回バッサリと切ったときから2年半ほど経っていた。もちろんロングにしたいから伸ばしていたし、ロングを楽しんでいたのだが少し違和感があった。純粋にロングを楽しめていないような。
昔のロング時代はもっと楽しんでいたような気がする。
そう思い、この違和感の正体を突き止めるべく、自分の心と向き合った。

そこで気付いたことが一つあった。
「私は“女らしさ”のためにロングヘアにしているのではないか」と。
もっと細かく言うと、
「自分が女であるということを感じるためにロングヘアにしていた」かな。

私は割と男っぽいところが多い。
生まれ変わったら男に生まれたいと思うし、メンズファッションも好き。
性格もはっきりとしているし、服装もメイクも髪型も強め。
自分が可愛い系より綺麗系が好きだからそうしているのであって、
それが嫌なわけではないし、変えるつもりもない。

だがその反面考えることがあった。
「果たして私には“女らしさ”はあるのだろうか?」と。
そう考えるようになってから、“女らしさとは”を追い求めてロングヘアにしていたような気がする。

現代では男性も髪を伸ばすし、それが女性だけのものでは無くなったのだが
“ロングヘアは女性らしい”という、どこからか自分に刷り込んでいた考えで髪を伸ばしていた。

自分は自分でいいのだが、可愛らしい女性を見るとどうしても自分と比べてしまうもので、人間って不思議だなぁと。
「可愛らしい=女性らしい、女らしい」
この方程式を勝手に自分の脳内で作り上げていたがために、
「男っぽい要素が多い自分だから、せめて髪だけは女でいなければ」
という縛りを自分自身にかけていたと気付いた。

大切なのは“自分らしさ”だ

それに気づいたとき、
「いや、そもそも女らしさとは?髪で決まるのか?そんなわけがない」
と馬鹿らしくなった。と、同時に開き直れた。
だったら、自分らしくあるべきだ。やりたいと思った髪型をするべきだ。
そんなしがらみで自分の個性を消すべきじゃない。
自分らしく生きることで、自分で自分を幸せにできるのではないかと。

だから、髪を切った。

これまでしてきた髪型の中で、一番短い。
ずっと、男性がしている髪型をしたかった。
街中で見かける男性の髪型をいいなと思って見ていた。
女がするには短すぎると勝手に決めつけ、一歩踏み出せなかった。
女でなくなるの訳ではないのに、それを恐れるように。

髪を切っているとき、徐々に軽くなっていく頭が気持ちよかった。
ロングヘアといっても、髪一本一本にそれほどの重量はないはずなのに。
これまでの思いも込められていたのか、すべてを取り去るように心も髪も
スッキリした。

これまで様々な髪型をしてきたが、思い切ってバッサリ切った今の髪型は、
過去最高に気に入っている。そして、自分らしさがとても表現できている。

今、このタイミングで、一歩踏み出して良かったと思う。
自分で自分を失くしてしまうところだった。

“今したいことを、今する”
言葉では簡単に言えてしまうが、行動に移すのはなかなか難しいものだ。
いや、難しくしているのは自分だったなと。

そして、“人生は一度きり”
その言葉は、今の私なら体現できている言葉だと思う。


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