銀杏.おさん 

 「賽銭箱の被害は十数年以前にもかかったことがあるので、その時から賽銭箱の底板にボルトを通し、したの台石に締め付けていたのが、底板が朽ちていたのかボルトをはずすことなく盗られてしまいました。お賽銭は一年に二回箱を開けていますが、大体半年で三千円くらい入っています」
  と、世話人の山田さんの説明に熱が入る。
 被害状況からについては、黒岩警部補にまかせ、現場の状況を撮影するため数回シャッターを切る。
 そのつどストロボは鋭い閃光を放つ。
それまで遠巻きに見守っていた町内の人達も、その選考に誘われるかのように、四人、五人と集まってきた。…
こちらも一段落したところで、「泥棒も罰当たりなことをするもんじゃが、困ったものですねェ…ところでこの銀杏や祠は、いつごろからのもんですか?」

集まって来た人達に話しかけてみた。
 町内の人達は自分達の出番とばかり話は弾み始めた。
 「先生ッ、この婆さんは九十四歳になるんじゃが、この人に聞いとうみいなッ…のうばあさん!!この樹はいつのころのもんかと、刑事さんが、聞いとるぞナッ?」

半白の頭をした人の善さそうな男は、自分よりも長老の話の方が、私達にも信用してもらえると思ったのか、老婆に請うように誘いの言葉をかける。
 
 単衣の着流しの裾をはせり、細長い切石の上に腰を下ろし、自分の頭のうえを飛び交う話をあぬいて聞いていた老婆の耳は、達者な様子である。
 両手を切石の上に一度ついて、ほんの少し腰を浮かせ、浮かせた腰を着物ごとずらし、私の方に向きを変え坐り直した。
 
「わしが、こんまいころからそりゃあ大きな樹じゃったぞなッ。大風がくるたんびに枝が折れ、西の家のやぎねを潰したりしたこともあるんぞナッ。お狸さんはちょいちょい化かしたりしてよもだをしよったがナ」

九十四歳にしては、耳も口も矍鑠としたものだが、体の方は人のてがいる模様である。
 「先生ッ、この樹があるけんここらの通りを「銀杏通り」言うんぞなッ。
戦時中のことじゃけんど、二十二連隊が群中方面へ演習にくる時の目標だったにしよったちゅうじゃけんこの樹は相当のもんじゃろがなッ」

「そうかな。大東亜戦争が始まってからは二十二連隊も郊外演習に出る事もすくなかったように覚えとるんじゃが、それからすると、昭和十四、五年ころすでに目標になるほどの大木だったことになるけん、相当の年代物ですなぁ」
私の相槌に世話人も身を乗り出して来た。
 
「あしらが、子供のことにはなぁ、群中にも芸者衆が大分おったがなぁ。その芸者衆が、綺麗に着飾ってなあようけお参りをしよったんを覚えとらいなッ。玄人さんは、ようこんなところへお参りしよったんじゃろなぁ。
 げんをかついだりして」と、のってくる。
 
「松山も、市役所前に、八股のお狸さんが、祭られ、今でもガイに信者さんが、多いのか
幟が立っとるが、ここもこんな形で、地元の人しか知らない伝説の信仰場所が残っとる下町は、本当に懐かしいですなぁ」

「そんなもんでしょうかなァ。なんでもここのお狸さんは、八股のお狸さんの妹とかいうことで、ご利益はあるようですよッ。
終戦間あなしに、ここの狸の焼物を相当の値打ちのある骨董品とでも思ったなか、こちらのほうのお狸さんを泥棒がぬすみ、東京近くてまで買い手を探しにもって行ったが、買い手がなく、結局は警察に捕まり、無事に狸さんが戻ってきたこともあるんですよッ」
 と、左手に🏮、右手に一升徳利を提げ👘姿に変身している女狸のほうを指さした。
 
髪の間から出ていた耳の先端は欠け失せているが、造りは手間をかけていることが伺える焼き物である。側から一人の男が口をはさむ。
 
「そんな昔のことを言うてもなぁ、この樹は見てのとおりようよう立っとるだけじゃけん、今の間に切り倒しておいたらエエんじゃないかなッ。これを見とうみいなッ、根元の脇のほうから子か孫か知らんけど、一本ええ若木がでとるんじゃけん、これだけを残して、後はきったらええんよ。台風でも来てこれが倒れ近所周りの家を痛めたり、怪我人なんかが出ん間になあ…」

どこにでも、大言壮語し理屈だけを前面に押し出してくる類の人もいるものだ。所作をつくり話をするさまは、単衣姿の老婆や、ステテコに突掛けで集まっている人達とは何かがちぐはぐで下町の味に染まっていない。
 
 世話人の山田さんは、余りにも寂れてくるさまに耐えかね、見るに見かねて掃除等をしているうちに、人に押され世話人にされてしまったらしく、銀杏の古木も伐れと言う人とはどうもしっくりいってない様子が伺えた。
 
 こちらも、話の渦中ゆ巻き込まれ、いらぬさいきょを焼かねばならない筋合いもなく、例え銀杏が紅葉であろうと直接に係わりのないことでありはするものの、苔をのせた軒瓦が、各家ごとに軒先を上下しながらも連なり、間口は狭く奥行きの長い家々の中には、
瘤こぶに土が隆起した土間があり、櫺子もそこかしこの家々に残っている。
 
その街道筋を偲ばせてくれる風情が漂っている。   続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?