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あの時のお礼

『先天のもので上がるのは尊敬するけどそこで手を抜くようなやつなら努力値で遥か上をいけばいい』

2016/03/17

高校3年生の時、ある人からもらった大切な言葉。
年々、深く心に刺さっていく。
実はこの言葉、私の独り言ツイートへの返信。頭も心も真っ黒な学生時代の私の独り言に、丁寧に真面目に返信をしてくれた人がいた。その人は最後に「突然のマジレスごめんね。」と謝罪の言葉を添えてくれていたが、とんでもない。一生心に残る言葉を届けてくれてありがとう。
苦しい時、劣等感を抱えている時、この言葉をいつも思い出す。

学生時代、中学生の頃に容姿でいじめられた時から、顔も身体も自分の容姿の全てがコンプレックスで、それは高校生になっても大学生になっても社会人になっても、ずっと変わらない。可愛くも綺麗でもない顔、細くも太くもないコメントしづらい体型、捻じ曲がった性格。自分に劣等感を抱き、周りを不必要に羨み恨み、気持ちだけが疲れて、自分が変わるための努力は何も出来なかった。強いて言うとすれば、勉強だけは周りより少し頑張ることができた。だけど、少し頭が良いくらいでは何の役にも立たない。「こいつ頭は良いんだ」と認識されて、いつの間にかいじめられなくなったくらい。
でもその頃にはすでに、頭も心もまっくろくろすけになっていた。だから、元から顔が整っている人、スタイルが良い人、性格がやわらかい人、それに加えて勉強やスポーツもできる人。学生時代の時点で、すでに色んなものが揃っている人が羨ましくて恨めしかった。

特に、顔が可愛いからと言う理由で周りに好かれたり優しくされている人が、心底恨めしくて、嫌いだった。顔が可愛かったり綺麗だったりする人には、何をしても勝てない。顔が良ければ性格も良く見られやすいし、ちょっとしたことも褒めてもらえる確率が非常に高い。そして何より、顔が良ければそんなに会話が得意でなくても、愛想が良くなくても、少々自分勝手に振る舞っても、周りに受け入れられて好かれる。何だそのチートは。私も欲しかった。

何故こんな劣等感に苛まれたのかというと、いつも一緒にいた友人が「恵まれた」側の人間だったから。特に中高生の頃。中学生の時は「美人でスポーツもできて頭も良くて、同じ吹奏楽部で楽器も上手」な友人が隣にいた。学年のマドンナ的存在だ。“そこそこ仲良し“といった関係性だったが、同じ部活・同じクラス・家が近いという理由で一緒にいることが多かった。片や学年のマドンナであるのに対し、容姿でいじめられる私。神様ひどいや。この頃から劣等感が爆発して、しっかり闇深くなった。高校生の時は、「背が高くてスタイルが良い美人さん」「波瑠似の美人さん」「桐谷美玲似の可愛い子」「野球部マネージャーのおかん的存在の子」が仲良しだった。1年生の頃は、背が高い美人さん。2−3年生の頃は、波瑠・桐谷美玲・おかんと仲が良かった。皆、周りに好かれていて性格も捻くれておらず、何事にも真面目で一生懸命。波瑠・桐谷美玲に関しては私の主観ではなく、クラスメイトがそう言っていた。その中で“真面目ヤンキー”と呼ばれる私。桐谷美玲と同じ吹奏楽部で、私のヤバさ・捻くれ度合い・可愛くない容姿が余計に浮き彫りになった。もう捻くれて捻くれて仕方がなかった。

そんなこんなでどでかい爆弾コンプレックスを抱えたまま大学生になり、社会人になった。何度爆発させたことか。その度に自分を嫌いになり、他人に好かれたい気持ちだけが膨れ上がっていった。

現在は、解消できるコンプレックスはお金と努力で少しずつ解決しているし、仕事のできる・できないで評価してもらえる社会で何とか、少しずつ自信をつけ始められている。
だけどやっぱり、時々、ハイパーどす黒い感情が顔を出す。元から容姿が良ければ、こんなにもがいて泣いて苦しみながら自分とひたすらに向き合わなくて良かったのではないかと。多少愛想がなくても、喋りが苦手でも、仕事ができなくても、周りに受け入れてもらえる人生になったんじゃないかと。

そんな時、冒頭の言葉を思い出すと心が救われる。
もう会えることはないだろうけれど、もし会えたなら、この言葉をくれた友人に直接お礼を言いたい。きっと覚えていないだろうな。

でも

本当に本当にありがとう。



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