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サイレント期間の概念

今サイレント期間中であろう私が思うこと。
いや、サイレントと言っても突然会話しなくなってから半年位でまた会話した時があった。
「心の中にいるよ」って言ってた。
彼の私への気持ちが詰まってると思われる曲もリリースされた。もう何と言うか、今冷静に考えても一般的なサイレントとは違う。

私は性格も外見も人一倍変わってるけど、サイレントの概念まで違う。
よくツインレイで耳にするのはどちらかが既婚者、または両方既婚者、女性がかなり年上、遠距離恋愛など。
私は二人とも独身、多分想いあってる。だけど世間一般的には男女の仲になってはいけないような立場の違い、遠距離、年齢の差がある。特に立場の差は激し過ぎて、乗り越えられるのか不安なところ。
でも、宇宙は引き合せるためにわざわざ出逢わせてくれるんだから、そんな差なんて無くして仕舞おうと思う。
だからと言って社会のルールを全く無視するのは流石にいけないとは思うけど。

基本的にどんな物事であっても、何をするにも自由なんだとは思う。
この世の中、あれしちゃいけない、これしちゃいけないと制限ばかり多い。

例えば、ツインレイ概念で言うと、女性は精神的自立と経済的自立、さらに相手に対する執着も捨てて1回忘れろ、とまで指南されてる。でも、好きで居ても良いと。
いや、執着しないとか忘れられるまでいかなくても相手がいない世界で平気って思えてたら、それ既に相手のこと好きじゃなくないかな??
確かに相手に寄りかかって依存するよりかは明らかに自立してた方が良いとは思うけど、特に経済的自立については会社員じゃなくて頑張って起業しなきゃいけない、と。
ここで、しなくちゃいけないことがあるよね。
大体、魂の片割れと言うんだから無理して変えようとするより、良いところも悪い所も肯定するのがベストなんじゃないかと個人的には思う。
サイレントと言うのは、宇宙が与えた調整期間だから男性側も心を整えるための調整が必要だろうし、女性だって依存しすぎないような調整が必要なんじゃないかとは思うから、あって当然とは思う。
サイレント期間中にしなきゃいけないこと、辞めなきゃいけないことがある時点で変だと思う。
それは誰かが決めたルールであって、本質的に正しいことなのか?問いたくなる。
人生を楽しむためにこの世に生を受けたのであって、苦しみ続けるために頑張り続けなきゃいけないために誰かのために生きなきゃいけない訳じゃない。
自分の好きなこと、やりたいことやるのが1番だけど、無理することは無いとも思う。
無理するのは、本来の自分からは遠くなるんじゃないかな。
そりゃ目標達成のために多少の努力や忍耐は必要かとは思うけど、無理してまで行き過ぎた忍耐や努力はネガティヴな感情に支配されるだけで目標達成したところで多分面白くもないし、違和感感じるんじゃないかと思う。

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