行水

夏の夕暮れともなると、懐かしい思い出がよみがえってくる。
 
一日の終いをつけ、店舗の前に水を撒き、夕餉の支度の合間をみて、母は盥に水を張り、釜で沸かした湯を注いで丁度入りごろの湯にしてくれる。
 
盥は裏庭に出される。狭い庭で飛石に盥の底がわずかでもかかると、微妙に傾きガタガタと座りが悪くなる。気づいてからそれを直そうとしても、湯を張っているためにその重みで動かすことができず、我慢して盥に腰をおろして湯につかる。
 
体を洗うのは、盥の横に置かれた洗濯板の上に座り、窮屈な姿勢で石鹸を使っていた。
 
昭和十四年、五年当時の町屋には、家にお風呂があるところはわずかしかなく、ほとんどの家庭には町内にある銭湯を利用していた。
 
夏日は長く、いつまでも遊び続け、汚れて帰る悪戯ざかりの子をもつ家庭では、行水がよく行われていた。
庭での行水はめっぽう楽しく、広々とした空を眺め、素肌に当たる風をもろに感じ、露天風呂のような快適な気分を味わっていた。 
 
「早く出るように…」の母の声が何回もかかる。
その声を背にしながら、緑の下から這い出してくる蝦蟇を見つけた私は、それに盥の湯をかけて驚かせる。
湯を浴びせられた蝦蟇は敏捷に逃げるでもなく、目を二、三回瞬きしたあと、ゆるりと足を少しばかり動かして、方向転換し逃げようとする。
 その鈍い動きをみると、何かいらだちをおぼえ、盥から手を伸ばし、近くにある小石を取っては蝦蟇の背に投げつける。
 「ボコン」
 鈍い音はするが、同じようにのろい動作でゆっくりと引き返す。
 
盥から片足を出し、床下に入りかけている蝦蟇に、執拗に湯をかける。行水をしているのではなく、遊びをしているのと同じである。
 
湯の温度が下がってくる。たし湯を告げると
バケツに入れた熱湯を注ぎ出してくれるが、聞き分けのない我が子に苛立ちを覚えるのか、「よく湯をまぜるんよッ」といいながら流し込む手際がはやい。
 
盥の中に立ち上がり、片足で湯をかき回しながら湯加減を調節するが、熱さのために悲鳴をあげることが幾度もあった。そんな騒ぎにのってこない母は、「熱かったら、早くでるのよ」と言葉を残しくどばに、入ってしまい、取り合ってくれない。
 
朽ちかけた裏木戸一枚で、自由に行き来していた隣家には、私よりも五、六歳年上の姉妹がいたが、そのような私の姿を垣根ごしに、間近から眺められると、恥ずかしくあわてて前をかくして背をむける。と、一段と甲高い二人の笑声とともに、「あのおしりッ」の声。振り返ると、尻部に洗濯板の波模様が深くついている。急いで盥のに座ろうとし、熱い湯に股間を漬けて飛び上がった。
 
そんな記憶に浸りながら風呂から上がった。ふと思いついて、「倉庫にでも金盥が残してなかったか」と、尋ねると、「何年も前からあららませんよ」と、妻の返事。
 
もう一度、少年の時と同じようにと、往事を回顧しながら行水をと思ったが、その願いもむなしく夕風とともに去ってしまった。

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