"仕事中毒"の2つの意味 ワークエンゲージメントとは


ワーカホリックは"仕事中毒"と訳される。

ワークエンゲージメントは概念なので適切な和訳は存在しないが、訳してしまうと同じ言葉があてはまってしまうと思う。

前者・後者の意味の違いは「ポジか、ネガか」



中毒と言う言葉は「それヤバいね」と同じように、文脈やニュアンスによって意味がガラリと変わる言葉だ。


ワーカホリックとは


ネガティヴな意味の"仕事中毒者"


意味合いとしては「こんな仕事やりたくねえ…」と嘆きながらその仕事に従事せざるを得ない奉仕者を指す言葉、ぐらいの感覚が近いと思う。

日本においては「サビ残を強いられる」と思ってしまえる、感覚そのものが「ワーカホリックである証」とでも言えるのだろうか。



「ブラック企業と呼ばれるような会社に勤めている」自覚のある従業員はいずれもの典型だ。



ブラック企業って?


ワーク・エンゲージメントの話に移る前に。

ブラック企業という言葉について個人的見解を述べたい。

本来は「一部のスウェットショップ」のみを表す言葉だ。
長時間労働(具体的には月60時間とかかな)過度なノルマ、いじめやパワハラ…を会社が是正している、そんな企業。


じゃあ、そうじゃない会社はブラックじゃないのか?
労働規則通りに事が進む会社はホワイトなのか?


おそらく違う。
先も述べたようにここは感覚、労働者の「ブラック企業と呼ばれるような会社に勤めている自覚」ありきの言葉だ。


半熟オムライスを食べて「ふわとろで美味しい」と喜ぶ人もいれば、「半生の出来損ないを完成形として出すのか?」と激怒する人もいるだろう。
※特に日本国内においては"半生"への意識は地域によっても受け取り方の違いがある。


もうそのぐらい、なにをスタンダードにするかも個々や環境によって異なる、感覚の話。

どこまでも福利厚生に熱心な企業も受け手からして「全然足りない」こともあるだろうし、労働者に対して誠実さのない企業も従業員が納得していれば「事足りている」と思えるのだろう。


1つの企業を指して内外問わず万人が「ブラック感」を感じない、ということはまずあり得ない…

あくまで個人的にはそう思う。

ワークエンゲージメントとは


ワークエンゲージメントとは、仕事に活力、やりがいを見出し仕事に没頭する精神状態のことだ。


僕自身はこの精神状態を10年は維持し続けてしまっている。

"仕事に纏わる時間"全てを換算すれば1日16時間はゆうに使う。
"骨董"の世界に生きて、夢の中でも"世紀の大発見を成し遂げた夢"を見る。

風呂に入る時も"美術本"を読み、ケータイを触る機会には"ネット上の古物の相場チェック"を怠らない。
(まあ、大体がながら作業ではあるのだけれど)

これは誰かに強制された習慣ではない。
勝手にゴール(KGI)を設定して、普段やるべきこと(KPI)を逆算し、「毎日触れて考える」ことを最重要プロセス(KFS)として設定した。


趣味に割り振る時間も…例えば近代のロボアニメをみれば70年代のロボの造形との類似性を探したり、デパートに行けば「新品だとこういう金額なんだね」と調査してみたりする。


それでも僕が思う完成された姿には、やはりまだまだ遠い。
「知らないことを全て知りたい」それが僕の最終目標で、活力だ。
「知らないことを知っていく」それがやりがいで、没頭している。



…残念ながらスタッフ(社員・パート)に僕の姿を投影させることはできない。
なぜなら彼らは「労基で守られなければいけない」人物だ。
しかし、そのぐらい「やりこまなきゃ辿り着けない」場所が各職種に存在することは揺るぎない事実だ。


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