袋町夜話

「表の戸を締めとけ、茶の間と店の電灯は全部つけとけよッ。……子供らは見せの間から出さんように頼むゾ、懐中電灯も用意しとけ」
 父はいつにない厳しい口調でやつぎ早に母に言いつけている。常ならぬ気配は子供心にもそれとなく感じられ、ひかれていた店の幕を少しばかり手繰り上げ、表の通りに目を凝らす。
 薄暗くなりかけた町内を隣組の衆や、黒いゲートルを巻いた警防団の人達が、数人づつ小走りにいききし、メガホンを手に何かを触れ回っている。
 「かあちゃん、あれ何いよるん、警防団の人がだいぶ出てどうしたん」と、尋ねる。
何か答えようとする母を父は制し、「幼稚園へ行きよる子供を梅津寺の海へ投げ込んで殺した林犯人が、(偽名)警察から逃げ、このあたりに逃げ込んできたらしい。それで警防団や隣組が出て警察官と一緒にさがしよるんじゃ。
大手町や番町の方も警戒のために監視をしよるけん町内の人は、家からでたらいかんらしい。どこへ潜り込んどんか知らんが店の間から出たらいかんのぞ、家の裏や暗いところに隠れとるかもわからんぞ…」
と、説明とも脅しともに取れる言葉が返ってくる。
 家の裏は、ちょうど将校官舎の裏の空き地に接しており、人が潜むに恰好の場所であることから、暗くなった裏庭が、気になり、しだいに声も出なくなってくる。
当時、小学校三年生であった私にも浅い記憶ではあるが、それまでにあった村上刑事殺しの「村上犯人」と、いまゆう「林犯人」とは
とてつもなく陰惨で残酷な恐ろしい人殺しと聞かされて来ただけに、身の辣む思いでことなり行きを見守っていた。
 家の中もラジオの音を小さく下げ、外の様子を窺いながら恐怖の夜を迎えた。
林犯人   それは
松山市唐人町に門戸を張り、下駄商を営む
窃盗前科二犯  林 政太郎 当時三十六歳は、平素から何かにつけて、「前科者」「盗人」呼ばわりしている同家向いの醤油販売業
平生 利之助  に対して積年の怨みを果たすべく、その時機を窺っていたが、ついに、
昭和十六年三月十二日水曜日午前八時頃
平生 理之助の長男、幼稚園児 展久ちゃん当時六歳を、言葉巧みに誘拐したのち、梅津寺沖海上の船上において
「……帰宅ヲ訴えて泣き叫スル展久ニ、船ノ舳ニアリシ重量一貫三百匁ノ錨ヲ背負セ麻縄ニテ縛シ、之ガ為愕キテ益々泣き叫スル展久ヲ抱きケ午後八時頃海中ニ投込ミ殺害、並ニ死体隠匿、目的ヲ達シ…」
その死体は、昭和十六年五月二十三日午前十一時ころ、展久ちゃん失踪午後七十五日目に、松山市梅津寺付近に出漁していた伊予郡松前町在住の漁師が操業する「イカナゴの地曳き網」にかかり発見されるという凶悪卑劣な事件であった。
 「林犯人」は、事件直後から関係者として召喚され取り調べを受けていたが、頑として展久ちゃんに関しては否認しながら、窃盗空き巣二十数件、被害総額三千四百円相当という当時としては、珍しい多額窃盗事件を自供。
 
予審判事尋問のため護送された松山地方裁判所検事廷階下留置室から看守の隙をみてこれをつきとばし、手錠をつけたまま逃走、以後官憲の必死の捜査を嘲弄するがごとく完全にその消息を断っていた。
            つづく

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