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21歳のカミングアウト

12年前、21歳のときのカミングアウトレターが出てきた。当時必死に言語化した記録なので、公開してみようと思う。個人名を伏せる以外は一切改変せず、当時の原稿のまま載せます。



前置き

これから、自分のことを語ろうと思うんですけど、勝手に私が話したいだけだし、すごい長くなるし、ちょっと重いかもしれません。
そして、これは○○さんだから話すんであって、誰にも口外してほしくない、たとえそれが△△さんでも、それが私のことを全く知らない赤の他人だとしても、話さないでほしいんです。
すごく理不尽なのはわかってますが、まずこのことに同意をしてくれた上で話したいんです。
あと、こんな自分の個人的なことに時間をとらせてしまうのは申し訳ないのですが、やっぱり時間がかかると思うので、もしどうしても嫌だったら話しません。それか、またの機会にします。
あと、すごく複雑で長いので、カンペを見ながら話させてください。

はじめに

全然気付いてないと思うのでたぶんびっくりされると思うんですが、、、
私は、トランスジェンダーといって、体は女なんですけど、自分が女性としての性役割を求められることに対して違和感や嫌悪感があって、
性自認が必ずしも女じゃなくて、どちらかというと男だと思っています。
 
「必ずしも」とか「どちらかというと」とか曖昧な表現をしましたが、
それは、簡潔に説明できるほど自分の性自認がはっきりしたものではなく、自分でも自分が何者なのか未だにわからず悩んでいるからです。
 
こういう感覚は、理解しがたいことだと思うし、自分もなるべく誤解のないように伝えたいという思いがあるので、
ぐだぐだと、幼少期のことから細かく話しちゃいます。めんどくさくてごめんなさい。。
 
このことに気付き始めたのは高校生になってからです。トランスジェンダーとか、セクシャルマイノリティとかLGBTとか、そういう概念を知るようになって初めて、自分が何者なのか自問自答して考えるようになったからです。
でも、物心ついたときからずっと、男の子になりたいという気持ちは常に潜在的に持っていました。何かしらの違和感はずっと感じて生きてきました。

幼少期

小さい時、誰もいない場所を見つけて、隠れてサッカーの練習をしていました。
同じマンションに住んでる同級生の男の子は、マンションの中庭で堂々とサッカーの練習をしていたけど、自分にはできなかった。
ただただ、その彼になりたかった。
「男の子みたい」と思われたくなかったからです。
本当は少年サッカー部にすごく憧れていて、入りたかったんですが、男の子がやるものに対して憧れを抱いてる自分は変だ、恥ずかしい、
と思い、親にも入りたいと打ち明けることすらできませんでした。
「女の子なのに」とびっくりされるのが恐怖だったからです。
同じような理由で諦めてきたことは、これ以外にもいっぱいあって、今でも続いています。
 
妄想の中で、自分はいつも男の子でした。少女マンガのヒーローの男の子でした。女の子たちからアツい目線をおくられるかっこいい男の子でした。
何のためにサッカーの練習をしていたかというと、妄想の中で、サッカーのできる理想の自分(ヒーロー)に近づくためでした。
家の畳の部屋を閉め切って、一人で筋トレをしていたこともありました。一人でドラゴンボールごっこをしていたこともありました。
妄想の中だけでは誰の目も気にせず男の子でいられました。
現実の世界で、この自分が、男の子のようにマンションの中庭でもくもくとサッカーの練習をしたり、男の子のような表情や挙動をすることは、決してできませんでした。意に反して自分は女の子だったからです。見かけが女の子で、性格もひよわで、とうてい男の子だなんて名乗れない。こんなにも自分は女の子なのに、「男の子みたい」なんて思われたら恥ずかしい。隠さなきゃ。言われたらおしまいだ。
 
「本当は男の子になりたいんでしょ?」
 
と言われてる気がした。恐ろしかった。

これが、小学生のときの自分です。
綺麗な女の人の前だと変に緊張したり、クラスのある女子の前だとなぜか恥ずかしくなって、気持ちが高揚する感覚がありましたが、
自分が男なんじゃないかとか、この子に恋してるんじゃないかとか、考えたことはありませんでした。
ただ、「男に生まれればよかった」という思いはずっと持っていたと思います。

中学入学

女子校の中高一貫校に入って、制服はセーラー服でしたが、嫌ではなく、むしろ自分で私服を選ばなくてすむならばスカートであろうと制服の方が楽で嬉しかったです。制服はむしろ自分を女にしてくれる魔法の着物のように思っていました。
でも、学ランを着た灰色のマフラーの似合う男子校生とすれ違うと、むしょうに彼になりたくて、胸が苦しくなりました。
自分も本当はああいう風になりたい、そう思って切なくなりました。
かっこいい男の人とすれ違うと、うらやましいって気持ちでガン見してしまいます。
ああ、あの人になりたい、あの人の外見がほしい・・・って思います。
 
でもメンズの服屋には入れないし、男に間違われるレベルで男の外見に近づこうすることは怖くてできません。
男の子に間違われることは、小学生のころからたまにありましたが、非常に嫌でした。
「男の子みたい」と思われたくない。
「本当は男の子になりたいんだ」と思われる(=バレる)のをとにかく恐れ、防いでいたんだと思います。無意識に。(今でも。)

高校生

中学生の時は、同級生と共に、3つ上の先輩の追っかけをずっとしていました。楽しかったです。笑
 
高校1年になって、生まれて初めて、これは恋だ、と確信できるほど人を好きになりました。同じクラスの、ほとほどに仲の良い女の子です。
それがきっかけで、自分が何者なのかを本気で考え始めました。
そして、自分がどう見られているのかというのを意識するようになったのもこの時期です。思春期ですね。
少しでもかっこよく見られたい、そう思って勇気を出して美容師さんに初めて男性の写真を持っていきメンズヘアスタイルにしてもらったり、
ワックスを使ってみたり、自分の言動が、女っぽいか男っぽいのか、やたら気になるようになったり・・・etc.
恋をすればするほど(人を好きになればなるほど)気持ちを伝えられない苦しさは増して、自分は何者なんだろう、生きていけるのだろうかという悩みが強くなっていきました。
ただ、女子校という、男性の存在のない環境だったため、日常的な苦痛はほとんどなかったです。
女性と男性両方がいる環境では、人は常にそのどちらなのかで分類され、意識されます。
でも、もともと女しかいない前提の女子校という環境では、その分類作業は行われません。
いちいち比べられ、「女のやることじゃない」と言われたり、
「一応」女として扱われてイライラすることも、
ネイティブな男性とトランスである自分の心の中の男の部分にギャップを感じて劣等感にさいなまれることも、ありませんでした。
一人一人、女性でも男性でもなく、人間としての個々の付き合いだったので、ほとんどありのままでいられました。

いま

トランスジェンダーと同性愛とを混同している人がいますが、全く異なります。例えばはるな愛は、ゲイじゃなくて、性同一性障害(トランスジェンダーの一種)です。
自分は、同性愛者や両性愛者を軽蔑していないし、友達にもいますが大好きです。でも、同性を好きになる感覚に共感できるわけではありません。
自分は異性愛者だと思っています。
好きになるのは女性です。女性を、異性として好きになり、好きな人には男として好きになってもらいたいです。男性を好きになる女性しか好きになれません。
でも、矛盾に聞こえるかもしれませんが、「自分は男だ」と言い切ることはできません。言ったら「あんたそこまで男じゃないよ」と言われてしまいますし、自分自身も、自分の心が完全に男であるとは認められないのです。
 
まず、性同一性障害と認められる人のように激しい身体的違和感があるわけではありません。
胸なんかなくなればいいと思うし、男の人の逞しい胸板や体型に憧れる(欲しいという意味で)ものの、股の下にあるべきものがない!と思ったことはなく、身体の感覚を通しての違和感はありません。なので、身体を変えたいとも思いません。
 
また、女として産まれ、女として育てられ、女としてふるまい、女として扱われてきたため、感性や言動はすっかり女です。
両親不仲で若干“男性蔑視”な家庭で育てられたことや、女友達に恵まれたことから、女性への帰属感が強いです。
女性社会で、一生懸命女子のノリに合わせてきました。
リアクションとか、言動とか。
話しやすい人、楽しい人、親しみやすい人になりたい、「異なるもの」「わからないもの」にはなりたくない。
そういうごく自然のことにために、ごく自然に、女子としての言動を身に付けてきました。
女性社会で生き抜くために懸命に身に付けてきた女性ジェンダー。
そのおかげで、“近づきがたい人”ではなくなったけど、
そのせいで、ただの「ボーイッシュな女の子」にしかなれない。
女友達に同性扱いされたいのに、男性に女扱いされるのは苦痛で、好きな人に同性としてしか見られないのも苦痛。
そんなわがまま そんな矛盾 を抱えています。
 
私の心は、本来なら男の身体に入るべきだったかもしれないけど
女の身体に入ったことによって、それでもやっていけるように順応的に適応してくれたのだと思います。
 
そして、「女だから」許される行為に甘えている部分がかなりあるということにも気づきます。。
だからこのまま男らしい女であれればいいと一時的ながら思うかもしれないし、それでも男なんだと叫び続けるかもしれない。




このあとは聴き手への告白(!)だったので以上にします。

今日に至るその後の12年間で、変わった部分が非常にたくさんある。
「メンズの服屋」(笑)に堂々と入って買い物ができるようになったし、
「男性を好きになる女性しか好きになれません」というのは誤解だったし、
「男なんだ」と叫ばなくなった。
そもそもカミングアウトをするのに、こんなにぐだぐだと言い訳がましく長い説明をしなくていいやと思えるようになった。

なんせ12年前のこの時はまだ、クィアフレンズに一人も出会っていなかったのだ。(当時はノンバイナリーという言葉もなかった。マイノリティを包括して「クィア」というようになったのも最近だよね。フェミニズムも知らなかったから、今読むと何言ってんだこいつ…って恥ずかしくなる部分がたくさんある。I have gay friends論法もやっちゃってて最悪。)
この年の夏に、自分の思いや悩みを吐露するTwitterを始めて、たくさん言語化した。仲間を見つけて、見える世界が劇的に広くなった。自由になった。
その11年後には二丁目にシェルターを見つけて、日常になった。女たち(広義)とスクラム組んで生きる決意をした。※

だから、何も知らなかった私がたった独りで考えて書いたこの12年前の手紙は、資料としてとてもとても貴重。


※参照↓



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